秋。ボーナスの海外旅行をガマンして購入したマイカーの初ドライブで、別れた男の住む町を訪れる、という悪趣味な休日を過ごしている。S市から隣の県のK市までの国道は今まで乗ったことがないのに、どこか既視感を感じた。きっとこれは洋平がいつもみていた景色だからなんだろうか。
「Nが改装していたよ」
「あのラーメン屋人気だね」
いつもそう言うものなのだから、私も国道の景色を勝手に描いていたのだろう。
1時間も走らせないうちに、青看板がK市の案内をしはじめた。右車線に入り、右折。よくある国道の景色が田舎町の田園風景に変わり、私はこれも妙な懐かしさを感じた。この車窓は見たことがあるんだっけ、それともなかったんだっけ。色んなことを考えながら、たまの赤信号で立ち止まる。
一度だけ来たことがある。洋平の家へ行くとき、私は私鉄を何本か乗り継いでこの町へやってきた。駅前で彼の車に乗り、彼の中学校や高校、よく登った木、夜景がキレイな丘、面白いおじさんがいる玩具店。彼の思い出をみせてもらい、私も彼と幼少のころからずっと一緒にいるような錯覚を覚えていた。
洋平と付き合っていたのはもう5年も前のことだというのに、この町はちっとも変わっていやしない。中学校も高校も、雑木林も土手も、商店街も駅前の花壇も、全部があのころと同じだ。この町は眠っている。5年前からずっと──あのときと同じ感想を抱いた自分に思わずゾッとした。
「Kってさ、なんか閉ざされてる感じだよね」
「閉ざされてる?」
「そう、閉ざされてる。外界から遮断されてるっていうか」
「・・・俺も時々そう思うんだよね」
「洋ちゃんも?」
「なんつーか、良く言えばこじんまりとした田舎町なんだけどさ。このまま周りの風景に全て溶け込んでしまうんじゃないかって。もし宇宙人がKを侵略しても、きっとニュースになんかならないで、住民たちも『ああそういえば』って思い出す程度に気付くっていうか」
「宇宙人侵略か、洋ちゃんって案外にロマンチストなんだね」
「案外にって」
小さな自動改札。小さな駅前の売店。小さなロータリー。小さなタクシー。ちょっと歩けばまた小さな繁華街。立ち止まったままの再開発。開店休業の喫茶店。寂れたショッピングセンター。確かによく言えばこじんまりとした田舎町。小さな風景に小さな私たちはこのまま溶け込んでしまいたい、そんなことを願っていたような気がする。
もう洋平は現れない。ぼんやりと煙草を吸っていると、夢でもみているような感覚になってきた。実際に夢でもいいような感覚になり、そのうちに気がついた。私は夢をみているのだと。洋平が現れる。また私のところに現れる。そんな悲しい夢をみているのだと。
──ずっと夢をみていたかった。
──それが意味のないことだと知っていても、夢の中がよかった。
耳元から滑り込む声は、聴神経を刺激し脳へ伝達され、髪先から爪先まで染込んでいって、さっき飲んだポカリスウェットが、目から流れそうになって咄嗟に堪えた。咄嗟に想った。洋平はこの小さな町のどこで生きているのだろう。横には誰かがいるのだろうか。誰のことを想っているんだろうか。私のことを憶えているのだろうか。
いたたまれなくなって私はまたハンドルを握った。これは夢ではない、現実だ。私と洋平はもう終わった。最初からわかっていたことだ 痛いのは頭でも胃でもなく、ただ心臓だけ。激しい鼓動を打つ度に、「こうやって死に近づくんだな」と思った。
誰に会うでもない。客人のはずなのに逃げる。やっぱりこの町は閉ざされている。あのときこの感想を持った時点で、私と洋平の別れは決まっていたのかもしれない。
サヨナラ洋平、元気でね。
空に舞う破片が降ってくる中、コンビニで肉まんを食べた。あのときも2人で食べた肉まん。味はちっとも変わらない。それでも今の私の隣に洋平はいない。私も洋平も学校を卒業して、都会の企業に勤めている。友人の何人かは結婚して家庭を持っている。少しずつ、少しずつ歳をとった。私だって付き合っている人がいる。洋平にだってそういう人はいるんだろう。5年という歳月が、肉まんになって染み渡った。
強くないけど弱くもないんだから。もうあんたには傷つかないんだから。
もうきっとこの町にはこないだろう。観光資源と呼べるものは特に何もない、こじんまりとした田舎町。
「サヨナラ」
と呟いて、国道に飛び出した。
「Nが改装していたよ」
「あのラーメン屋人気だね」
いつもそう言うものなのだから、私も国道の景色を勝手に描いていたのだろう。
1時間も走らせないうちに、青看板がK市の案内をしはじめた。右車線に入り、右折。よくある国道の景色が田舎町の田園風景に変わり、私はこれも妙な懐かしさを感じた。この車窓は見たことがあるんだっけ、それともなかったんだっけ。色んなことを考えながら、たまの赤信号で立ち止まる。
一度だけ来たことがある。洋平の家へ行くとき、私は私鉄を何本か乗り継いでこの町へやってきた。駅前で彼の車に乗り、彼の中学校や高校、よく登った木、夜景がキレイな丘、面白いおじさんがいる玩具店。彼の思い出をみせてもらい、私も彼と幼少のころからずっと一緒にいるような錯覚を覚えていた。
洋平と付き合っていたのはもう5年も前のことだというのに、この町はちっとも変わっていやしない。中学校も高校も、雑木林も土手も、商店街も駅前の花壇も、全部があのころと同じだ。この町は眠っている。5年前からずっと──あのときと同じ感想を抱いた自分に思わずゾッとした。
「Kってさ、なんか閉ざされてる感じだよね」
「閉ざされてる?」
「そう、閉ざされてる。外界から遮断されてるっていうか」
「・・・俺も時々そう思うんだよね」
「洋ちゃんも?」
「なんつーか、良く言えばこじんまりとした田舎町なんだけどさ。このまま周りの風景に全て溶け込んでしまうんじゃないかって。もし宇宙人がKを侵略しても、きっとニュースになんかならないで、住民たちも『ああそういえば』って思い出す程度に気付くっていうか」
「宇宙人侵略か、洋ちゃんって案外にロマンチストなんだね」
「案外にって」
小さな自動改札。小さな駅前の売店。小さなロータリー。小さなタクシー。ちょっと歩けばまた小さな繁華街。立ち止まったままの再開発。開店休業の喫茶店。寂れたショッピングセンター。確かによく言えばこじんまりとした田舎町。小さな風景に小さな私たちはこのまま溶け込んでしまいたい、そんなことを願っていたような気がする。
もう洋平は現れない。ぼんやりと煙草を吸っていると、夢でもみているような感覚になってきた。実際に夢でもいいような感覚になり、そのうちに気がついた。私は夢をみているのだと。洋平が現れる。また私のところに現れる。そんな悲しい夢をみているのだと。
──ずっと夢をみていたかった。
──それが意味のないことだと知っていても、夢の中がよかった。
耳元から滑り込む声は、聴神経を刺激し脳へ伝達され、髪先から爪先まで染込んでいって、さっき飲んだポカリスウェットが、目から流れそうになって咄嗟に堪えた。咄嗟に想った。洋平はこの小さな町のどこで生きているのだろう。横には誰かがいるのだろうか。誰のことを想っているんだろうか。私のことを憶えているのだろうか。
いたたまれなくなって私はまたハンドルを握った。これは夢ではない、現実だ。私と洋平はもう終わった。最初からわかっていたことだ 痛いのは頭でも胃でもなく、ただ心臓だけ。激しい鼓動を打つ度に、「こうやって死に近づくんだな」と思った。
誰に会うでもない。客人のはずなのに逃げる。やっぱりこの町は閉ざされている。あのときこの感想を持った時点で、私と洋平の別れは決まっていたのかもしれない。
サヨナラ洋平、元気でね。
空に舞う破片が降ってくる中、コンビニで肉まんを食べた。あのときも2人で食べた肉まん。味はちっとも変わらない。それでも今の私の隣に洋平はいない。私も洋平も学校を卒業して、都会の企業に勤めている。友人の何人かは結婚して家庭を持っている。少しずつ、少しずつ歳をとった。私だって付き合っている人がいる。洋平にだってそういう人はいるんだろう。5年という歳月が、肉まんになって染み渡った。
強くないけど弱くもないんだから。もうあんたには傷つかないんだから。
もうきっとこの町にはこないだろう。観光資源と呼べるものは特に何もない、こじんまりとした田舎町。
「サヨナラ」
と呟いて、国道に飛び出した。
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