筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

古代大宰府の羅城5

2017-03-21 23:27:55 | 古代西海道研
阿部義平氏が1991年に提示された大宰府羅城説でのアキレス腱は
まさにこの南部地域のルート設定の論拠の弱さであった。
地形図上でのめぼしい丘陵部を基山の関屋土塁から大野城跡に導くには
7つ以上の水城が消失したと仮定しなければ説明がつかなかった点であった。

発掘所見から土塁が通行帯であって、
多くの場合里道としてその機能が踏襲されている可能性が高い、
という論理性を一つのルート設定の仮説として前畑から関屋間を
再度考え直してみた。そのルートが明治33年の古地図にみられる山道としての里道である。


大振山を介して小郡市三沢から筑紫に至るルートがかつてあったことが確認される。
大振り山以南のルートは小郡市側ではかつて「苅又みち」と呼ばれる北に向かう主要な往還路だったらしい。