
5年の歳月をかけた大天守保存修理工事が
今年(2015年)の春に終了。
せっかく近くまで来たので
きれいにお化粧直しを終えた姫路城を是非観たく、
足をのばしてきました。

此処に来たのはもう何年前の事でしょう。
子供たちが小さい時でしたから
30年くらい前だったかもしれません。

別名白鷺城と呼ばれる美しい姫路城は
その時はまだ世界文化遺産になっていませんでした。
外堀にかかる桜橋から。

数多くのお城が戦禍に焼かれ、あるいは
老化で取り壊された中で、
このお城は400年の歴史を持ちます。
今では無くなってしまった建物も数多くあるのでしょうが、
それらが揃っていたころはどんな城内だったのかな?
なんて興味も持ちました。
太平洋戦争による空襲は姫路にもあり、
町は焦土となったにも関わらず
奇跡的に残ったという姫路城。
大手門

昨年の大河ドラマ「軍師官兵衛」で、
黒田官兵衛(孝高…よしたか)がこの城で生まれ
その後城主となったことを知りました。
もっともその頃は今のような城ではなかったのですが。

遡れば1333年、赤松則村が護良親王(もりよししんのう / もりながしんのう)の命により
挙兵し、京に向かう途中、砦を築いたのが始まりだそうで、
このような城になったのは秀吉から徳川の時代にかけてのこと。
その後1601年から数年かけて大改築をして現在に至っているようです。
長い歴史をもっていますね。

城主はいろいろ変わりましたが
城は修理を重ね、近年には明治、昭和、平成と
大修理して残っています。
今年の春その大修理を終え、お披露目となった姫路城

堅牢な門がいくつかありますが、
今では開城時間内に入城料千円で入れます(^^ゞ
開城は9時~16時(閉門は17時)
※夏季(4月27日~8月31日)は9時~17時(閉門は18時)

姫路に着いたのが16時過ぎでしたが
夏時間で時間延長だったため
主な城内を見ることができました(^^ゞ

平日の4時半過ぎとあって、
中は観光客が少なく、城の雰囲気を
存分に味わってきました。



まず、ジオラマが目に入ります。


当時の城下町の様子はこんな感じだったようです。
ちなみに城内はこんな感じです。
(姫路城のHPより)

以前は鎧やら武器などが展示されていましたが、
本来の城らしさを残すため、大修理を終えた時点で
それらは片づけたそうで、
大天守内部はすっきりとシンプルになっていました。
ただ、天守閣の一番上には神社(長壁神社)が祀られており、
これは近年になってのことだそうです。
江戸時代には大天守ではなく、別の場所だったようですが、
なぜこちらにしたのでしょうね?(^^ゞ
ちょっと違和感を感じました^^;
以前来た時はどうだったか記憶になく・・^^;

外から

白い鷺が舞い立つように見えるから
白鷺城と呼ばれている姫路城!
きれいですね~

屋根越しに飛んでいた本物の白い鷺(たぶん^^;)。
ちょっと遠いですが(^^ゞ

姫路城といえば家康の孫、豊臣秀頼の正室であった
千姫が再婚して住んでいたお城ですが、
そんな歴史と照らし合わせて眺めると面白いです。
よく怪談で出てくるお菊井戸。
実話なんですね。
舞台が此処とは・・・^^;


長い歴史の中にはいろいろなことがあります。
美しいお城ですが、その中では
今では考えられない殺生の積み重ねがあったのかも
しれませんね。
そう思うと今はなんて平和なんでしょう(^^ゞ
昭和6年(1931年)に国宝となり、
平成5年12月に奈良の法隆寺とともに、
日本で初の世界文化遺産となったのですね。

今回の総工費24億円って、どんだけ~って思いますが
日本の貴重な財産ですから、
これからも大切に見守っていきたいものです。
どこから見ても絵になります。




なぜかしつこく撮り続けました(^^ゞ



いったんJRと山陽電車の姫路駅の方に食事に行きまして


折角ですから、ライトアップされた頃再び城内へ。


大手門は開いています。

三の丸の方からのカットです。



昼間、時間的に全部まわることはできませんでしたが
束の間、時を遡って歴史を巡った時間は
楽しいものでした。
予定になかったことですが、
神奈川県の東海大相模が勝ち進んだ夏の甲子園のお蔭で
なかなか行けない場所にも行けました(^^ゞ
此処までくれば四国に九州にと足を延ばしたくなりますが、
さすがにタイムリミットで、ここから引き返します。
この日の夜は宿をとっていないので帰路につきながら
途中愛知県の道の駅で車中泊。
幸い涼しくなってきて良かったです。(^^♪
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