![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/0c/1ae0f73063fad48b2f523fb317ff003e.jpg)
今年もきれいな紅葉を見られました♪
この日は12月12日、yamaaruki1212ということで、
イチニイチニと歩いてきました(偶然です^^;)
いつものように杉本寺の近くの駐車場(平日1,000円)に
車を置いて歩き始めますと、
今回は角の大銀杏が満開!
これなら獅子舞の紅葉はまだ大丈夫!
と、私なりのバロメーター(^^ゞ
今回は直接獅子舞へ。
途中の永福寺(ようふくじ)跡で。
今年の大河ドラマは『鎌倉殿の13人』、
この場所も番組の最後に紹介されていました。
スマホで「AR永福寺」をインストールすると
目の前にリアルな建物や橋が見られます。
駐車場出発は既に11:30でしたので、
早くも帰る人とすれ違います。
ゆっくり登って行くと間もなく目の前に
紅葉が広がってきました。
どこをどう切り取っても素晴らしい!
すれ違った人が「今年は遅いですね」と。
稜線に近づいたところで見上げると、
いつもなら早々に色づいている筈のモミジが
まだ青い!
こんなこともあるんだ~(@_@)
一登りして富士山展望
こちらは場所を変え
以前茶屋があった場所からの富士山
木の間から辛うじて見られます。
広場で30分ほど一休みして、
今回はこの後行きたいところがあったので、
山頂に行かず同ルートを下ります。
下りは下りで、また違った風景に見えます(^^)
登りでもあったこの大きな倒木は
下るとき処理作業が行われていました。
ありがとうございます。ご苦労様です。
この後頼朝や北条義時の墓など巡りながら移動。
今年は大河ドラマが『鎌倉殿の13人』と、
鎌倉が舞台のせいでしょう、同じように
巡る人が多いようです。
鎌倉宮入り口の桜、今年も咲き始めてました。
頼朝の墓
源頼朝、北条義時の法華堂跡へ
途中に頼朝を祀っている法華堂跡の白旗神社
山本耕史が演じる三浦義村の子孫も
1239年義村没の8年後に北条と対立して
宝治合戦(1247年)で滅びていたとは。
でも生き残った一族の女系子孫が命をつなぎ、
徳川家康の側室お万の方もその一人だそうで、
そうなると水戸家、紀州家は三浦義村の子孫
ということになるのですね。
来年の大河は『どうする家康』だそうですが、
そこまでのルーツは辿りますかどうか?^^;
法華堂跡の奥の階段を上っていくと、
大江広元の立派なお墓、
人気があるらしくお供えがいっぱいでした。
頼朝様より高い位置にあるのですね(゚Д゚)
結構な階段数で、上るのが大変でした。
トシちゃんは途中でパス(笑)
その左には毛利季光(すえみつ)墓、
少し離れて右には島津忠久墓ですが、
このつながりは知識不足で分かりませんで、
調べてみたら毛利季光(すえみつ)は大江広元の四男、
後に執権北条と対立した三浦方について敗北し、
三浦や息子達と共に自刃。
ですが、越後国にいた季光の四男の経光(つねみつ)の家系が
生き残り、後の毛利元就へと続いたそう。
つまり大江広元は毛利家、毛利元就のご先祖様になるわけで、
過ぎ去った歴史に、「もしも・・」はないですが、
それでも生き残るか絶えるかで、後の歴史は
違うものになっていたのかもと思ったりしました。
島津忠久も御家人で、島津家といえば薩摩の国を
治めていた家系という認識ですが、調べていると、
いろいろなつながりがあって面白い!
次回が最終回の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』ですが、
その後の歴史のルーツを見ているような感じでもありますね。
調べていると次々に引き込まれ、
ついつい長文になってしまいました。
このまま鶴岡八幡宮へ
実朝が殺された階段と八幡宮のお参りはスルーし、
この後、この流れで
大河ドラマ館へ
続きます(^^ゞ
何も伝えてなくても、1日違いでほとんど同じところ
歩かれたのですね。
われわれの足跡はありましたか?
今回、鎌倉殿の反響が大きく
とても熱心に歴史探訪されてるなと感じています。
これも、全部大泉のせいでしょうか?
獅子舞では、我々さなえさんが
風邪をひいたのではないかと勘違いするくらいに
話題にしていました。
山歩きの先輩として、素敵なところを教えていただいたこと
感謝しています。
またどこかでゆっくり遊びましょう
食うかいさんたちがどのルートか分かりませんでしたが、思うことは同じでしたね。
一緒に歩けたらまた濃厚な巡り旅になったのに。
大泉洋が頼朝?と最初ピンとこなかったのですが、良かったですね。
鎌倉が繁盛するのは全部大泉のせいでしょう(笑)
小栗旬の義時がどんどんダークになっていくのもさすがだなと思いましたよ。
獅子舞は私もコメントを寄せてくれた方からの情報で、有り難く思っています。
また是非お声かけください^^;