上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

2月 福は内1

2020-01-28 15:24:56 | エッセイ
「鬼は~外!」
「福は~内!」
娘たちが巣立った今も、節分の豆まきは続けている。

とはいえ、マンション住まいのわが家では、
ベランダや玄関に、パッと威勢よく豆をまくことがどうしてもできない。
元気がよすぎて枠からはみ出すと共有部分のゴミになるし、
ベランダにたくさん残ると翌朝の鳥にエサになってしまう。

結局、外にはほどほどにまく結果となり、
これでは鬼も逃げないのではないかと不安をかかえることになる。

それにしても、この鬼の正体って一体何なんだろう? 
かなり前に「鬼の絵本」なるものを見たことがある。

桃太郎らしき立派な若者が威勢よくまく豆に、赤鬼と青鬼があわてて逃げていき、
その背後に病気や貧乏などの不幸をもたらす数々の悪霊が、
闇の中にそれは気持ち悪いぐらい空恐ろしく描かれていた。
(『鬼が出た』福音館書店の中の「桃太郎豆蒔之図」)。

それ以来、節分を迎えるたびに、その絵を薄ぼんやりとでも思い出し、
幾多の悪霊たちがわが家のベランダから入ってきたらたまらないと、豆まきは欠かせないのである。

昔から人々は、目に見えない恐いものを想像して「鬼」と考えていたようだ。
人間がすごいのは、そうした悪い鬼をやっつける英雄的な鬼も、創り出してきたことなのだそう。
しかも、オニと呼ぶ語源は隠忍(おんにん)。
恐ろしい存在ではなく、隠れ忍ぶ慎み深い存在だったという。

その一方で、鬼は外からどこかの家をねらって攻撃してくるものではないという説もある。
暖房具も食べ物も豊かではなかった昔の冬は、それは気が遠くなるくらい長いものだったらしい。

そういう中で、家族とはいえ、ひとつ屋根の下で同じ顔をつき合わせていれば、言いたいことも言えなかったり。
あるいは、言わなくてもいいことまで言ってしまったりと、人の心に棲みつく鬼も顔を出し始める。
そうした家の中の鬼を、春に向けて身も心も放たれる節分に、
豆と一緒に追い払おうというものらしいのだ。

それも豆という貴重な保存食を使うのは解せないが、
屈強な鬼を追い払うにはそれ以外に堅いものはなかったのだろう。
考えすぎると、こんがらがってしまうのだが、とにかくイヤものは極力そばに寄ってもらいたくないもの。

「悪い鬼は〜外!」
「福は〜内!」
実は、わが実家にもかつて、福娘ならぬ、少々くたびれた福ばあちゃんがいた。       (つづく)
コメント
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