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食材辞典 マラスキーノ酒

2012-05-21 12:00:00 | アラカルト
マラスキーノ酒
マラスキーノ (Maraschino) とは、マラスカ種(酸味の強いブラックチェリー)
のサクランボを原料としたリキュール。
カクテルのレシピ集には、マラスキーノ・チェリーも頻繁に登場するため、
マラスキーノ・リキュールと表記される場合もある。
名産地はイタリア北部のトリエステ近郊や、クロアチア、スロベニア。
もともとは、アドリア海を挟んでイタリアの向かい側に位置するダルマチア
地方で、神のお酒として伝統的に作られてきたリキュール。
1821年、イタリアのジェノヴァ出身のジロラモ・ルクサルドが、当時ダルマ
チア領だったツァラ町で生んだ酒。
現在はイタリアのパドヴァで生産。
製造過程でサクランボの種子を破砕するため、アーモンドに似た独特の香気
を呈するのが特徴。
甘口で濃厚な味。
アルコール分も35%で強すぎず、弱すぎないお酒です。


現在のマラスキーノ酒は、3回蒸留、3年以上熟成させている。


原料となるマラスカ種チェリーは、小さくて黒くて苦みが強く、乾燥させて安く売るだけの商品価値しかない無価値なフルーツ。しかし、18世紀の頃から、地元の人々は、このチェリーを使って地酒ともいうべきマラスキーノを作っていたのです。
 そのマラスキーノが一躍脚光を浴びたのが、ナポレオン戦争のときでした。全ヨーロッパが武装し、各地で戦いが繰り広げられる中、兵士たちはマラスキーノのような強いお酒に群がりました。軍隊ばかりでなく、北部ヨーロッパでは市民の間にもマラスキーノ人気は高まります。よりいっそう酒精を強くしたショック・マラスキーノも作られ、ダルマチア地方は時ならぬ活況を呈することになります。
 しかし、ナポレオン戦争の終結とともに、マラスキーノは見向きもされなくなります。優雅さのかけらもない、ただ強いだけの粗野なお酒は、平和を享受する人々には不向きだったのです。 ルクサルド社の創業者であるジロラモ・ルクサルドが登場するのは、マラスキーノ業界が暗雲におおわれていたこの時代です。彼は原点に立ち返り、それをさらに洗練させた新しいタイプのマラスキーノ作りに挑戦していきます。納得のできる洗練された豊潤な香味が得られるまで、彼は何度も蒸留実験を繰り返したといいます。
 ジロラモ・ルクサルドがダルマチア地方のツァラに最初の工場を建てたのは1821年のこと。彼が37歳のときでした。当時の彼のプロフィールを伝える歴史家の文章があります。「スポーツで鍛えられた、華々しい経歴を物語る落ち着いた高貴な顔」……。彼は貴族の家柄に生まれ、その妻も侯爵家の出身でした。
 8年後には、時の権威であったオーストリアから専用製造権という特権を授与され、マラスキーノ・ルクサルドはリキュールとしての確固たる地位を確立していくことになります。ルクサルド社の工場は、ツァラで最大の規模を誇り、マラスキーノ・ルクサルドは世界中に輸出されていきました。
 このリキュールを最も愛したのがオーストリア皇帝でした。後に、皇室御用達の菓子店デメルは、このリキュールの独創的な風味をお菓子の中に見事に再現しています。
ジロラモの素晴らしさは、一度は死んだマラスキーノを洗練されたお酒として甦らせただけではありません。マラスキーノ・ルクサルドを印象づけるためのボトルラッピングに、画期的なアイディアを展開したのです。それは、緑色の細いボトルをストローで包むというアイディアでした。このラッピングによってルクサルド社のブランドが印象づけられるだけでなく、船ではるか遠い国に輸送するときにも破損を防ぐことができます。
 後に、このストロー・ラッピングは他の業者もまねをすることになり、マラスキーノの代名詞になっていきます。


創業以来、変わらないルクサルド社の熟練の製法 曲がりなりにも平和な時代が続き、後継者にも恵まれたルクサルド社は繁栄の一途をたどります。しかし、再び戦争の陰が忍び寄ってくることになるのです。1914年、第一次世界大戦の勃発。1917年、ロシア革命の勃発。操業が停止され、売掛金の貸し倒れが相次ぎ、ルクサルド社の業績は急激に落ち込むことになります。
 やがて、戦争の終結後にもたらされた束の間の平和。しかし、第二次世界大戦に向かって、世界は徐々に歩みを進めていました。1943年、大空襲により初代ジロラモの築いたツァラの工場が焼失。4万8千リットルもの純粋アルコールが灰に帰すことになります。ツァラの人々の実の5人に1人が死亡するという大空襲。ルクサルド・ファミリーも、その例外ではありませんでした。
 しかし、ただ一人生き残ったジョルジョ・ルクサルドは、廃墟の中で雄々しく立ち上がります。ルクサルド社の復興は驚くほどのスピードで進んでいきました。スラブ人の手に落ちたダルマチアを離れ、愛するイタリアのトレッリアに新工場を建設。名実ともにイタリアを代表する名酒として、マラスキーノ・ルクサルドが甦ったのです。
 大戦終結の6年後には、早くもイタリア飲料輸出業者リストのトップになり、この分野での輸出合計の25%をマラスキーノで占有することになります。ストロー・ラッピングを施したボトルは、再び世界の果てまで届くことになったのです。
 新鮮なチェリーが工場に運ばれると、すぐさま種をとって高圧プレスにかけられ、クラッシュされていきます。このジュースを木の樽でゆっくりと熟成させ、単式蒸留を経て、さらに特別仕立ての大樽で3年に渡って熟成させて生まれる豊潤な香りのマラスキーノ・ルクサルド。その製法は、創始者であるジロラモ・ルクサルドの時代と寸分の変わりもありません。
チェリー独特の香味をさらに濃厚に凝縮させ、優雅な気品に満ちたリキュールに仕上げたルクサルド・ファミリーたち。昔も今も、その豊潤な香りをお菓子に生かすべく、世界のパティシエたちは腕を競っているのです。


日本で「チェリー・ブランデー」というと、このマラスキーノのことを指す
ことが多い。
カクテルやアイスクリーム、パフェなどに添えられるマラスキーノ・チェリーは収穫したチェリーを塩水に漬けて、着色剤、シロップ、アルコール、香味料に漬け込んで作られますが、もともとはこのリキュールで作られていました。




本来このマラスキーノに浸漬して作るもの。


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