2月18日(日)
「月島」に行った時の事を詳しく書きたいと思います。
地下鉄 都営大江戸線 月島駅を降りた私は
最初に「もんじゃ焼きストリート」を
歩きました。
その端っこ「四」まで着いた時
朝にホテルで検索していた「観光スポット」を
googleマップで調べてみると
一番近いのが「勝鬨橋(かちどきばし)」でしたので
「よし、行ってみよう!」
と思いました。
これが勝鬨橋です。
名前がものものしいので今(2/24)調べてみたのですが
「日露戦争」の「旅順陥落戦勝記念」として
有志により「勝鬨の渡し」が作られた事に
端を発しているようです。
船の通行にあたって
橋体が上方に開くようになっている
「跳開橋(ちょうかいきょう)」と呼ばれる橋だそうです。
今思うと
「何も知らずにとんでもない所へ行っちゃったのかも?」
と思いますけど💦
ここからの眺めは美しくて気に入りました。
隅田川の向こうに立ち並ぶビル。
現在と過去が同居していて
東京は水の街
水上交通で栄えてきた街なのだなぁと
しみじみ感じさせられるやさしい光景でした。
(なのでこの写真何度も使っています)
今は夜にこの橋が
ライトアップされて美しいみたいですよ。
次に目指したのは「佃公園」です。
もんじゃストリートを戻りつつ
途中から一本別な横道に入り
どんどん最初の地点の方向へ戻って行くと佃公園がありました。
お天気が良かったからか
小さな子どもたちが数人遊具で遊んでいました。
子どもたちを見守る
温かいおばあちゃんの目もありました。
佃公園から
次の目的地「佃小橋」が見えました。
佃小橋
赤くて目立つ外観です。
こちらも今調べてみたのですが
勝鬨橋より歴史が古く江戸時代まで遡るとの事です。
(1644年建立)
まず江戸時代には「佃島(築造された)」だったのですが
家康の命により摂津の国佃村(現大阪市西淀川区佃)から
移り住んだ漁師たちによって開拓されたのだそうです。
佃小橋の斜め下には
幕府より建立を許された大幟の柱と抱(だき)が
水中にタイムカプセルのように埋設されており
3年に1度
本祭で立てられるとのことです。
最後に「住吉神社」に行きました。
ホテルで検索した時
住吉神社は「海上安全・渡航安全の守護神」として
信仰を集めている
「月島」「勝鬨」「豊海」「晴海」の
4つの地域の氏神として信仰されている
と書いてあったからです。
地元の人を長い間
見守り続けてきたであろう住吉神社は
穏やかで静かな場所でした。
紅梅と
白梅が
どちらもやさしく咲いていました。