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京都 [聊斎志異・御霊神社の二社] 2014年5月

2014年06月08日 | 近畿地方
友人が、京都に引っ越したのを機にこの五月、友人宅を基点に滞在型の観光を試みてみました。
いつものように、観光客としして京都を巡るのと違い、ジモティーとして地域を歩くのも良いものです。

今回は、「京の異界」がテーマです。 御霊神社は各地にありますが、京都には二社あります。「上御霊神社」と「下御霊神社」です。
参考に、鎌倉にも有名な御霊神社が二社あるそうです。

■下御霊神社、京都御苑の南東角に在します。
どうも、はたから拝見するに一部社屋などが荒廃して上御霊神社との差が大きいです。
もともとは、上御霊神社近くの南側に建てられていたので、その関係で下御霊神社と呼ばれますが、そののちに現在の京都御苑のこの地に移設されました。







そもそも、御霊信仰とは人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本の信仰のことである。
特に、平安期に御霊信仰というものが現れるようになる…といわれます。

この上下御霊神社には、最初の御霊会で、崇道天皇(早良親王)、伊予親王、藤原大夫人(伊予親王の母)、橘大夫、文屋宮田麻呂、藤原広嗣の六人が祭られた。後に井上皇后(光仁天皇の皇后)、他戸親王(光仁天皇の皇子)火雷天神、吉備大臣吉備真備、もしくは吉備内親王をくわえ、観察使と伊予親王が省かれた「八所御霊」として御霊神社(上御霊神社、下御霊神社)に祀られているそうです。
(注)吉備真備については、荒魂としてではないようですが、よくわわかりません。ただ、随分と興味深い人物ですが…。

このように、亡霊を復位させたり、諡号・官位を贈り、その霊を鎮め神として祀れば、「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった。これが御霊信仰であり、その鎮魂のための儀式として御霊会が宮中行事として行われたと伝わっています。

上御霊神社、出雲路口から徒歩10分程度です。立派な社です。



















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