支援したきた人達は、無力感があるでしょうね・・・。
患者本人の立場で考えるのと、支援している人達の立場で考えるのでは、
対極なわけで。
私も、身近に、治らない病になった知人が、安楽死を認めてもらえないだろうかと言いつつ、結局、自ら命を絶ったことがあります。
亡くなる寸前まで、全部、自分の気持ちを、まるで、もう一人の自分に話をするかのように、語ってくれて。
私は、安楽死を肯定も否定もできないと思いつつ、この人の考えには否を唱えずに、聞き役に徹しながらも、死期を伸ばすことに腐心しました。
お盆に実行しようかと思う、
と言えば、お盆は暑い時期だから、もう少し、先にしようかと、というような調子で。
そして、実行するときには、直前に私に知らせるからと言っていたので、その時が勝負だと心に決めていたのですが、助けても、病が治るわけじゃなし、で。
問題はそこでした。
そして、とうとう、実行するときが来て、自分の家に帰っていた私に、夜中に電話が来て、これから実行すると。
そのときは、助けることができましたよ。
でも、それが、私の裏切りと思われてしまい・・・
その数日後に、今度は、死ぬ気があったかどうかは分からない形で亡くなりました。
その一連の流れを思い出す時、私の人間力がなかったから、この人を助けることができなかったとは思っています。
もっと、語る言葉に癒しがあったり、死ぬよりも、私のそばにいた方が幸せだと思ってもらえれば、そういう最期は避けられたかもしれないって思います。
その人の娘さんは、今、緩和ケアで医師をやっています。
彼女の思いはどうなんだろうと思うことがあるけど、そのことについて話をすることはないですね。
今回の件が、診療や介護にあたっていた人達には、ずっと心に残る案件になったと思いますが、そういう患者の気持ちがあると受け止めて、
前に進んでほしいです。