【レンタルカート】2014.08.05 神戸スポーツサーキット レッドブルカートファイト関西予選の練習②
僕は、モータースポーツに関していままで『観る側』でした。
サーキットには二種類の人間しかいない、とよく言われます。
『走る者』と『観ている者』
モータースポーツをいざ走る側にまわった途端、とんでもない費用がかかってしまいます。
走りたくても走れない、そういう現実がありました。
ところが、昨年僕の目の前に現れたのが
『レンタルカート』でした。
神戸スポーツサーキット
では1周250円で走れます。
乗ってみました。
走りました。
本物のサーキットで走ったのです。
57年間生きてきて、初めてのサーキット走行でした。
そこでわかったこと。
「レンタルカートは250円で乗れるレーシングカー」
それは紛れもなくリアルな『レーシングカー』でした。
もう、僕は、観る側にいなくていいのです。
もう、僕は主役になれるのです。
もう、僕は評論家ごっこをしなくていいのです。
『ものごと』の多くは『当事者』と『評論家』に分かれます。
「評論家の一般ピープルは安全な場所に身を置き、『当事者』たちをみて、
「あれは良くないよね、ここが良くないよね」などと言います。
自分たちはやったことがないのに、体験したこともないのに……。
僕は今まで映画の評論を書き綴ることにかなりの労力を費やしました。
今まで劇場で600本近く鑑賞したでしょうか。
それを家に帰って、自分なりの意見や感想などを「映画レビュー」という形で電子書籍化しました。
(ぼくのペンネーム 天見谷行人の電子書籍はこちらから)
書いた映画レビューは500本以上に及びます。
しかし、いくら映画レビューを1000本書こうとも、僕はきっと満足できなかったでしょう。
なぜなら、僕には映画を作ったことがないから。
そして、映画を作るセンスや才能は自分にはない、ということがよくわかりました。
それは僕が劇場で600本近い映画をお金を払ってみてきたからこそ、自覚できたのです。
僕は”映画評論家ごっこ”をしているのだ、と映画レビューを書きながら、いつもどこかで、寂しい思いをしていました。
僕の場合、映画を見るという行為は、自分が『映画を作る当事者』ではないことを確認する作業でもありました。
そこで、せめてもの慰めとして、僕の書く「映画レビュー」それ自体が『ひとつの作品』として、読者を楽しませる。そんな文章を書いてみよう、と思いました。
そうして僕は500本以上の映画レビューを書き綴りました。
2016年の12月、僕は4回目の右耳の手術を全身麻酔で行いました。
これが一つのきっかけとなり、それ以降、僕は映画の世界から一定の距離を置くことになりました。
今僕はサーキットで走っています。
ようやく『当事者』になれた、という喜びがあります。
では、40年以上続けてきた、ギターや唄うこと、音楽については……。
これはまた次の機会にお話ししましょうか。
***写真及び本文の著作権は天見谷行人に帰属します ©️Yukito amamiya 2018人気ブログランキングへ
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僕は、モータースポーツに関していままで『観る側』でした。
サーキットには二種類の人間しかいない、とよく言われます。
『走る者』と『観ている者』
モータースポーツをいざ走る側にまわった途端、とんでもない費用がかかってしまいます。
走りたくても走れない、そういう現実がありました。
ところが、昨年僕の目の前に現れたのが
『レンタルカート』でした。
神戸スポーツサーキット
では1周250円で走れます。
乗ってみました。
走りました。
本物のサーキットで走ったのです。
57年間生きてきて、初めてのサーキット走行でした。
そこでわかったこと。
「レンタルカートは250円で乗れるレーシングカー」
それは紛れもなくリアルな『レーシングカー』でした。
もう、僕は、観る側にいなくていいのです。
もう、僕は主役になれるのです。
もう、僕は評論家ごっこをしなくていいのです。
『ものごと』の多くは『当事者』と『評論家』に分かれます。
「評論家の一般ピープルは安全な場所に身を置き、『当事者』たちをみて、
「あれは良くないよね、ここが良くないよね」などと言います。
自分たちはやったことがないのに、体験したこともないのに……。
僕は今まで映画の評論を書き綴ることにかなりの労力を費やしました。
今まで劇場で600本近く鑑賞したでしょうか。
それを家に帰って、自分なりの意見や感想などを「映画レビュー」という形で電子書籍化しました。
(ぼくのペンネーム 天見谷行人の電子書籍はこちらから)
書いた映画レビューは500本以上に及びます。
しかし、いくら映画レビューを1000本書こうとも、僕はきっと満足できなかったでしょう。
なぜなら、僕には映画を作ったことがないから。
そして、映画を作るセンスや才能は自分にはない、ということがよくわかりました。
それは僕が劇場で600本近い映画をお金を払ってみてきたからこそ、自覚できたのです。
僕は”映画評論家ごっこ”をしているのだ、と映画レビューを書きながら、いつもどこかで、寂しい思いをしていました。
僕の場合、映画を見るという行為は、自分が『映画を作る当事者』ではないことを確認する作業でもありました。
そこで、せめてもの慰めとして、僕の書く「映画レビュー」それ自体が『ひとつの作品』として、読者を楽しませる。そんな文章を書いてみよう、と思いました。
そうして僕は500本以上の映画レビューを書き綴りました。
2016年の12月、僕は4回目の右耳の手術を全身麻酔で行いました。
これが一つのきっかけとなり、それ以降、僕は映画の世界から一定の距離を置くことになりました。
今僕はサーキットで走っています。
ようやく『当事者』になれた、という喜びがあります。
では、40年以上続けてきた、ギターや唄うこと、音楽については……。
これはまた次の機会にお話ししましょうか。
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