羅保派

信頼を取り戻す

場所広島県 大久野島 地図にない島 兎の島 

2024年12月18日 | Weblog

かつては地図に載せられない、隠された日本軍の秘密兵器開発の島。戦争準備が国策として進んでいた痕跡が明らかにある。今はただ夕日と瀬戸内海が美しい島だ。野生のウサギがどこにいても迎え出てくれる。今は逆にウサギの島として世界的に有名になってしまった。また、007の映画のロケでも使用され、軍艦島とともに有名になっている。

Okunoshima, often referred to as Rabbit Island, is a small island located in the Seto Inland Sea, part of Hiroshima Prefecture. It is known for its large population of domesticated rabbits and its dark historical significance as a site for chemical weapon production during World War II. Okunoshima was once erased from maps and Japan kept its existence a secret.







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場所鳥取市 32年ぶりの大雪

2024年12月18日 | Weblog

Most of the major roads have been cleared of snow. But I still detect the aftermath of a heavy snow. Snow removal expenses might have put a heavy burden on the city finance.  鳥取駅前南口


天神の交差点のあたり


鳥取西校前
 



雪は溶けやすい場所と、溶けにくい場所があり、除雪をしても道は均等にはなかなかならない、でこぼこ道を走っているうちに、道路は衝撃を受けていったのだろう。大雪は、様々な影響があった。ゴミ収集が遅れた、給食も停止した。コンビニにはお弁当やら、サンドイッチやらが消えた。車の修理依頼が殺到した。雪がおさまっても、道幅確保できず、大型車両がかわせないので、バス路線の復旧、スクールバスの運行の復旧が遅れた。除雪費が地方財政を圧迫した。









我が家のベランダや窓に迫りくる雪











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場所大阪市西成区萩ノ茶屋小学校 美しい朝のルーティーン

2024年12月18日 | 英語学習
優しい町の不思議な朝のルーティーン
Suddenly the water started to squirt out the pipe. Water can be discharged from the school to wash the street and it can also chase the squatters and street vendors away. The pressure of the water is good enough to wash all the dust away. 
 
After finishing washing the road, the surface of it was glistening in the morning sunlight. Then pupils starts to show up to school. Teachers begin to clean the road with brooms in their both hands before pupils coming to school. 

萩茶屋小学校
西成に小さな小学校がある。「萩の茶屋とは、美しい農村であり、紀州街道で疲れた旅人の心を萩の花が癒してきた。そんな心優しい村であり、文化の通り道だった」と子供達が誇りを持てる指導をしている。名作「じゃりんこちえ」が生まれたのもこの町からである。


その紀州街道は天下茶屋を通っていく、かつてここに秀吉が休憩した茶屋があったという、これが天下茶屋の由来だとか。東京の井の頭は、家康がここの水でお茶を点て、東京の井戸の頂点に君臨する名水ということで井の頭と名付けたとか。地名の由来を知り、自分の暮らす町がいかに様変わりしようと誇りを持ちたい。
現代では、ここでは児童が登校する前に、学校の壁から一斉に放水が始まる。そして教職員達は一斉に、二宮武蔵のように二刀流で、両手にホウキをもち一斉に道路の泥水をはき流す。脇目もふらず一心不乱に掃き清めはじめる、独特の決まった掃除のスタイルがあるようだ。そして児童達が登校する時間帯は駅前から教職員は全ての死角をなくし、児童の登校をしっかり見守って、声かけをしている。児童のための優しい配慮である。これをホームレス排除の冷淡な行為と責める人もいる。どうとるかはその人次第だろう。
 




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場所鳥取市鹿野町 戦国時代が残る町 亀井茲矩 

2024年12月18日 | Weblog

鳥取市鹿野町鹿野は鳥取市中心地から20キロほど離れた場所にある。戦国時代末期の武将、亀井茲矩(かめいこれのり)が鹿野藩初代藩主、初代鹿野城主となり築き上げた町である。400年流れ続ける水路が巡らされていて風情があり、のように美しい城下町である。近江八幡のような、あるいは岡山の足守のような雰囲気もあるが、どことも違う、不思議な町である。亀井茲矩は前回の秀吉の鳥取城攻めの折に功を上げ、鹿野城を大改修したという。後に秀吉に虎を献上したとか。朝鮮出兵をしているようだ。















かつて川が運んだ砂や礫が溜まってできた台地の上に位置しており、洪水の害がなく、水はけもよく床を高くする必要がなかったという。地震にも強く1943年の鳥取地震でもほとんど被害が出なかった。

亀井茲矩はや、鹿野城を「王舎城」、住民が住む区域は「鹿野苑」とネーミングしたことから、大陸、インドなどへの憧れが伺える。また深く仏教へ帰依していたようだ。山陰の大名では唯一、朱印船貿易をしたという希有な人物らしい。The Japanese Shoguns regulated trade by issuing vermilion seal certificates to ships specifying where the ships were allowed to trade.

鹿野往来交流館 童里夢では角町紋入りの大きな提灯が出迎えてくれるが、この町は鍛冶屋町 紺屋町 上町 下町 山根町 大工町などなどに分類されるらしい。作家司馬遼太郎は鹿野の街並みを次のように表現した。「人通りは、ない。通りは水の底のように静かで、時々京格子の町屋や、白壁の腰板といった苗字帯刀身分の屋敷などが残っている。全体にえもいえぬ気品を持った集落なのである。」『街道をゆく 27 因幡・伯耆のみち』通りには、足下行燈が整備されている。夜も独特だろう。あっ岡本太朗はここには来たのだろうか。





鹿野そば道場(鹿野町鹿野)で蕎麦定食 1020円税込 9月24日を食べる。ここでは食事だけでなく、蕎麦打ち体験もできるらしい。蕎麦はもちろん!のこと、そば茶とそば湯が美味しかった。なぜ、鹿野町で蕎麦?と思うが、町おこしの一環として、約100軒の農家がそばを栽培しているとのこと。蕎麦は播種から収穫までの期間が稲、麦などに比べ短く、種蒔き後、4~5日で発芽し、70~80日で収穫適期となることから、減反から転作しやすかったから蕎麦に注目したのだろう。お店の窓際の花瓶に生けてあるのも蕎麦の花だった。どこまでも蕎麦にこだわっている。








幸盛寺には山中鹿介の墓地がある。



「週末だけのまちのみせ」がまた面白い!庭瀬・吉備・陵南地区では毎年秋には「まちかど博物館」なるものが開催されるが、このお店群はまた違う、リフレソロジーの店やら、絵本作家の似顔絵やらレベルの高いお店がたくさんある。非常に面白い。観光客も意外と多い。こんな町があったとは!!

















庭瀬・吉備・陵南地区の「まちかど博物館」


鳥取県の琴浦町は農業が盛んであるが、農業者の高齢化や担い手の減少で耕作放棄地が増加しており、耕作放棄地を有効活用した新たな特産品が栗である。栗は落ちている栗を拾うという収穫作業のため、負担が少なく、また、大粒で皮がむきやすく品種改良された「ぽろたん」の栽培拡大を進めている。

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場所岡山県民が知らない岡山県産品 そしてジーンズ王国の由来

2024年12月18日 | Weblog

岡山は生産量では山梨などには及ばないが、フルーツ王国である。そして、そのフルーツ王国岡山は意外にも丹波黒大豆が全国2位の生産量を誇り、岡山の名産品であり、県内有数の産地である吉備中央町では、高品質の黒大豆が生産されている。さらには小豆と言うと、赤い小豆しかないと思っている人もいるかもしれないが岡山では「備中白小豆」と呼ばれる高級ブランド小豆がある。岡山で売っているのを見たこともほとんどない。京都の錦市場でブランド品として売られてる。京都の高級和菓子で使われている。



茶器などの伝統工芸品を入れる桐箱の装飾結び紐として「真田紐」は使用される。岡山県でも児島で、真田紐が寛政年間に製造されはじめた。児島の「由加山」と讃岐国の「金刀比羅宮」の両方に参拝する「両参り」という風習が流行しており、由加の参道には「真田紐」を扱う商店があった。

香川・徳島方面は和三盆に代表される砂糖の名産地であり、岡山は隠れた名産、白小豆などの生産地であるが、讃岐の砂糖と岡山の小豆が合流する。人の移動は文化と産業を産む。


やがて、真田紐の技術は児島を日本一の制服、ジーンズの生産地へと変えていく。

高瀬舟は、江戸時代から昭和初期にかけて日本各地の河川で使用されていた小型の船で、主に物資や人を輸送するために設計されていた。特に岡山県では、年貢米や木材、塩、海産物、醤油、酒などの輸送に利用されていた。高瀬舟は、伊勢神宮や金毘羅宮、西大寺会陽といった重要な神社や祭りへの参拝者や物資を運ぶ役割も果たしていました。これらの場所は多くの参拝者で賑わい、特に西大寺会陽は「裸祭り」として知られています。The Takase-bune was an important means of efficiently transporting people and goods between these regions. Due to its convenience, the Takase-bune significantly contributed to regional economies and cultural exchanges.

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