『この世界の片隅に』の感想の続きです。
映画の序盤中盤を経て、
現実にはあり得ない化け物や座敷わらしを
何の違和感もなく受け入れる心の下地が
ゆっくりと作られていきます。
そして映画の終盤。
空襲が終わりほっとして防空壕から出てきた
人々を狙い撃ちにする時限式の投下爆弾も、
日本家屋を効率的に焼き払い、
火の海を作ることで一人でも多くの民間人を
殺すことができるよう工夫された焼夷弾も、
映画の世界に入り込み、あり得ない
ファンタジーを現実として受け入れてしまっている観客は、
ファンタジー以上にあり得ない戦争におけるできごとを、
自分自身の体験として受け入れざるを得なくなっています。
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同情(シンパシー)や感情移入(エンパシー)によって
涙を通じた戦争体験の継承という道もあります。
戦争の悲惨な実状を克明に描くことで、
恐怖や嫌悪による戦争に対する拒絶を伝える道もあります。
そのどちらでもない道、
『日常としてのファンタジー』
『ファンタジーとしての日常』
という回路を使って、
現在の常識では想像しがたい事柄を
観客に体験させるという道を選び、
成功しています。
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高い芸術性をもっているこの映画は、
それ自体に価値があって、
何か他の目的のために優れている
ということではありません。
それでも、
戦争体験の継承という重要な使命を
果たすことのできる素晴らしい媒体である
という側面をこの映画は持っています。
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