友人が、京都に引っ越したのを機にこの五月、友人宅を基点に滞在型の観光を試みてみました。
いつものように、観光客としして京都を巡るのと違い、ジモティーとして地域を歩くのも良いものです。
とりあえずは、友人宅の近くの五条近くを数日周ることにしました。
今回は、「京の異界」がテーマです。
あまり無理矢理に「葵祭り」と「異界」との接点を探すのは憚られますが、王城の地「京都」の歴史的なイベントは少なからず天地自然、人智の理を超えた現象に対するところから発生していますから、まあ…異界も又生活の一部でしょう。
■京都の三大祭りとは、葵祭 祇園祭 時代祭と言われています。
今回、京都に滞在していて(お恥ずかしい話ですが…)15日が葵祭りであることをまったく失念しておりました。
当日は、昨晩からの雨模様にて開催が危ぶまれておりました。 朝6時、サイトで確認すると「実行」されるとあり安堵しました。
この祭りは、京の三大祭の中で最も古く正式名を賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭でといいます。
石清水八幡宮のお祭りを南祭というのに対し、北祭とも呼ばれます。
今から約1400年前の欽明天天皇の時代に、暴風雨・大凶作に見舞われ疫病がはやり、賀茂の神々の祟りが原因と言われ、祭礼を行ったのが葵祭の起源とされています。
欽明天皇の時代と言えば在位中に仏教伝来があったことを思えば、古来日本の神々の怒りともいわれます。
賀茂一族は出雲系の豪族ですからこの二つの世界の権力闘争が裏側にあったのかもしれませんね。これも、異界との接点で起こった出来事でしょう。
雨空の下、出発近くの御所の東側で見物です。御所・健礼門を出て丸田町通りから河原町通りへ曲がるところです。
道路は片側車線を通行止めにして巡行しています。
今年の斎王代です。
もちろん、斎王の群行は南北朝の動乱が始まった頃が最後になりましたから、この祭りはその斎王の代行としての群行です。
斎王についてはWikipediaをご覧ください。
伊勢神宮までの群行ではありませんから、「斎院」と言った方が正しいのかも知れませんが…。
■下鴨神社
糺の森から入り、下鴨神社に向かいます。
明日のための準備を神官たちが忙しくしています。NHKのスタッフがその様子を撮影していました。
明日の12時前に、この下鴨神社に巡行が到着し、再び上賀茂神社に出発します。
ちなみに、下鴨神社は賀茂御祖神社が正式の名称ですし、上賀茂神社は、賀茂別雷神社となります。
■上賀茂神社
ちなみに、タイトルの「聊斎志異」とは、中国清朝時代に「聊斎」と言う人にによって書かれた「志異」不思議«異»を記«志»した書。との意味です。その京都版として、京都に言い伝えられている「異界」を巡るつもりで掲題しました。少々、オーバーですが…。
(聊斎とは書斎の名で、本名は蒲松齢といいます)
今回の旅程のネタ本は、この平凡社「聊斎志異」と淡交社の「京都・異界をたずねて」です。小生の好きな書籍の一つです。
古今東西、グローバル化という観念を知らなかった人間は異なった民族との接点で起こる不思議な事象や常識を超える事柄を、異界のモノとして描かれています。
参考サイト→中国版
参考サイト→聊斎志異の抜粋版
いつものように、観光客としして京都を巡るのと違い、ジモティーとして地域を歩くのも良いものです。
とりあえずは、友人宅の近くの五条近くを数日周ることにしました。
今回は、「京の異界」がテーマです。
あまり無理矢理に「葵祭り」と「異界」との接点を探すのは憚られますが、王城の地「京都」の歴史的なイベントは少なからず天地自然、人智の理を超えた現象に対するところから発生していますから、まあ…異界も又生活の一部でしょう。
■京都の三大祭りとは、葵祭 祇園祭 時代祭と言われています。
今回、京都に滞在していて(お恥ずかしい話ですが…)15日が葵祭りであることをまったく失念しておりました。
当日は、昨晩からの雨模様にて開催が危ぶまれておりました。 朝6時、サイトで確認すると「実行」されるとあり安堵しました。
この祭りは、京の三大祭の中で最も古く正式名を賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭でといいます。
石清水八幡宮のお祭りを南祭というのに対し、北祭とも呼ばれます。
今から約1400年前の欽明天天皇の時代に、暴風雨・大凶作に見舞われ疫病がはやり、賀茂の神々の祟りが原因と言われ、祭礼を行ったのが葵祭の起源とされています。
欽明天皇の時代と言えば在位中に仏教伝来があったことを思えば、古来日本の神々の怒りともいわれます。
賀茂一族は出雲系の豪族ですからこの二つの世界の権力闘争が裏側にあったのかもしれませんね。これも、異界との接点で起こった出来事でしょう。
雨空の下、出発近くの御所の東側で見物です。御所・健礼門を出て丸田町通りから河原町通りへ曲がるところです。
道路は片側車線を通行止めにして巡行しています。
今年の斎王代です。
もちろん、斎王の群行は南北朝の動乱が始まった頃が最後になりましたから、この祭りはその斎王の代行としての群行です。
斎王についてはWikipediaをご覧ください。
伊勢神宮までの群行ではありませんから、「斎院」と言った方が正しいのかも知れませんが…。
■下鴨神社
糺の森から入り、下鴨神社に向かいます。
明日のための準備を神官たちが忙しくしています。NHKのスタッフがその様子を撮影していました。
明日の12時前に、この下鴨神社に巡行が到着し、再び上賀茂神社に出発します。
ちなみに、下鴨神社は賀茂御祖神社が正式の名称ですし、上賀茂神社は、賀茂別雷神社となります。
■上賀茂神社
ちなみに、タイトルの「聊斎志異」とは、中国清朝時代に「聊斎」と言う人にによって書かれた「志異」不思議«異»を記«志»した書。との意味です。その京都版として、京都に言い伝えられている「異界」を巡るつもりで掲題しました。少々、オーバーですが…。
(聊斎とは書斎の名で、本名は蒲松齢といいます)
今回の旅程のネタ本は、この平凡社「聊斎志異」と淡交社の「京都・異界をたずねて」です。小生の好きな書籍の一つです。
古今東西、グローバル化という観念を知らなかった人間は異なった民族との接点で起こる不思議な事象や常識を超える事柄を、異界のモノとして描かれています。
参考サイト→中国版
参考サイト→聊斎志異の抜粋版