上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

4月 行ってらっしゃい

2021-04-03 13:15:57 | エッセイ

新学期が始まった。
新しい制服や新調したスーツ姿の新入社員風の人を見かけると、
私の心にまで爽やかな風がサッと吹いて、なぜかウキウキ、嬉しくなる。

きっと家を出る時、親御さんは晴れ晴れしい気持ちで送り出されたことと思う。
「行ってらっしゃい!」と。
そして、ご本人も笑顔で「行ってきます!」。
帰宅時には、
「ただいま〜!」
「お帰りなさい!」

私自身、この言葉をこれまで何度繰り返してきたことだろう。

このあいさつは、毎日、毎回、その言い方や声の大小などで、
その人の気分までが伝わってくる不思議な言葉。
前日に少々口ケンカをしていても、朝、「行ってらっしゃい!」と元気よく送り出せば、
「はい、もう昨日のイヤなことはおしまい!」と切り替えることもできるのだ。

娘たちが学校に通っていた頃は、
「ただいま」の声だけで、心の中まで見えるような気がしたものだ。
<あ、なんだか楽しそう。いいことがあったんや>
<学校で何かイヤなことがあったんかなあ>
<えらい、太々しいなあ>
<何を急いでるんやろう?>
毎日、毎日違う表情をもつ不思議な言葉である。

岡山県の南西部で育った私は、子どものころ「ただいま」「~らっしゃい」という言葉に憧れていた。
テレビのホームドラマで流れる「ただいま」や「行ってらっしゃい」が、
すごく都会的でピカピカに光って聞こえたのだ。

我が家では、出かける時は「行ってきま〜す」、
両親は「行っておかえり」と送り出してくれた。
帰宅時には「かえりました」で、
「おかえり」と迎えられる、といった具合だ。
子ども心に地方特有の「地味感」をすごく抱えていた。

「行ってらっしゃい」の語源を調べると、昔は一度旅に出ると帰るのも命がけで、
「行ったら必ず帰ってきなさい」という気持ちがこめられていたそうだ。

ならば、両親が毎日送り出してくれた「行っておかえり」という言葉は、
「必ず元気に帰ってきなさいよ」という言葉がきちんと込められたいたんだと理解できた。
なるほど、である。
私が子どもの頃に毎日使っていた「帰りました」も、語源は「ただいま、帰りました」であろうから、
丁寧な言葉を使っていたのだと思うと妙に納得できた。
「ただいま!」とちっとも変わらないやん、と。

大阪の船場言葉として使われてきた、送り出すときの「おはよう、おかえり」も思わず微笑んでしまう言葉。
「用事が終わったら、無事に早く帰ってきてください」という思いが込められている、
大阪弁のやさしい言葉づかい。
「おはようさん」、「ごきげんさん」「お天道さん」、
「お豆さん」に「お揚げさん」……。
愛着のあるものには、何でも「さん・ちゃん」をつけてしまう大阪ことばならではの温もりも感じる。
そういえば、大阪人である夫の両親が存命のころは、「おかえりなはれ」と迎えられていたのを思い出した。

夫と二人暮らしになって数年。
「ただいま」から、様々な気持ちが汲みとれるなら、
「おかえりなさい」も言い方次第で、受け取るほうも随分心持ちが違うことだろう。
さあ、今日は夫をどんな「おかえり〜!」で迎えようか。
コメント
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