タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹林や自然と共に生きる」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

仏壇じまい

2024年11月17日 | 徒然なるままに

今年3月で常勤の仕事を退職したボクは、今年の最優先ミッションとして「父が建て住んでいた家の片付け」に取り組んでいます。ボクらもかつて住み、今の住居と隣接しているこの家。父が逝去してもう15年になるのですが、父母の代のみならず祖父母やそれ以前の代からの遺物も多く残る、わが家の歴史がたっぷり詰まった家なんです。父の死後、「ボクが退職したら片付けるぞ!」と家族に宣言して、ずっと後回しにしていたんですよ。面倒くさかったしね。今年になって始めたその片付けの様子を、このブログで何度か記事にしてきたんですが、覚えている方はいらっしゃいますか?

 

粗大ゴミ - タケ・タケ・エヴリバディ!

3月末に常勤の仕事を退職したボクは、4月から時間を見つけては「ある一大ミッション」に取り組んでいます。それは「父が昭和40年代に建てた家を片付けて」→「解体す...

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ボクの解体グッズ - タケ・タケ・エヴリバディ!

3月末で43年間のサラリーマン生活に終止符を打ったボクにとって、令和6年度に目処をつけたい大きなミッションに「15年前に亡くなった父が住んでいた家の片付け」がありま...

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その片付け作業もほぼほぼ目処がついて、ようやく「来年になったら解体工事を始める」計画について、業者との打ち合わせを行う段階までこぎつけました。片付け作業は「あと1割以下」で終了する段階まできたのですよ。

でも、その残り1割が厄介なのです。実は最後に残った片付けの対象は、「仏壇」と「神棚」なのですよ。

わが家はボクが8代目。江戸時代の寛政年間に、初代が本家から分家して以来200年以上の歴史があります。その本家(もう既に家は断絶しています)というのが、以前にブログでも紹介した有名人を輩出している旧家でね。詳しくはこちらをご覧ください。

 

第六十九銀行と山田権左衛門 - タケ・タケ・エヴリバディ!

長岡藩の「三傑」の1人である三島億二郎について、昨日のブログで取り上げました。昨日のブログの内容は、「長岡の復興のために身分を超えて話し合うメンバー『ランプ会』...

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シリーズ「米一万俵」④:大旦那様と八百政家のルーツ - タケ・タケ・エヴリバディ!

わが家(八百政家)は江戸寛政期から続く家で、ボク(八百政)が8代目になります(残念ながら8代で終わる予定です。9代目は埼玉在住。)。わが家の仏壇にしまってある家譜...

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まぁそんなことで、(おそらく)江戸時代から引き継がれていると推測される仏壇が、今もご覧のように仏間に鎮座しているわけです。さすがにこれを燃えるゴミと燃えないゴミに分別して、市のゴミ回収に引き取ってもらう勇気はボクにはありません。菩提寺の住職にも相談し、「仏壇じまい」のお経をあげていただいて仏壇や先祖代々の位牌等は処分し、新たに小さな位牌を作ることにしました。

先日その「仏壇じまい」の儀式を行うため、菩提寺の住職からわが家においでいただいてお経をあげていただきました。わが家の歴史とご先祖様に思いを馳せながらね。「仏壇じまい」は無事に終了し、ようやくこれでボクの肩の荷も下りました。

これで天下晴れて8代目・八百政が、先祖代々受け継がれてきた仏壇を処分いたします。でも、過去帳と御本尊(かけ軸)はちゃんと保管しておくし、小さいけれど新しい位牌も作りますからね。ご先祖様、勘弁してくださいね。なんとか今年中に仏壇と神棚を片付けて、来年の家の解体にこぎつけたいと思っています。

ところで、住職と一緒に仏壇の抽斗(ひきだし)の中を整理していたら、すごいモノが出てきたんですよ。この続きは、数日後にまたブログ記事で

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歴史文書館に行ってきた!

2024年11月16日 | ふるさと長岡・嗚呼!田舎暮らし

今年2024年は、ボクら長岡市民にとっては忘れることのできない「中越地震」から20年目の節目の年になります。震災記念日だった10月23日を中心に、年間を通して様々なイベントが開催されています。今日のブログ記事で紹介する、長岡市歴史文書館の企画展もその1つです。

長岡市歴史文書館は、市内の長倉西町にあります。昨年まで「サンライフ長岡」として勤労者の余暇活動の充実や健康の増進に寄与することを目的として使用されていた建物に、旧互尊文庫から移転してきました。

この歴史文書館で開催された「中越大震災20年と歴史文書館」という企画展に、行ってきました。企画展は11月16日(土)までの開催期間だったので、「滑り込みセーフ!」って感じでした。

企画展の様子を紹介する前に、わが家が20年前の中越地震でどんな被害を受けたのかを説明しますね。当時、ボクと妻は46歳。妻は長岡市内の職場で、ボクは燕市の職場で地震に遭いました。自宅にいたのは76歳の父と、高校1年生の娘でした(息子は首都圏で学生生活を送っていました)。地震後すぐにそれぞれが生存を確認し合うことはできましたが、娘からの情報で「家の中は大変な状況」であることや「電気も水道もストップしている」ことを知りました。ボクが自宅に戻れたのは深夜から未明にかけてでしたが、職場からようやく戻った妻と娘は余震の中で車中泊、父は家具が散乱する家の中で「眠れなかったわい」と言いながら、大イビキをかいていました(笑)。

そこからの数日間のライフラインがストップした中での生活や、自宅や職場の後片付けの様子は省略しますが、わが家は自宅は持ち堪えたものの、自宅に隣接している土蔵(おそらく明治期に建設?)は大きな被害を受けました。土蔵って、いわば「時代のゴミ箱」みたいなモノでね。そのゴミ箱がひっくり返ってグチャグチャになった様子には唖然とし、「いったいどこから手を付けようか?」って感じでした。

結局わが家は土蔵を解体し、その跡地にボクは今住んでいる小さな家を新築しました。家が完成したのは地震から2年後、ボクが単身赴任生活を送っているときのことです。ボクは単身赴任時代前半の週末帰宅時の多くの時間を、「土蔵の片付け」作業に費やしました。

その時、土蔵の中から多くの古文書等が出てきました。わが家の本家が(わが家ではないですよ)この地域では大きな地主だったので、分家のわが家にも「小作水揚げ帳」をはじめとする多くの水田耕作関係の古文書が残っていたというわけです。ボクは軽トラ1台分の古文書を長岡市に寄贈しました。その搬入先が、移転前の「長岡市文書資料室(現在の歴史文書館)」だったのです。前置きが長くなってごめんなさいね。ここでようやく、今日のブログの表題の「歴史文書館」につながります。

開催されていた企画展は思ったよりも小規模なものでしたが、20年前の地震を体験したボクにとっては感慨深いモノでした。当時わが家だけでなく多くの土蔵や家屋が解体されたり、公共施設に保存されていた古文書類も処分されそうになったため、その保存のために歴史文書館が大きな役割を果たしてきたことが、展示内容からよく理解できました。

そして、その展示物の1つである古文書の記録冊子の中に、ボクは見つけたのです。

わが家が寄贈した古文書に関する記録と、古文書に書かれた内容を復元したものが、冊子の中に残されて展示されていたのです。いやぁ〜なんか感激だなぁ。許可を得て、冊子の該当ページを撮影させてもらいました。

その後で学芸員の方と、いろいろ当時(地震から土蔵解体や古文書寄贈)のことや、わが家の歴史などについてもお話させていただき、とても有意義な時間を過ごすことができました。ボクが若い頃はまったく関心がなかったわが家の歴史について、この年になって(というか人生も終わりに近づいた頃になって)興味が湧くとは皮肉なものですね。15年前に亡くなった父は、それらに興味をもつことなくあちらの世界へ逝っちゃいましたので、今頃あちらでご先祖様に叱られていることでしょう。(笑)

年末年始に息子一家や娘一家が帰省して顔を揃えた時に、ちょっとわが家の歴史について語ろうかな?…と思いましたが、「また始まった!お祖父ちゃん、うるさいよ!」って息子や娘に言われるかな?やっぱりやめとくか?

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おじいちゃんの小さかったとき(松岡達英)

2024年11月15日 | 読みました!見ました!

今月のはじめに、栃尾美術館で開催されている「長岡市出身の絵本作家”松岡達英”展」を見に行ったことをブログで紹介しました。

 

栃尾で”松岡達英”展 と ”とちパル”の蕎麦! - タケ・タケ・エヴリバディ!

長岡市の栃尾地域にある「長岡市栃尾美術館」は、同じ長岡市内にある「県立近代美術館」なんかに比べると、規模がとても小さいこぢんまりした美術館です。ですが、なかなか...

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展示会場で松岡氏の描く繊細な画風にすっかり魅せられたボクは、地元出身の絵本作家という親しみもあり、図書館で松岡氏の絵本を借りることにしました。それが今日のブログの表題名でもあるこの本です。

この「おじいちゃんの小さかったとき」という題名を見て、「あれ?」っと疑問を抱いた方は、ボクのブログを隅から隅まで読んでいらっしゃる注意深い方ですね。実は11月2日のブログの中で紹介した松岡氏の絵本は、この本だったのです。

そうなんです。外観はまったく同じような装丁ですが、題名が違います。「おじいちゃんの小さかったとき」と「父さんの小さかったとき」です。実はこれ、絵本の内容はほとんど一緒なのですが、「父さんの…」が刊行されたのが1988年、「おじいちゃんの…」が刊行されたのが31年後の2019年です。つまりこの本は、時代に合わせてリニューアルされた、長く読み継がれている絵本なんですよ。

この絵本には昭和30年代の長岡の(「日本の…」と言ってもいいですね)光景、つまりボクが子どもの頃(実際にはボクよりも少し年齢が上の人達)の懐かしい暮らしの様子が、松岡氏特有の繊細なタッチでたくさん描かれています。

こんな当時の長岡の食文化も紹介されています。くじら汁、えご、ずいき…、懐かしい!

絵本の中には、当時の長岡駅前・大手通の描写もありました。この絵の中の、左上のこの部分がボクの目に留まりました。

おーっ!ボクの見慣れた姿がそこにありました。今も長岡の街に佇む「まいまいひめ」です。ボクとこの「まいまいひめ」のエピソードは、こちらの↙️記事をお読みください。

 

「まいまいひめ」の思い出 - タケ・タケ・エヴリバディ!

JR長岡駅大手口から西に向かい、信濃川に向かってまっすぐ伸びる大手通を進むと、商店街が終わる表町交差点の一角に「まいまいひめ」がいます。「まいまいひめ」というのは...

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なんて言ったらいいのかなぁ。「ボクはこの街で生きている」「昔も今も生きている」ってことを、しみじみ感じました。そして、「これからも生きていく」予定です。

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「新自由主義と教育改革〜大阪から問う〜」(高田一宏)

2024年11月14日 | 読みました!見ました!

岩波新書「新自由主義と教育改革〜大阪から問う〜」を読了しました。久しぶりに真面目な本をしっかり読んだ気がします。筆者は大阪大学教授の高田一宏氏です。

新自由主義の教育とは、欧米を中心に1980年代以降台頭した教育改革です。競争原理や成果主義を主軸とするこの改革は、海外でも「公教育の衰退」など様々な弊害を生んできました。日本国内でも見直しも進むなか、大阪におけるこの改革は勢いを増します。2008年に就任したの橋本知事が「教育非常事態宣言」を発出して教育改革に取みはじめ、主犯を「ダメ教員」と名指ししたことや、維新の会と教育委員会の抗争など、ボクの記憶にも当時のことが残っています。

その後、知事が代わっても継続されてきた大阪の教育改革は、学力による子ども・学校の選別、教員への管理強化などの政策を進めてきました。これがもたらした問題を丹念に検証し、改めて教育の意味を問う…というのが本書です。著者は批判的な立場で、データに基づいて大阪の教育改革を評価しています。

本書は大阪の事例を取り上げていますが、事例報告に終始しているわけではありません。全国的に程度の差こそあれ見受けられている問題が、本書の中では示唆されていると思います。教育界における「選択」や「競争」の強化の中で、何か釈然としないこと、「気になる話題」、「心に刺さる話題」について論述されています。多くの人が読んでみるべき内容が含まれていると思いました。

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つつんで、ひらいて(映画)

2024年11月13日 | 読みました!見ました!

中央図書館で開催された映画会で、ドキュメンタリー映画「つつんで、ひらいて」を見てきました。

この映画で取り上げているのは、装幀家の菊地信義さん。空前のベストセラーとなった俵万智「サラダ記念日」をはじめ大江健三郎、古井由吉、浅田次郎、平野啓一郎、金原ひとみら1万5千冊以上もの本を手掛け、40年以上にわたり日本のブックデザイン界をリードしてきた稀代の装幀家です。

この映画は、美しく刺激的な本づくりで多くの読者を魅了し、作家たちに愛されてきた菊地さんの仕事を通して、“本をつくること”を見つめたおそらく世界初のブックデザイン・ドキュメンタリーです。

こういうマニアックなドキュメンタリー映画は、大劇場ではなく小さなホールで見るのがいいですね。今回の映画会の参加者もわずか10数人。互いの息づかいが聞こえるような雰囲気の中で映画を鑑賞しました。しかも入場無料の図書館主催の映画会。お得感も満載でした。

本を取り巻く環境が急速な変化を遂げ、価値観が塗り替えられていく現代で、「読者が欲しくなる本」をこしらえ続ける菊地さんの創作の秘密を紐解き、本を創る人々の情熱と知恵を追いかけたこの映画は、本という表現の可能性をあらたに発見するための冒険と言えます。

なんかこれから書店に行ったら、きっとこれまでは気にならなかったディテールに目が行くことになりそうです。装幀を手がけたのは誰なのだろう?どんなこだわりが隠されているんだろう?どんな人が編集しどんな工場で印刷され製本されたんだろう?そんなことに想像をめぐらすことになりそうです。電子書籍では絶対に体験することができない世界ですね。この文化は絶やすことなく継承していかなくてなりませんね。

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