若い時の身替わりの早さは、今から思うと我ながらすごいものである。
経済新聞社では記事校正や整理の勉強をさせてもらったが、
広告コピーを学びたいという思いが強くなった私は、何ともあっさりと辞表を提出。
小さなデザイン事務所の「見習いコピーライター募集」の記事を見つけて応募した。
見習いというだけあって、作品も何もない私でさえ簡単に採用されることになった。
そこで「ラッキー」と思ったのも束の間、簡単に採用されたのには、それなりの理由があった。
そこはデザイン事務所とは名ばかりで、完璧な版下屋さんだと、出勤1日目にしてわかったのだ。
今のようにコンピューターでデザインやレイアウトするのではなく、
当時は、デザイナーがケント紙上にデザインし、
コピーライターが原稿用紙に書いたコピー、カメラマンが撮影した写真などを添えて、版下屋さんに送付。
そこで写植屋さんが文字をレイアウト通りに打って、写真文字に。
そして製版に向けて、それぞれの写真やイラスト、写真文字などを、
1枚の台紙に手作業で張り込んでいく版下という行程があったのだ。
もちろん、その会社には、私が希望したコピーライティングの仕事もなければ、
教えてもらえる先輩のコピーライターもいなかった。
ところが、さすがに社長は抜かりがない。
「わが社でも近い将来、デザイン業もやりたいので、コピーライターが必要になるときが必ず来る。
そのときのために、自分で考えたコピーを文字として打つ写植を勉強してみないか」
というのである。
後で考えると、コピーライターが自分の原稿を自分で写植に打つことなどあり得ないのだが、
そこはいい加減なヤング思考。機械の前に座り文字を探して打つという行為はゲームっぽくて、
『長い人生やもん、写植を覚えておいても損はないやろう』
という安易な気持ちと好奇心だけでやることにした。
そこで、写植歴10数年のNさんという男性オペレーターに教えてもらうことになった。
ヘアスタイルはトニックをベッタリつけたオールバックで、肩に白いフケが目立つ男性だったが、
優しい物言いの人で丁寧に教えてもらった。
文字を探して原稿通り打てたら印画紙を取り出し、暗室で現像する。
当初、文字を探すのに随分時間がかかったが、予想以上に早く上達し、
与えられた仕事は適当にこなせるようになった頃のこと。
Nさんの態度が急変し、私に対して口を一切きかなくなったのである。
最初は冗談かとも思っていたのだが、どんな質問をしても無視され、
呑気な私には何の理由も思いあたらなかった。
Nさんの態度は数週間しても変わろうとせず、段々と腹立たしくなった私は
『よしっ、こうなったら全部覚えて、サッサと辞めてやる!』
と、挑戦的になってしまったのである
意を決した私は、社長に直接「会社を辞めたい」と申し出て、
「コピーをきちんと勉強したいから」という理由も説明した。
すると、社長はその場へNさんを呼び、私の気持ちを伝えてくれた、その時だ。
30歳も過ぎようとする男が拳を両膝にのせたまま、その場でうつむき静かに泣き出したのである。
当時の私にはその理由などまったく分からなかった。
分かろうともしなかった。
しかし、これが泣くほどのことなのか……。
またしても心底から感じた。『こ、こんな男もいるんだ!』。
そして、この時以来、せっかくマスターした写植技術を、
長いライター生活のなかで使うことは2度となかったのである。
(つづく)
経済新聞社では記事校正や整理の勉強をさせてもらったが、
広告コピーを学びたいという思いが強くなった私は、何ともあっさりと辞表を提出。
小さなデザイン事務所の「見習いコピーライター募集」の記事を見つけて応募した。
見習いというだけあって、作品も何もない私でさえ簡単に採用されることになった。
そこで「ラッキー」と思ったのも束の間、簡単に採用されたのには、それなりの理由があった。
そこはデザイン事務所とは名ばかりで、完璧な版下屋さんだと、出勤1日目にしてわかったのだ。
今のようにコンピューターでデザインやレイアウトするのではなく、
当時は、デザイナーがケント紙上にデザインし、
コピーライターが原稿用紙に書いたコピー、カメラマンが撮影した写真などを添えて、版下屋さんに送付。
そこで写植屋さんが文字をレイアウト通りに打って、写真文字に。
そして製版に向けて、それぞれの写真やイラスト、写真文字などを、
1枚の台紙に手作業で張り込んでいく版下という行程があったのだ。
もちろん、その会社には、私が希望したコピーライティングの仕事もなければ、
教えてもらえる先輩のコピーライターもいなかった。
ところが、さすがに社長は抜かりがない。
「わが社でも近い将来、デザイン業もやりたいので、コピーライターが必要になるときが必ず来る。
そのときのために、自分で考えたコピーを文字として打つ写植を勉強してみないか」
というのである。
後で考えると、コピーライターが自分の原稿を自分で写植に打つことなどあり得ないのだが、
そこはいい加減なヤング思考。機械の前に座り文字を探して打つという行為はゲームっぽくて、
『長い人生やもん、写植を覚えておいても損はないやろう』
という安易な気持ちと好奇心だけでやることにした。
そこで、写植歴10数年のNさんという男性オペレーターに教えてもらうことになった。
ヘアスタイルはトニックをベッタリつけたオールバックで、肩に白いフケが目立つ男性だったが、
優しい物言いの人で丁寧に教えてもらった。
文字を探して原稿通り打てたら印画紙を取り出し、暗室で現像する。
当初、文字を探すのに随分時間がかかったが、予想以上に早く上達し、
与えられた仕事は適当にこなせるようになった頃のこと。
Nさんの態度が急変し、私に対して口を一切きかなくなったのである。
最初は冗談かとも思っていたのだが、どんな質問をしても無視され、
呑気な私には何の理由も思いあたらなかった。
Nさんの態度は数週間しても変わろうとせず、段々と腹立たしくなった私は
『よしっ、こうなったら全部覚えて、サッサと辞めてやる!』
と、挑戦的になってしまったのである
意を決した私は、社長に直接「会社を辞めたい」と申し出て、
「コピーをきちんと勉強したいから」という理由も説明した。
すると、社長はその場へNさんを呼び、私の気持ちを伝えてくれた、その時だ。
30歳も過ぎようとする男が拳を両膝にのせたまま、その場でうつむき静かに泣き出したのである。
当時の私にはその理由などまったく分からなかった。
分かろうともしなかった。
しかし、これが泣くほどのことなのか……。
またしても心底から感じた。『こ、こんな男もいるんだ!』。
そして、この時以来、せっかくマスターした写植技術を、
長いライター生活のなかで使うことは2度となかったのである。
(つづく)