友人が、京都に引っ越したのを機にこの五月、友人宅を基点に滞在型の観光を試みてみました。
いつものように、観光客としして京都を巡るのと違い、ジモティーとして地域を歩くのも良いものです。
とりあえずは、友人宅の近くの五条近くを数日周ることにしました。
今回は、「京の異界」がテーマです。
前述の通り、京の「葬送の地」は
1・洛東の東山鳥野辺地区
2・落中の船岡山界隈
3・そして、この洛西の化野地区です。
化野の埋葬地としては、あまりにも有名な「念仏寺」です。
でも、この念仏寺とは二寺あります。
ひとつが有名な「化野念仏寺」です。他一寺が清滝方面に徒歩10分の「愛宕念仏寺」です。
アクセスは、嵐山から清滝方面のバスに乗り「鳥居本」バス停で降ります。
■念仏寺のリーフレットによれば、化野の地にお寺が建立されたのは、約千百年前、弘法大師が、五智山如来寺を開創され、その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属する。
この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。
境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓である。
何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没したいた。
明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。
賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。と、あります。
小生のイメージと異なり、随分と清楚でモダンな佇まいの寺です。
境内の中央は有名な[?]石仏、石塔が並んでいます。西院の河原です。
その奥にストゥーパがあります。これは珍しい形ですね。あまり知る人はいないとのことです。
水子供養の祠の脇を抜けると、竹林の径となります。その先が覧塔と六面六地蔵尊が祀られています。
■この念仏寺に至る鳥居本の街です。古くからある由緒のある街並みです。
■この鳥居本の街を抜け、清滝方面に徒歩10分ほどに「愛宕念仏寺」があります。
「おたぎ」念仏寺と読みます。
寺の伝によりますと、本堂(重要文化財)は鎌倉中期の再建によるもので、大正11年に堂宇の保存のため、嵯峨の地へ移築されました。
また、昭和56年、寺門興隆を祈念して、境内を羅漢の石像で充満させたいと発願し、10年後の平成3年に
「千二百羅漢落慶法要」を厳修しました。本尊は「厄除千手観音」。平安時代より厄除けの寺として厚く信仰されてきました。
おたぎ本地仏「火除地蔵菩薩」がまつられています。
■化野へのアクセスに、嵐山を通ります。
時間はかかりますが、京都駅からバスで嵐山へ。
ここから清滝行のバスに乗り換えます。
今日の嵐山は(いつもかもしれませんが…)、修学旅行生でいっぱいです。
ちなみに、タイトルの「聊斎志異」とは、中国清朝時代に「聊斎」と言う人にによって書かれた「志異」不思議«異»を記«志»した書。との意味です。その京都版として、京都に言い伝えられている「異界」を巡るつもりで掲題しました。少々、オーバーですが…。
(聊斎とは書斎の名で、本名は蒲松齢といいます)
今回の旅程のネタ本は、この平凡社「聊斎志異」と淡交社の「京都・異界をたずねて」です。小生の好きな書籍の一つです。
古今東西、グローバル化という観念を知らなかった人間は異なった民族との接点で起こる不思議な事象や常識を超える事柄を、異界のモノとして描かれています。
参考サイト→中国版
参考サイト→聊斎志異の抜粋版
いつものように、観光客としして京都を巡るのと違い、ジモティーとして地域を歩くのも良いものです。
とりあえずは、友人宅の近くの五条近くを数日周ることにしました。
今回は、「京の異界」がテーマです。
前述の通り、京の「葬送の地」は
1・洛東の東山鳥野辺地区
2・落中の船岡山界隈
3・そして、この洛西の化野地区です。
化野の埋葬地としては、あまりにも有名な「念仏寺」です。
でも、この念仏寺とは二寺あります。
ひとつが有名な「化野念仏寺」です。他一寺が清滝方面に徒歩10分の「愛宕念仏寺」です。
アクセスは、嵐山から清滝方面のバスに乗り「鳥居本」バス停で降ります。
■念仏寺のリーフレットによれば、化野の地にお寺が建立されたのは、約千百年前、弘法大師が、五智山如来寺を開創され、その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属する。
この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。
境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓である。
何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没したいた。
明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。
賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。と、あります。
小生のイメージと異なり、随分と清楚でモダンな佇まいの寺です。
境内の中央は有名な[?]石仏、石塔が並んでいます。西院の河原です。
その奥にストゥーパがあります。これは珍しい形ですね。あまり知る人はいないとのことです。
水子供養の祠の脇を抜けると、竹林の径となります。その先が覧塔と六面六地蔵尊が祀られています。
■この念仏寺に至る鳥居本の街です。古くからある由緒のある街並みです。
■この鳥居本の街を抜け、清滝方面に徒歩10分ほどに「愛宕念仏寺」があります。
「おたぎ」念仏寺と読みます。
寺の伝によりますと、本堂(重要文化財)は鎌倉中期の再建によるもので、大正11年に堂宇の保存のため、嵯峨の地へ移築されました。
また、昭和56年、寺門興隆を祈念して、境内を羅漢の石像で充満させたいと発願し、10年後の平成3年に
「千二百羅漢落慶法要」を厳修しました。本尊は「厄除千手観音」。平安時代より厄除けの寺として厚く信仰されてきました。
おたぎ本地仏「火除地蔵菩薩」がまつられています。
■化野へのアクセスに、嵐山を通ります。
時間はかかりますが、京都駅からバスで嵐山へ。
ここから清滝行のバスに乗り換えます。
今日の嵐山は(いつもかもしれませんが…)、修学旅行生でいっぱいです。
ちなみに、タイトルの「聊斎志異」とは、中国清朝時代に「聊斎」と言う人にによって書かれた「志異」不思議«異»を記«志»した書。との意味です。その京都版として、京都に言い伝えられている「異界」を巡るつもりで掲題しました。少々、オーバーですが…。
(聊斎とは書斎の名で、本名は蒲松齢といいます)
今回の旅程のネタ本は、この平凡社「聊斎志異」と淡交社の「京都・異界をたずねて」です。小生の好きな書籍の一つです。
古今東西、グローバル化という観念を知らなかった人間は異なった民族との接点で起こる不思議な事象や常識を超える事柄を、異界のモノとして描かれています。
参考サイト→中国版
参考サイト→聊斎志異の抜粋版