自由は、内在的な制約を有する。
自己の自由は、他者の自由を侵害するため、
他者を尊重し、他者の自由を不当に侵害しないように配慮しなければならない。
ポイントは、
不当に侵害しているかどうか。
前回の名誉侵害の話も、
まったく名誉を侵害する表現ができない
となると、
今度は、表現の自由が侵害される
おそれがあるわけです。
どこまでの侵害が許されるのか?
これが、一歩進んだ話です。
例えば、
表現の対象が政治家のような公人
であれば、多少名誉が侵害されるような発言も、
次の選挙の際の判断基準になる
ため、許されるわけです。
これは、表現の自由の方が、重要だということ。
確かに、名誉を侵害はしているけど、理由があるから「不当な」侵害とまでは言えないよ。
これが、
「公共の福祉」の範囲内で権利が保障される
という意味。
名誉という権利も、公共の福祉による制約は受ける
ということ。
明らかに関係ない誹謗中傷である場合は、表現の自由の制約を認めることになります。
その場合は、
確かに、表現の自由は保障されるけど、「公共の福祉」による制約は受けるよ。
他人の名誉を不当に侵害するような表現は、この制約を受けるから認められないんだよ。
ということ。
表現の自由がコップだとすると、
コップに穴をあけることは許される(自由の制約が認められる)
が、
そのコップの穴の大きさをどうするか(どの程度の制約を認めるか)
は、
いろいろな要素を考慮して決めていかなければならない
ということです。
まず、穴を全くあけないような考えは、
たいてい、極端すぎるので、正当性が認められない
と思ったほうがよいと思います。
至上主義
原理主義
というのが、その例。
極右、極左。
たいてい、攻撃的であり、排他的です。
理由は、
コップ内のルールがすべてであり、
コップを維持するには、厳しいルール(制裁)が必要である
こと。
そして、
他のコップを敵視する
ということ。
自分が唯一絶対の存在だと思えば、他のコップは異端なわけです。
妥協が許されない(妥協はコップに穴をあけることなので、論理的に無理)ので、
思考が硬直化
し、
争いが絶えない。
中世において、戦争が多発したのは、
宗教というコップが強固なものだった
からです。
かといって、穴をあけまくると、
コップが崩壊する
ことになります。
穴がいっぱいのコップは、もはや水を貯める機能もなく、
外形すら維持できなくなる
からです。
これは、組織の話と繋がってきます。
厳しい組織は、入り手が少ないので、人員を補充できない。
しかし、組織としては、命令に従うため、機能する(軍隊は作戦が機能するよう上官の命令が絶対なわけです)。
ただ、思考は硬直化していくので、新たなイノベーションは起きにくい。
案を出せと命令しても、上司の顔色をうかがい、上司受けする案になるため、ありふれた無難なものとなるので市場受けしない。
これに対し、あまりにもフランクな組織は、入り手が多いが、出るのも容易。
嫌なことがあると簡単にやめていく。
命令にも従わないので、組織が機能しない。
ただ、いろいろなバリエーションのある考えが出てくるので、イノベーションが起きやすい。
サークルと部活。
厳しいルールのあるサークルと、同好会のような緩やかな集まりのサークル。
こういったものをイメージすると分かりやすいと思います。
思考についても、同じです。
コップに穴が開いていない頑固な人。
思考が硬直化しているわけです。
しかし、安定しているので、分かりやすい。
裏切られることが少ない。
これに対し、
コップに穴が開いている柔軟ない人。
思考が柔軟で、話もよく聞いてくれる。
しかし、他の人の意見も聞いてしまうので、不安定。
ころころ変わる可能性があるので、分かりにくい。
裏切られることも多い。
結論として、何が言いたいかというと。
バランスが重要だということ。
穴を何個、どの程度の大きさにするのか、
その妥当なラインを設定する
ことが、
非常に重要である
ということ。
次回は、この穴の開け方について、さらに掘り下げます。
自己の自由は、他者の自由を侵害するため、
他者を尊重し、他者の自由を不当に侵害しないように配慮しなければならない。
ポイントは、
不当に侵害しているかどうか。
前回の名誉侵害の話も、
まったく名誉を侵害する表現ができない
となると、
今度は、表現の自由が侵害される
おそれがあるわけです。
どこまでの侵害が許されるのか?
これが、一歩進んだ話です。
例えば、
表現の対象が政治家のような公人
であれば、多少名誉が侵害されるような発言も、
次の選挙の際の判断基準になる
ため、許されるわけです。
これは、表現の自由の方が、重要だということ。
確かに、名誉を侵害はしているけど、理由があるから「不当な」侵害とまでは言えないよ。
これが、
「公共の福祉」の範囲内で権利が保障される
という意味。
名誉という権利も、公共の福祉による制約は受ける
ということ。
明らかに関係ない誹謗中傷である場合は、表現の自由の制約を認めることになります。
その場合は、
確かに、表現の自由は保障されるけど、「公共の福祉」による制約は受けるよ。
他人の名誉を不当に侵害するような表現は、この制約を受けるから認められないんだよ。
ということ。
表現の自由がコップだとすると、
コップに穴をあけることは許される(自由の制約が認められる)
が、
そのコップの穴の大きさをどうするか(どの程度の制約を認めるか)
は、
いろいろな要素を考慮して決めていかなければならない
ということです。
まず、穴を全くあけないような考えは、
たいてい、極端すぎるので、正当性が認められない
と思ったほうがよいと思います。
至上主義
原理主義
というのが、その例。
極右、極左。
たいてい、攻撃的であり、排他的です。
理由は、
コップ内のルールがすべてであり、
コップを維持するには、厳しいルール(制裁)が必要である
こと。
そして、
他のコップを敵視する
ということ。
自分が唯一絶対の存在だと思えば、他のコップは異端なわけです。
妥協が許されない(妥協はコップに穴をあけることなので、論理的に無理)ので、
思考が硬直化
し、
争いが絶えない。
中世において、戦争が多発したのは、
宗教というコップが強固なものだった
からです。
かといって、穴をあけまくると、
コップが崩壊する
ことになります。
穴がいっぱいのコップは、もはや水を貯める機能もなく、
外形すら維持できなくなる
からです。
これは、組織の話と繋がってきます。
厳しい組織は、入り手が少ないので、人員を補充できない。
しかし、組織としては、命令に従うため、機能する(軍隊は作戦が機能するよう上官の命令が絶対なわけです)。
ただ、思考は硬直化していくので、新たなイノベーションは起きにくい。
案を出せと命令しても、上司の顔色をうかがい、上司受けする案になるため、ありふれた無難なものとなるので市場受けしない。
これに対し、あまりにもフランクな組織は、入り手が多いが、出るのも容易。
嫌なことがあると簡単にやめていく。
命令にも従わないので、組織が機能しない。
ただ、いろいろなバリエーションのある考えが出てくるので、イノベーションが起きやすい。
サークルと部活。
厳しいルールのあるサークルと、同好会のような緩やかな集まりのサークル。
こういったものをイメージすると分かりやすいと思います。
思考についても、同じです。
コップに穴が開いていない頑固な人。
思考が硬直化しているわけです。
しかし、安定しているので、分かりやすい。
裏切られることが少ない。
これに対し、
コップに穴が開いている柔軟ない人。
思考が柔軟で、話もよく聞いてくれる。
しかし、他の人の意見も聞いてしまうので、不安定。
ころころ変わる可能性があるので、分かりにくい。
裏切られることも多い。
結論として、何が言いたいかというと。
バランスが重要だということ。
穴を何個、どの程度の大きさにするのか、
その妥当なラインを設定する
ことが、
非常に重要である
ということ。
次回は、この穴の開け方について、さらに掘り下げます。