の一部を拝借しています。
7. 漢方医学における感染症の考え方
感染症は人類史において大きな脅威であり,医療の発達の過程で感染症が大きな存在であったことは洋の東西を問わない。いまだに日本漢方が重視する古典の一つが『傷寒論』である。後漢末(2世紀終わり頃)に中国で疫病が大流行し,筆者,張仲景の親族の2/3が亡くなるという状況で,感染症の臨床症状の事細かい観察とそれに応じた漢方薬が記載されている。1918年のスペイン風邪流行の際にも,森道伯が胃腸型には香蘇散加茯苓・白朮・半夏,肺炎型には小青竜湯加杏仁・石膏,脳炎を引き起こした場合には升麻葛根湯に白芷・川芎・細辛を加減して卓効を示した,という記録を残している8)。
漢方薬のウイルス感染症に対する効果は種々の漢方薬で種々の機序が知られている。詳述は避けるが,我々の知見を多少述べさせていただく。
ウイルスの増殖を防ぐための重要なサイトカインに,インターフェロンαがある。このインターフェロン産生経路は複雑で,産生までに非常に長い時間を要する。体内でのウイルスの増殖速度とインターフェロンα産生速度によって,重症化するか治癒に向かうかが決定されるので,いかに生体防御機能が早く働くかが重要な鍵となる。我々の研究では,十全大補湯をあらかじめマウスに投与することで,インターフェロンαを産生するために重要なIRF-7の発現が上昇し,感染が起こった場合にすぐにインターフェロンαが産生できる,という準備状態をつくることを示した9)。
同じく補剤に分類される補中益気湯も,複合生薬ゆえ,様々な作用機序を有する。十全大補湯同様にインターフェロンα産生の準備状態をつくるほか10),ウイルス粒子に結合して複合体を形成し,細胞への侵入を抑制すること11),細胞内ストレス応答の役割を持つオートファジーの誘導を促進して,インフルエンザ感染によるオートファジー機能不全を軽減すること12),およびインフルエンザ感染により破綻した解糖系-ミトコンドリア間の細胞内エネルギー代謝の恒常性を改善する作用を有することなどを示してきた13)。感染前に投与することで,これらの機序により,感染の重症化を防いでいるのである。
これらはインフルエンザウイルスを使った研究であるが,他のウイルス感染でも漢方薬の補剤投与により,生体防御機能を上げておくことは重症化予防につながると推測できる。
8. 感染症予防における漢方の考え方
共同筆者の劉建平は感染予防に対する知見として,古典およびSARS,新型インフルエンザ流行時の中医薬による介入研究をレビューしている14)。それによると,2000年前に書かれた『黄帝内経』に,既に疫病に対する予防方法が記載されている。
1つ目は外因性病原体の侵入に対抗するために,小金丹という予防薬を服用することで体の気を充実させること,
そして2つ目に,感染源を回避する,ということである。これは中医学の伝統として受け継がれてきている。その上で,SARS流行時の3つの予防研究と新型インフルエンザ流行時の4つの研究を紹介している。2009年の新型インフルエンザ流行時の4つの研究のうち3つはランダム化比較試験(RCT)であるが,2003年のSARS流行時は香港で行われたオープンラベルの比較対照試験と北京で行われた対照群なしのコホート研究である。香港での研究は,SARS治療に当たった11病院の職員を対象にして,中医療法を行った15)。その結果,有意差を持ってSARS発症を抑制した。ここで使われた処方は玉屏風散(黄耆,白朮,防風)と桑菊飲(杏仁,連翹,薄荷,桑葉,菊花,桔梗,甘草,蘆根)の合方である。
玉屏風散と桑菊飲は幅広く体の気を増すものとして用いられ,共同筆者の柴山は2009年の新型インフルエンザ流行当時,天津中医大学に在籍していて玉屏風散+桑葉,陳皮,菊花を感染予防として服薬し,予防が可能であった。
『黄帝内経』に記載された疫病に対する2つの原則は現代でも重要である。1つ目の気を増す,という考えは生体防御能を増すことに他ならない。2つ目の感染源を避ける,は密閉・密集・密接の三密を避けて,手洗いを励行することである。
9. COVID-19に対する漢方治療活用の実際
日本の医療事情を考えると,重症化した患者の治療を漢方で行うのは現実的ではない。漢方が貢献できるとしたら,以下の2つの状況下においてであると考える。①ハイリスク患者の感染予防,②軽症患者の重症化予防。
①のハイリスク患者の感染予防は,漢方治療で最も重視する「未病の治療」である。『黄帝内経』の説く「気を増す」,すなわち生体防御能を増すことが漢方の役割と考える。
台湾のガイドラインにあるように,伝統医療治療の原則は個別化であり,それぞれの年齢,体力,疾患背景により異なる。そのため,漢方に詳しい医師の診断が必要であるが,逼迫した状況下においては,ある程度割り切って記載することをお許しいただきたい。
まずは生体防御能を増すためには,日々の「養生」が何より大切である。当たり前のことであるが,正しい食事・適度な運動,十分な休養が基本である。それに加えて,漢方では徹底的に冷えを嫌う。冷たい飲食物を避け,適切な衣服で体を温める。生姜汁などもよい。暴飲暴食は最もよくない。胃腸が弱ると防御機能が弱ると考える。
その上で高齢者は,玉屏風散に加えて補中益気湯,十全大補湯,人参養栄湯といったいわゆる補剤を考慮する。胃腸機能が弱っていれば四君子湯,六君子湯,茯苓飲などを用いる。現場の第一線で感染リスクに暴露されている医師には補中益気湯をお勧めする。
食薬区分の「専ら医薬品」には分類されない薬用人参,霊芝,冬虫夏草,板藍根などは免疫を高める生薬を入手して服用することもできる。漢方薬は飲みたいが医療機関に行きたくない,という知人にはこうした物を勧めているが,既に品薄のようである。インターネットなどでは品質の悪いものが高値で売られることもあるので信頼のおけるものを購入してほしい。
②の軽症患者の重症化予防は,感染徴候が少しでもあったら,ごく初期の症状を見逃さずに早めに葛根湯,麻黄湯を服薬する。高齢者は熱産生が弱いので麻黄附子細辛湯が良い。
COVID-19は上咽頭のみならず,気道の奥深く肺胞に達するところで増殖し,症状が出てから一気に悪化すると言われている。
そうすると発熱を認めた時点で,葛根湯・麻黄湯では対応は不可能と考える。柴葛解肌湯か柴陥湯を処方する。柴葛解肌湯は葛根湯と小柴胡湯を合方すると近いものができる。生薬治療が可能であれば中国で既に効果が実証されている清肺排毒湯を処方するのがよい。
我々が動物実験で示してきたように,感染はウイルスの増殖スピードと生体防御能の競争である。重症化する前に本疾患の山場があると考えた方がよい。早め早めに適切な漢方治療が必要である。その上で改善徴候が見られなければ入院のタイミングを逃さないようにすることが肝要である。本稿執筆時に国から,感染が拡大している地域では,軽症者は自宅またはホテルで療養する,という指針が出された。ここで重症化を防いで回復させることが,医療崩壊を防ぐ最も効率的な方法であり,漢方薬の重要な役割と考える。
10. 日本で漢方薬をCOVID-19に使うための課題と解決策
COVID-19に対する漢方薬の海外の事例,日本での可能性について述べた。実際に日本で感染予防や重症化予防を行うためには,いくつかの課題を乗り越える必要がある。
(1)煎じ処方を活用するための煎じパックの活用
中国,韓国,台湾の処方を見ても煎じ薬が主である。煎じ薬は医師であれば保険内で処方できるが,日常診療で煎じ薬を処方する医師は少ない。また,自宅で煎じることもままならず,緊急を要する場合も多い。各国のガイドラインにあるように,ある程度処方を絞ってすべての自治体で活用してもらうことが望ましい。
特に清肺排毒湯は既に中国・台湾・韓国において治療ガイドラインに組み込まれており,臨床経験も積み重なってきている。煎じ薬ではあるが,今は煎じ機器で真空パックにすることも可能である。それができる漢方診療施設で備蓄ができれば,すぐに患者さんに届けられる。
(2)漢方専門外来における感染対策としての初診オンライン診療の導入
台湾のガイドラインにも明記されているが,予防および治療は個々の状態を見て決定する必要があり,漢方に詳しい医師の判断を要する。しかしながら感染を疑われる患者が来院しても対応できる漢方専門施設は少ない。特にマスクや消毒用アルコールの入手がきわめて困難な状況で,十分な感染対策を準備できる診療施設は少ない。初診オンライン診療には多くの医師が期待していると思うが,漢方の専門知識を活用するために,初診オンライン診療を許可いただきたい。
さらに漢方に詳しい相談薬局を活用することも提言したい。たとえば日本漢方協会では,COVID-19に立ち向かうという会長の強い意思が示されている。漢方に詳しい医師が限られていることから,薬剤師の活用も考慮すべきである。ただし,この場合にもその薬局を感染から守る措置が必要である。
(編集部注:本稿執筆後の4月10日から,厚生労働省は初診のオンライン診療を感染が収束するまでの期間限定で容認した)
(3)予防に対する保険漢方薬処方の規制緩和
感染予防の漢方治療について述べたが,現実には日本の医療制度では「予防」投与は認められていない。しかしながら,もし家族が発症し,自宅にいたら,どう対処すればよいのであろうか?ハイリスクの家族や,医療の最前線にいる医師たちが予防として服薬できるように是非とも「未病」の考え方を導入していただきたい。
(4)食薬区分の「専ら医薬品」に該当しない生薬の活用
わが国には食薬区分という制度があり,黄耆,金銀花,連翹などは医師・薬剤師を通さないと入手できない。一方で板藍根,冬虫夏草,薬用人参,霊芝などは「非医」という位置づけである。これら生薬の免疫賦活作用は国内外に基礎研究・臨床研究とも多数ある。予防として漢方薬が認められていない現状でも,明日から活用できる。
多量に服薬しない限り安全性も高い。ただし,通販などで入手するものは品質のばらつきが多く,粗悪品もあるので,注意が必要である。漢方に詳しい薬局での購入をお勧めする。
(5)中国・韓国・台湾における伝統医療の知見の共有と生薬の確保
中国・韓国・台湾では多くの伝統医療医師が第一線でCOVID-19に携わっている。そうした知見を積極的に情報共有してもらうパスをつくることが必要である。また,清肺排毒湯を日本に導入するためには,生薬使用量が多いことから,需要が高まれば枯渇する可能性がある。そうした場合に備えて,政府間で,十分な生薬の確保をお願いしたい。
11. まとめ
新興感染症に対する,中国・韓国・台湾の取り組みを紹介し,わが国の政策と対比した。『傷寒論』以来,感染症に対して漢方は長年の知見の蓄積があり,中国,台湾,韓国では積極的に使われている。柴山が教員を務めていた中国・天津は東京よりも人口は多いが,4月3日時点で感染者数は180名,死者は3名である。天津中医大学の医師が予防に努めて第一線で働いている。こうした新興感染症は今後も繰り返すことが予想されるが,ウイルスを標的にした治療薬やワクチンが開発されるまでの時間稼ぎとしても伝統医療をわが国で積極的に用いる体制が確立されることを切望する。
ウイルスは次から次へと変異を繰り返し,新薬開発とのいたちごっこを繰り返すことは細菌と抗菌薬との競争の歴史を見ても明らかである。むしろウイルスの変異の方が劇的であり,人類の知恵がそれに追いつくのは困難である。漢方治療の標的はウイルスそのものではなく,ウイルスを攻撃する生体防御能を向上することである。その意味において新興感染症が起きた際に,ウイルスの種類を問わず,最前線の薬として活用でき,そこで時間が稼げればワクチンの開発が間に合う。
本稿執筆時点で大都市圏ではCOVID-19のオーバーシュートが間近に迫っている。中国,台湾,韓国における感染制御にどの程度伝統医療が貢献したかは現在は明らかではないが,その成果の発表を待たずにわが国でも漢方の活用を考えるべきではないだろうか。
〔謝辞〕台湾国家中医薬研究所のガイドラインの翻訳を手伝ってくれた慶應義塾大学医学部漢方医学センターの呉知峰氏,于海莎氏,廉方儀氏に感謝申し上げます。
【文献】
1)Yoshino T, et al:BMC Complement Altern Med. 2019;19(1):68.
2)Arita R, et al:Traditional & Kampo Medicine. 2016;3:59-62.
3)Cinatl J, et al:Lancet. 2003:14;361:2045-6.
4)Wang C, et al:Ann Intern Med. 2011;155(4):217-25.
5)中華人民共和国中央人民政府 新型コロナ肺炎診療ガイドライン(試行第七版)通知
[http://www.gov.cn/zhengce/zhengceku/2020-03/04/content_5486705.htm]
6)中国国家中医薬管理局発表清肺排毒湯の効果
[http://www.satcm.gov.cn/hudongjiaoliu/guanfangweixin/2020-02-19/13220.htmL]
7)小川恵子:COVID-19感染症に対する漢方治療の考え方. 日本感染症学会特別寄稿
[http://www.kansensho.or.jp/modules/news/index.php?content_id=140]
8)秋葉哲生, 他:漢方の臨床. 2009;56:331-42.
9)Munakata K, et al:BMC Genomics. 2012;13:30.
10)Dan K, et al:Pharmacology. 2013;91(5-6):314-21.
11)Dan K, et al:Pharmacology. 2018;101(3-4):148-55.
12)Takanashi K, et al:Pharmacology. 2017;99(5-6):240-9.
13)Takanashi K, et al:Pharmacology. 2017;99(3-4):99-105.
14)Luo H, et al:Chin J Integr Med. 2020;26(4):243-50.
15)Lau JT, et al:J Altern Complement Med. 2005;11(1):49-55.