大阪に引っ越ししてきて、指導部に移動になり、「よーし、がんばるぞ!」と、はりきって出社!
しかーし!
「営業から指導部に移動になった新人」=「営業で使いものにならなかったダメ社員」
というのが、この会社のお約束的見解なのですよ。
もう営業ができないやつは人類じゃない!ってくらいの勢いですよ。
、転任してきて挨拶に行って、そのあと大阪の所長に
「お前は、できなくてここにやってきたんだ!」
って感じでお昼の定食を食べながら、めちゃ怒られたのを覚えてます。
もうイキナリ!涙目!
でも所長は面白くて、何事にも熱い、人に対して根底に愛のある人でした。
怖いけど、みんなから慕われていて、私も嫌いじゃなかった。
ちなみにこの所長さんは1年くらいで栄転されて、いなくなっちゃいました。
「指導部」の仕事をかいつまんで説明してみると・・・
ファックス指導が主。
50人くらいの中学生を社員一人が担当してます。
そんで子供から送られてくるファックスの添削をします。
担当の子には週に2回、電話する曜日と時間が決まっていまして、勉強の進行具合や教材のわからないところなんかをアドバイス。
大体夕方から夜の9時くらいまで、ずーっと電話。はい、また電話デスヨ・・・。
でもテレアポ営業の時と違って、がチャン!って怒られて切られることはない。
(でも子供が家にいないことは多々ある。)
あとファックスを毎日送ってくるようにと、フォロー電話したりね。
この
「生徒がどれだけファックスをちゃんと送ってきているか」
っていうのも提出率を全部計算して数字化し、グラフにして張り出しですよ!
なので、提出率がよくないと指導不足!ってことで、怒られる。
このファックス指導は基本は3か月だけしかついてないので、3か月たったら
「そろそろ終了ですけど、どうされますか?継続されますか~?」
って、親子さんに何とか継続してもらえるように、アプローチする。
これも「継続率」っていうのを計算して、この数字が低かったら、指導不足!となるわけ。
あと、春と夏・冬に特別講習があり、これはふつうの塾の夏期講習みたいに電話やファックスじゃなくて、
普通の講義をする。
その講義も写真で教科を振り分けて、事業をしますよ。私は国語担当だったかな。
「講習会は別料金ですけど、ぜひ受けましょう!」とアプローチして、受け持ちの生徒を動員しないといけない。
これも「動員率」っていうのを計算し、数字が低いと指導不足!って怒られる。
というわけで、もうすべてが数値化されて、グラフになって張り出されるので、会社の中は営業部のころとあまり雰囲気は変わらない。
仕事は主に電話だし、数字をいつも電卓で計算しては一喜一憂です。
で、「電話で勉強を教えてはいけない」っていう決まりもあってね。
あくまで教材をうまく使えるがためのファックス指導なので、わからない問題はファックスで送ってもらって、書面で指導するってのが鉄則です。
営業と大きく違うのは、外に出ることがほぼない。
ずーっとオフィスで添削して電話する毎日。
それでも営業時代に比べれば、仕事は楽しかったかな。
時々、モーレツなクレームがきたり、継続してくれてても
「塾に行くことにしますんで~」って、やめちゃったり。
ごくまれに「先生のおかげで、志望校に合格したんです!」ってものすごく感謝されることもありましたが、めったいにないです。
受け持ちの子供のために、年度替わりじゃないと退職認めないっていう制度があって、年度替わりの3月にならないと退職できない。
電話とファックスで指導、って当時、なかなか画期的だっと思うけど、
それでもやはり対面で教えてもらえる塾や家庭教師に比べたら、全然弱いシステムだった。
今、もしこの仕事をどうしてもやれ!って言われたら年をとったこともあり、もっとうまくこなせるだろうなーって思ってしまう。
まあ今の時代に、ファックス指導ってね、ないだろうけどねえ。いや、まだあの部署あるのか?
このころ、25歳。
若いだけで、何にも知らない、できない子だったわー。まあ向いてなかったんだと思いますが。この職業に。
周りはほぼ同じ世代の若い人が多くて、仕事終わりにみんなでカラオケいって朝まで飲んで~とか、わやわや楽しい会社でした。
同年代の友達もすごい面白い人が多くって、ひとには恵まれていたのかなあ。
そのせいか、この職場で出会って結婚した人が結構たくさんいましたね。(そしてみんな辞めてる)
「ええ!あの人とあの人!付き合ってたの!!!」
みたいなこともいっぱいあった。
あのころ、仕事は嫌いだったけど、それよりも全然うまくできない自分のことがいやだった。
仕事とはいえ、やりたくないことをやることは、ほんとに辛い・・・っていうことが身に染みてわかったんだと思います。
周りの人たちもやさしくていい人多かったし、仕事もルーチンでこなしていけば、そこまでひどい!ってわけでもなかったのかもしれない。
でも、本当にやりたくない!つまらん!ってのが何より大きかったのかなあ。若かったわね・・・。
ちなみに、電話が今でも大の苦手です。電話をかけるのが特に。
今でも、美容院の予約電話するだけでも、ものすごい心がふさぐんです。
電話するのはいつも「えい!」って勢いつけないとできない。
なんでだろうと思ってたけど、この日記を書いてたら、この仕事の影響だったんだなあーとわかった。
というわけで、年度が変わるときに、思い切って退職してやりました。
退職したら、手続きがいろいろ大変なんだ!と、世の仕組みをもろもろ初めてしったのであった。
つづきます。
しかーし!
「営業から指導部に移動になった新人」=「営業で使いものにならなかったダメ社員」
というのが、この会社のお約束的見解なのですよ。
もう営業ができないやつは人類じゃない!ってくらいの勢いですよ。
、転任してきて挨拶に行って、そのあと大阪の所長に
「お前は、できなくてここにやってきたんだ!」
って感じでお昼の定食を食べながら、めちゃ怒られたのを覚えてます。
もうイキナリ!涙目!
でも所長は面白くて、何事にも熱い、人に対して根底に愛のある人でした。
怖いけど、みんなから慕われていて、私も嫌いじゃなかった。
ちなみにこの所長さんは1年くらいで栄転されて、いなくなっちゃいました。
「指導部」の仕事をかいつまんで説明してみると・・・
ファックス指導が主。
50人くらいの中学生を社員一人が担当してます。
そんで子供から送られてくるファックスの添削をします。
担当の子には週に2回、電話する曜日と時間が決まっていまして、勉強の進行具合や教材のわからないところなんかをアドバイス。
大体夕方から夜の9時くらいまで、ずーっと電話。はい、また電話デスヨ・・・。
でもテレアポ営業の時と違って、がチャン!って怒られて切られることはない。
(でも子供が家にいないことは多々ある。)
あとファックスを毎日送ってくるようにと、フォロー電話したりね。
この
「生徒がどれだけファックスをちゃんと送ってきているか」
っていうのも提出率を全部計算して数字化し、グラフにして張り出しですよ!
なので、提出率がよくないと指導不足!ってことで、怒られる。
このファックス指導は基本は3か月だけしかついてないので、3か月たったら
「そろそろ終了ですけど、どうされますか?継続されますか~?」
って、親子さんに何とか継続してもらえるように、アプローチする。
これも「継続率」っていうのを計算して、この数字が低かったら、指導不足!となるわけ。
あと、春と夏・冬に特別講習があり、これはふつうの塾の夏期講習みたいに電話やファックスじゃなくて、
普通の講義をする。
その講義も写真で教科を振り分けて、事業をしますよ。私は国語担当だったかな。
「講習会は別料金ですけど、ぜひ受けましょう!」とアプローチして、受け持ちの生徒を動員しないといけない。
これも「動員率」っていうのを計算し、数字が低いと指導不足!って怒られる。
というわけで、もうすべてが数値化されて、グラフになって張り出されるので、会社の中は営業部のころとあまり雰囲気は変わらない。
仕事は主に電話だし、数字をいつも電卓で計算しては一喜一憂です。
で、「電話で勉強を教えてはいけない」っていう決まりもあってね。
あくまで教材をうまく使えるがためのファックス指導なので、わからない問題はファックスで送ってもらって、書面で指導するってのが鉄則です。
営業と大きく違うのは、外に出ることがほぼない。
ずーっとオフィスで添削して電話する毎日。
それでも営業時代に比べれば、仕事は楽しかったかな。
時々、モーレツなクレームがきたり、継続してくれてても
「塾に行くことにしますんで~」って、やめちゃったり。
ごくまれに「先生のおかげで、志望校に合格したんです!」ってものすごく感謝されることもありましたが、めったいにないです。
受け持ちの子供のために、年度替わりじゃないと退職認めないっていう制度があって、年度替わりの3月にならないと退職できない。
電話とファックスで指導、って当時、なかなか画期的だっと思うけど、
それでもやはり対面で教えてもらえる塾や家庭教師に比べたら、全然弱いシステムだった。
今、もしこの仕事をどうしてもやれ!って言われたら年をとったこともあり、もっとうまくこなせるだろうなーって思ってしまう。
まあ今の時代に、ファックス指導ってね、ないだろうけどねえ。いや、まだあの部署あるのか?
このころ、25歳。
若いだけで、何にも知らない、できない子だったわー。まあ向いてなかったんだと思いますが。この職業に。
周りはほぼ同じ世代の若い人が多くて、仕事終わりにみんなでカラオケいって朝まで飲んで~とか、わやわや楽しい会社でした。
同年代の友達もすごい面白い人が多くって、ひとには恵まれていたのかなあ。
そのせいか、この職場で出会って結婚した人が結構たくさんいましたね。(そしてみんな辞めてる)
「ええ!あの人とあの人!付き合ってたの!!!」
みたいなこともいっぱいあった。
あのころ、仕事は嫌いだったけど、それよりも全然うまくできない自分のことがいやだった。
仕事とはいえ、やりたくないことをやることは、ほんとに辛い・・・っていうことが身に染みてわかったんだと思います。
周りの人たちもやさしくていい人多かったし、仕事もルーチンでこなしていけば、そこまでひどい!ってわけでもなかったのかもしれない。
でも、本当にやりたくない!つまらん!ってのが何より大きかったのかなあ。若かったわね・・・。
ちなみに、電話が今でも大の苦手です。電話をかけるのが特に。
今でも、美容院の予約電話するだけでも、ものすごい心がふさぐんです。
電話するのはいつも「えい!」って勢いつけないとできない。
なんでだろうと思ってたけど、この日記を書いてたら、この仕事の影響だったんだなあーとわかった。
というわけで、年度が変わるときに、思い切って退職してやりました。
退職したら、手続きがいろいろ大変なんだ!と、世の仕組みをもろもろ初めてしったのであった。
つづきます。