綿あめプーさん&あるび

綿飴ぷーさんの「けやきの会」(長岡市にある障がい者関連団体)と白馬山麓の実家の話題&アルビッレクスサポ日記

これからの夢ハウス運営母体について②

2009年03月07日 | 夢ハウスの運営母体について
さて、フリマや上映会や会員の会費(年間18千円?)で2百万ほどの資金作りに成功したけやきの会です。
平成10年に長岡市川崎に民家を賃借し、会員総出でバリアフリーに改造工事を行い、翌11年の春に夢ハウスけやきの家がオープンしました。

当時はけやきの会員も60人くらいおりましたし、危機感があったので会員の意識も高く、お母さん方も全面的に協力体制を組んでくれました。
そして養護学校のオヤジの会が作った障害者施設として注目されました。
メディアも応援してくれ、新潟県出身のシンガーソングライター伊藤敏博さんもチャリティーコンサートで資金集めのPRをしてくれましたし、開所式にもかけつけてくれました。
夢ハウスは試験的に養護学校児童の放課後の受け入れを開始し、翌12年から本格的な運営がはじまりました。

この頃がけやきの会の絶頂期だったと思います。
誰もが夢ハウスの順調な運営をどうするかを考えてはいましたが、だれもこの先のけやきの会と周囲の環境変化を考えてはいなかったと思います。
少なくともぷーさんは改造工事で底をついたけやきの会の資金を回復させて、安定運営ができるように心を砕いていました。

<画像上>会員の素人大工で改造工事中の夢ハウス
<画像中>伊藤敏博さんと賢ちゃん
<画像下>開所式典 (中央がぷーさんと当時のPTA会長の坂内さん)








これからの夢ハウス運営母体について①

2009年03月06日 | 夢ハウスの運営母体について
ちょっと長くなりそうなのでシリーズものにします。
はじまりは養護学校に通う児童を持つ父親の集まり「けやきの会」でした。
けやきの会は平成7年に結成されました。
けやきの会の活動目的の一つに「卒業後行き場の無い子供を出さない」がありました。
けやきの会結成後3年ほど経って、この目的を達成しようと行き着いたのが小規模(通所型)福祉作業所「夢ハウスけやきの家」を自前で設置しようという計画でした。
この頃から平成13年くらいまでが、けやきの会の絶頂期とも言える時期だったように思います。
保護者の父親の多くが「けやきの会」会員として活動し、母親はPTA活動を担当し、言ってみれば役割分担のような感じで大変うまく行っていました。
また、当時は卒業後に障害を持った子供の行く先が本当に少ない外部環境もあって、父母ともに危機感があり、共同して施設設置に向かって疾走していた時期でした。
画像は第1回けやきの会上映会(平成10年)の様子です。




お隣の長野へ行ってきました。

2009年03月01日 | ぷーさんのつぶやき
今日はぽかぽかでとっても良いお天気でした。
ぷーさんはお隣の長野県までドライブに行ってきました。
途中で妙高が白く際立ってとてもきれいでした。
観光に行ったわけではないですが、ついつい真田十勇士を思い出して上田城によってきました。
六文銭の故郷にもちろん城は無く、修復された櫓があるだけでしたが、本丸を取り囲む堀と石垣が当時のまま残っていて歴史を感じる事ができました。
久々に心の充電ができました。