昔、深呼吸を2~3度せざるを得ない出来事があった。
短大時代のことだ。
入学時に母が決めた女子寮に嫌気がさし、2回生になったのを機に、ひと月5000円という格安の下宿先を見つけて引っ越した。
よく言えば「小さなお家」だが、古い農家の庭に建てられた簡素なプレハブハウス。
薄っぺらいドアを開けると、6畳の部屋の片隅に小さな炊事場があり、奥にくみ取り式トイレ付きという古い簡易住宅だった。
夏になれば、バターが完全に溶けるサウナのように暑さで、
『ブーフーウー』のワラの家のごとく、台風でも来ようものなら吹き飛ばされてしまいそうな部屋だった。
まだ周りに田んぼが残るその地域は、夜になると、たくましいカエルの大合唱が繰り返された。
大家さんは市役所勤めの40代くらいの女性で、子どもは小学生の男女2人というシングル家庭。
世話好きのよくしゃべるおばさんで、
私を「お姉ちゃん」と呼び、何かあるごとに母屋に呼んでは、お茶をごちそうしてくれた。
お風呂は原則、銭湯だったが、おばさんは気が向くと内風呂に入れてくれた。
とはいえ、年代物の五右衛門風呂で釜にふれると熱いうえ、板を踏んで入るスタイルで、
最初は汗を流すというより汗だくになる始末。
お向かいには、テレビドラマに出てきそうな噂好きのオバサンがいて、
「お姉ちゃん、女の一人暮らしに男の出入りは禁物やで」と、いらぬおせっかいも焼いてくれた。
洗濯は、炊事場で手洗いだったが、もの干し場は母屋の前にある大家さんのものを借りていた。
授業が始まるギリギリまで寝ていた私の洗濯時間は、いつも夜。だいたい2~3日分まとめて洗っていたが、
その日も一人のわびしい夕食の後、余り気乗りのしないまま洗濯をして、もの干し場に向かった。
午後9時ごろのことである。
きょうはなんだか様子が違うなと思いつつ、
それでも、何も考えずに洗濯物を干し始めたところで、妙なうめき声が聞こえてきた。
「ア・・・・・・・・・・・」
『えっ! 何の声? 』
『もしかして、あの時~の声? しかも、おばさんの・・・』
よく見ると、真夏だというのに母屋の雨戸はすべて閉められていた。
それでも、途切れることなく聞こえてくる。
「ア・・・・・・・・・・・」
『これって絶対、おばさんの声やん! 』
しかも、近所に響くくらいすごい声なのだ。
「ア・・・・・・・・・・・」
静寂のなかで続く声に、落ち着こうと、まずは深呼吸。
子どもたちはどうなってんの? と心配しながら、また深呼吸。
『そういえば最近、「お兄ちゃん」と呼ばれる同じ職場の若い男性が、よく来てご飯を食べてたな・・・・』
『あの兄ちゃん? 』
『お向かいのスピーカーおばさんにも聞こえてるよ』
あれこれいろいろなことを詮索しながら、私は冷静を装って洗濯物を干し終えた。
半年後、アルバイトの店に近く、知り合いも多い京都に引っ越したのだが、
おばさんとは縁があったらしい。
2年後、大阪のオフィス街を彼(現在の夫)と歩いている時、ばったりとおばさん家族と出会ったのだ。
家族は、なんと4人。一緒だったのは例の青年ではなく、子どもたちもしっかりなじんで、
年齢もおばさんより年上風の、いかつい顔のおやじさんだった。
「あっら、まあ、お姉ちゃん! 元気にやってるん? 」
「はい! その節はお世話になりました」
以前どおり屈託のない威勢のいい声で話かけてきたおばさん。
何の紹介もなかったが、元の旦那と因りが戻ったのだなと直感した。
気持ちがいいくらい見栄も、体裁も捨てた生き方。
清々しさとともに、たくましさをも感じずにはいられなかった。
短大時代のことだ。
入学時に母が決めた女子寮に嫌気がさし、2回生になったのを機に、ひと月5000円という格安の下宿先を見つけて引っ越した。
よく言えば「小さなお家」だが、古い農家の庭に建てられた簡素なプレハブハウス。
薄っぺらいドアを開けると、6畳の部屋の片隅に小さな炊事場があり、奥にくみ取り式トイレ付きという古い簡易住宅だった。
夏になれば、バターが完全に溶けるサウナのように暑さで、
『ブーフーウー』のワラの家のごとく、台風でも来ようものなら吹き飛ばされてしまいそうな部屋だった。
まだ周りに田んぼが残るその地域は、夜になると、たくましいカエルの大合唱が繰り返された。
大家さんは市役所勤めの40代くらいの女性で、子どもは小学生の男女2人というシングル家庭。
世話好きのよくしゃべるおばさんで、
私を「お姉ちゃん」と呼び、何かあるごとに母屋に呼んでは、お茶をごちそうしてくれた。
お風呂は原則、銭湯だったが、おばさんは気が向くと内風呂に入れてくれた。
とはいえ、年代物の五右衛門風呂で釜にふれると熱いうえ、板を踏んで入るスタイルで、
最初は汗を流すというより汗だくになる始末。
お向かいには、テレビドラマに出てきそうな噂好きのオバサンがいて、
「お姉ちゃん、女の一人暮らしに男の出入りは禁物やで」と、いらぬおせっかいも焼いてくれた。
洗濯は、炊事場で手洗いだったが、もの干し場は母屋の前にある大家さんのものを借りていた。
授業が始まるギリギリまで寝ていた私の洗濯時間は、いつも夜。だいたい2~3日分まとめて洗っていたが、
その日も一人のわびしい夕食の後、余り気乗りのしないまま洗濯をして、もの干し場に向かった。
午後9時ごろのことである。
きょうはなんだか様子が違うなと思いつつ、
それでも、何も考えずに洗濯物を干し始めたところで、妙なうめき声が聞こえてきた。
「ア・・・・・・・・・・・」
『えっ! 何の声? 』
『もしかして、あの時~の声? しかも、おばさんの・・・』
よく見ると、真夏だというのに母屋の雨戸はすべて閉められていた。
それでも、途切れることなく聞こえてくる。
「ア・・・・・・・・・・・」
『これって絶対、おばさんの声やん! 』
しかも、近所に響くくらいすごい声なのだ。
「ア・・・・・・・・・・・」
静寂のなかで続く声に、落ち着こうと、まずは深呼吸。
子どもたちはどうなってんの? と心配しながら、また深呼吸。
『そういえば最近、「お兄ちゃん」と呼ばれる同じ職場の若い男性が、よく来てご飯を食べてたな・・・・』
『あの兄ちゃん? 』
『お向かいのスピーカーおばさんにも聞こえてるよ』
あれこれいろいろなことを詮索しながら、私は冷静を装って洗濯物を干し終えた。
半年後、アルバイトの店に近く、知り合いも多い京都に引っ越したのだが、
おばさんとは縁があったらしい。
2年後、大阪のオフィス街を彼(現在の夫)と歩いている時、ばったりとおばさん家族と出会ったのだ。
家族は、なんと4人。一緒だったのは例の青年ではなく、子どもたちもしっかりなじんで、
年齢もおばさんより年上風の、いかつい顔のおやじさんだった。
「あっら、まあ、お姉ちゃん! 元気にやってるん? 」
「はい! その節はお世話になりました」
以前どおり屈託のない威勢のいい声で話かけてきたおばさん。
何の紹介もなかったが、元の旦那と因りが戻ったのだなと直感した。
気持ちがいいくらい見栄も、体裁も捨てた生き方。
清々しさとともに、たくましさをも感じずにはいられなかった。