青騎士は、湖の上を走る馬を操り、又三郎を助けようと必死に泳いでいるサトルを狙って、高々と槍を掲げた。雷鳴に似たトッピーの声は、サトルの耳にも届いていた。しかし、又三郎を助けたい一心で、夢中になって水を掻いているサトルは、間近に迫っている青騎士にまるで気がついていなかった。
―――歌が、聞こえていた。
サトルは、泳ぎ始めた時から、風の音に混じって、小さな声が聞こえているのに気がついていた。はじめは、風博士のラジオから、音楽が聞こえてくるのだと思っていた。しかし、浮き輪がわりになっているランドセルの中で、ラジオもすっかり水に浸かっているはずだった。では、どこから聞こえてくるのか? 風に揺られた森の木々が、梢を鳴らしている音ではなかった。風に乗って、だんだんと大きく、はっきり聞こえ始めた歌声は、風博士の家で耳にした、不思議な歌声に間違いなかった。暖かな羽毛に包まれるような歌声は、聞いているだけで心地よく、泳ぎ疲れてパンパンに張った腕の痛さも、すっかり忘れさせてくれた。
歌がはっきりと聞こえ始めたとたん、青騎士の動きが急にぎくしゃくし始めた。目にもとまらぬ早さで水を蹴っていた馬が、小さな波につまづいて、何度も足を踏み外しかけた。
トッピーは、鋭い牙を剥きだして、サトルの直前まで迫った青騎士に噛みついた。強い顎にがっちりと青騎士をとらえ、長い体をくねらせながら空高く昇ると、大きく左右に頭を振って、青騎士の鎧をバラバラに噛み砕いてしまった。
手綱を持つ青騎士を失うと、馬はとたんに勢いを失い、体を硬直させたまま、ズブズブと湖底に沈んでいった。
「中は空っぽだったんだ――」と、湖に落ちていく青騎士の鎧を見ながら、サトルは言った。
青騎士を退けたサトルは、再びトッピーの背に揺られ、湖のそばに建てられた砦にやってきた。
急いで又三郎を地面に寝かせると、ほどなくして又三郎は息を吹き返し、口から水を吐き出してむせ返った。
「鍵は開いているはずだぜ」と、トッピーが空を飛びながら言った。「一緒にいてやりたいが、オレの寸法にゃ砦は小さすぎる。なにかあったら、すぐ助けに来てやるよ――」
じゃあな、と言って、トッピーは湖の彼方へ飛んでいった。
砦は、三階建てのビルほどの大きさだった。けして大きいとは言えなかったが、ねむり王の城にも負けないくらい、頑丈な城壁に守られていた。しっかりと閉じられた厚い木の扉には、トッピーが言ったとおり、鍵はかけられていなかった。
サトルは、恐る恐る扉をくぐった。すると、小さな公園ほどの広場には、赤々と燃える火が点々と灯されていた。明かりに照らされた砦の入口は、広場の奥にあった。サトルは、又三郎を抱いて中に入ると、意外に広い砦の中を、迷いながらも小走りで寝室を探した。白いシーツを敷いたふかふかのベッドを、二階の部屋で見つけた。又三郎は、サトルの腕の中で、いつの間にかすやすやと寝息を立てていた。サトルは、起こさないようにそっとベッドに又三郎を寝かせると、足音を忍ばせて、部屋の外に出た。
城壁に急いで駆け戻ったサトルは、開けっ放しだった扉に重い鉄のかんぬきをしっかりとかけた。砦の中の戸締まりも、すぐに見て回ったが、正面の扉以外は、どこもしっかりと錠が下ろされていた。これで、外から侵入することはできないはずだった。
「くしゅん……」
砦の階段を降り、一階の広間に戻ったサトルは、ひとつくしゃみをした。気がつけば、頭から足の先まで、どこもかしこもびしょ濡れだった。
サトルは、砦に用意されていた服に着替えると、地下の食堂に降りていった。パルム大臣が言っていたとおり、食堂の隣にある調理場には、食べ物が山ほど用意されていた。ただし困ったことには、どれも料理をしなければ、おいしく食べられない食材ばかりだった。とりあえず、見慣れた果物を手に取ると、サトルはムシャムシャと頬張った。お腹が一杯になると、夜もすっかり更けているせいで、急に眠気が襲い、サトルは食堂のテーブルに突っ伏したまま、グッスリと眠ってしまった。
眠りにつく直前、サトルは砦の外観が、自分がよく知っている建物にそっくりなのを思い出した。
(そう言えば、この砦みたいな家に住んでる田舎のおばあちゃんって、なんて名前だったっけ……?)