皆さんもご存知のように、今年は平成16年に新潟県を襲った中越地震から20年目の節目の年です。地震が発生した10月23日には、県内各地でさまざまな記念イベントも行われ、犠牲者の追悼と復興の振り返りが行われました。「あの時」からもう20年が経ったのですね。本当に感慨深いです。
ところで「中越地震」と聞くと、おそらく多くの方は「山古志村」を思い浮かべるのではないでしょうか?「全村避難」「奮闘する長島村長」「マリと小犬の物語」など、中越地震の記憶の多くは山古志とともにあり、「中越地震からの復興」と「山古志の復興」は多くの日本国民にとって同義だったと思います。
ですが、皆さんは覚えていますか?中越地震の震源地(震央)は、「山古志村」ではなく「川口町」だったことを。
実は今年、ボクが所属している防災活動のサークルで、「中越地震の震源地である川口を訪れて中越地震をもう一度振り返り蕎麦を食おう」という話がもち上がり、今日(11月9日)の半日、有志のメンバーで「川口→小千谷」のコースを辿り「中越地震を振り返る研修」を行われました。まぁ研修と言ってもそんなに大袈裟なものではなく、「秋の日にドライブも兼ねて震源地を訪れ、美味い蕎麦を食う」っていう軽いノリなんですけどね。
今は長岡市に合併された旧・川口町の武道窪が、2004年10月23日17時56分に発生した中越地震の本震の震源地(震央)です。そこは現在「震央メモリアルパーク」として整備されていますが、川口地域の中でもかなり山の上の方にあり、訪れる人はほとんどいない状況です。
そこには、こんな記念碑も建てられていました。記念碑には、当時の小中学生だった子どもたちの寄せ書きも記されています。あれから20年が経ち、子どもたちも立派な大人に成長したことでしょう。
案内をお願いした地元の方が、「この下の棚田が震源地です」と説明してくださっています。中越地震の記憶をしっかり伝承していくために、地元の中学校では毎年中学3年生が遠足でこの地を訪れることが伝統になっているそうです。
中越地震の震源地で震度7を記録した川口の震央のさらに山の上にある木沢集落。そこの古民家で営業しているお蕎麦屋さんが、「木沢里山食堂(木沢ハウス)」です。今日はそこで「お昼にお蕎麦をいただく」というお楽しみも計画されました。蕎麦好きのボクにとっては、何よりも楽しみな設定です。
木沢集落で生まれ育った店主がふるまってくれる蕎麦は、二八の手打ち蕎麦。野趣溢れる黒っぽい蕎麦は、新潟県特有の布海苔つなぎ(いわゆる「へぎそば」)ではない美味しさがあります。
神楽南蛮などの野菜の天麩羅に、上のような小鉢料理もついて1500円。こんなに安くていいの?いやぁ〜美味かった!お腹もいっぱいになりました。特に美味しかったのがこれです。
味が染み込んだ美味しい大根の煮付けと、
新米のコシヒカリを握った「おにぎり」に手作りの「神楽南蛮味噌」。いやぁ〜!日本人に生まれてヨカッタ!
食後には店主のHさんから、中越地震の思い出や復興の歴史などのお話もたくさんお聞きし、とても有意義でした。
お腹がいっぱいになったところで、ボクらは川口を後にして小千谷に向かいました。行き先はここ、午後の研修場所である「小千谷震災ミュージアム『そなえ館』」です。
施設内を見学したり3D映像で地震体験をしたりした後、中越地震当時に市役所の職員として避難所運営や物資の調達の仕事を担当していたOさんのお話を聞かせていただきました。
当時の映像や写真を見せていただきながらお聞きしたお話は、地震から20年経った今でも生々しくボクらの記憶を蘇らせました。そして今も苦しんでいる能登の人たちのために、かつての経験から学んだ知見を生かしていかなければならないよなぁ…と実感しました。
秋の1日(まぁ実際には半日とちょっと)をとても有意義に、そして美味しくお腹いっぱいに過ごさせてもらいました。
蛇足ですが、本日に無事に「ブログ開設1000日目」の記念日を迎えました。皆さんからのご愛顧に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。