「私だけの仕事の流儀」6人目は、真理を追究して来た技術者の登場です。
ニックネームは「ミッチー」です。
福岡市在住 68歳
現在は、第一線を退き警備部門で活躍中です 九州メンテナンス勤務
今回のインタビューでは、人生経験が豊富な上に、石油プラントや原発建設に携わるなど類稀な経歴の持ち主だったので、お話を整理するのがやっとで、何をどこまでお伝えできるか不安になるくらい盛り沢山の内容でした。
ご本人も、自らの経歴を詳しく話すような機会がほとんどなかったとのことで、様々な思い出を手繰りながら一生懸命思い出していただきました。
しかし、話を聞けば聞くほどその人柄に吸い込まれて行き、仕事だけでなく人生において本当に勉強になる事ばかりが飛び出し、時間を忘れて聞き入っておりました。
今回は、そのほんの一部に過ぎませんが、彼の仕事人生を紹介します。
● これまで経験したお仕事・またはその一部
高校卒業後、東芝姫路工場に入社(約3年) 退職後はプロの設計技師に弟子入りし、設計の道を志すも、自身で向いていないと気づき、いわゆる現場技術者として活躍。
20代後半に友人と共に、中央電気株式会社を設立。様々な現場を経験する中、中東の石油プラント建設にも参加(海外勤務)
その後、中央電気を退くも、個人の人脈と現場経験の豊富さを生かして、半ばフリーランスで技術系の仕事を請負う生活に入る。その中で原発建設の現場管理者として抜擢され、結果的に5か所の原発建設に関わり、中でも柏崎原発では所長として約2年間勤務。
そんな最中、奥様の体調不良を機に福岡に戻り、知人からの紹介で、アメリカの超大手企業であるGE傘下の医療機器部門、GEヘルスケアジャパン福岡支社に技術者として入社。
悠々自適の技術者人生を送っていた時、ある人物との出会いがきっかけでGEを退職。人生の大きな転機を迎える。
しかし、生活のための仕事を探していたところ、やはり豊富な経歴と人脈で、現在の九州メンテナンスの技術者の職を得る。
60代も後半となり、現在は技術の第一線からは退き、同会社の警備部で現役を続行されています。
● もっとも印象深い仕事と、その内容
あまりにも多くあり過ぎて限定出来ないが、石油プラントの建設に関わっていた頃は、今でも思い出すだけで汗が出るくらい酷暑の中で頑張っていたと思う。
その中でも特に印象深いのは、日本に帰国してしばらくして、第一次湾岸戦争でアメリカが空爆しているニュース映像に、自分が携わった油田が攻撃されているのを観た時です。
自然に言葉を失い動きが止まり、なんだか虚しさだけを感じていたことを、今でも思い出す。
● その仕事を振り返って、今思うこと
これまでの仕事にすべて共通しているのは、人の縁で仕事をして来たということです。
私ほど、人に恵まれた人間はいないと今でも思っているし、私自身人の出会いや縁を大切にしている。
現場で叩き上げてきた自分にとって、人とのつながりは本当に宝のようなもの。しかも転機を迎えた時ほど不思議と次に繋がるご縁をもたらしてくれたと思います。
これまで色々な現場、幅広い仕事に関われたのも、ご縁あってのことだと感謝しています。
● 忘れられない仕事での失敗談
これだけ多くの現場を経験すると、本当に多くの失敗談があるので、何を話せばいいのか分からないが、
どうやら自分は感情的になりやすいところがあり、仕事の仕方や立場の違いで、よく人と衝突したことを思い出す。
自分では当たり前だと思うことも、時には周囲の認識と違うところがあり、つい自分の思いを分かって欲しくて声が大きくなることが多かったので、中には出入り禁止処分を受けた現場もある。
常に自分は、仕事をする上では人としての振舞いというもの大切にしていた。
しかし、時にそれを他者に求めることもあったのだと、今になって思う。
● 仕事で影響を受けた人
若い時に、共に中央電気を興した同級生(社長)。彼も技術者だが、じょう舌で明るく、一言で相手を魅了する才能も持ち合わせていた。しかし、その華やかさや優れた説得力の裏に見え隠れするお金の匂いは拭えずにいた。
そんな彼に比べ、私は正反対といった感じだったので、ある意味彼を尊敬していたが、彼のおかげで、本当の人付き合いの大切さ、ご縁の有難さに気づけたと思う。
もう一人は、設計技師を志していた時にお世話になった5歳上の先輩。彼は根っからの職人気質で、若くして数約万にもなる図面を引くほどの、いわゆる天才だった。
横浜まで追いかけて弟子入りのような生活の中で得たのは「仕事は教わるのではなく、盗むもの」という教えだった。この言葉こそ技術者にとっては“金言”であり、その後の私の仕事人生の根底を支えることとなった。
私が設計の道を断念したのも、彼に「君の図面はカビがわく!」と言われたことが決め手となった。
3次元の世界を2次元で表現することが難しく、どうしても時間がかかる私を、本来進むべき道に戻してしてくれたのだと思う。
● 仕事で楽しいと思う瞬間
どんな仕事でも、自分の思いが相手に通じた時はとても嬉しい。
仕事には常に相手があるので、その相手と心が通い合う仕事に巡り合えた時は心から楽しいと思う。
● 今になって思う、仕事のために、やっておけば良かったこと
今でも思うことは、やはり勉強あるのみ。
本を読もうが、人に聞こうが、どんな方法であれ、勉強する姿勢は大事だと思う。
特に、人との出会いから得る情報は宝の山だと思う。だから今でも新しい出会いはワクワクする。
● ズバリ、仕事とは何か
仕事とは、命をかけてやるもの。
それだけ本気になって真剣にやらなくては、いい仕事は出来ないと思う。
● 自分にとっての仕事の意味価値とは
仕事とは、真理そのもの。
対価を得るという観点から言えば、生活の糧を得るという意味になるかもしれないが、私にとってはそれこそ命に直結する行為が仕事であり、生きることを意味する。
● 未だ社会に出ていない若者へ、贈る言葉
自由に生きてほしい!
世間や親に気兼ねすることなく、縛られることなく、本心を開放して欲しい。
若いからこそ、自分に限界や範囲を定めないでいて欲しい。
★ 私だけの仕事の流儀
人のご縁を大切に、思うがまま生きること。
私は長いこと技術者として仕事をして来たが、これまでの仕事人生には常に人のご縁が然るべき方向に導いてくれた。
その一方で、常に自分には野望があった。
このままではなく、もっと知りたい、もっとやりたい、もっと出会いたいという思いは今でもある。
自分の思いに忠実に素直に向き合い、これからも人とのご縁に感謝して生きてゆく。
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私がミッチーに出会ったのは、観術という学問の場でした。
初めてお会いした時から、「ミッチーと呼んで!」とご挨拶され、その気取らない明るさと温厚な人柄に魅了され、直ぐに打ち解けることが出来ました。その後もお会いする度に握手をしながら「おおっ!いいエネルギー出てるねー(笑)」などと声をかけて下さるのがとても嬉しく思っていました。
私がこの取り組みを始めて直ぐに、協力するよと言って下さったことにも感謝しております。
そんなミッチーから得た、最も大きな学びは「真の実力」を磨くことです。
彼の仕事人生には、どこそこ会社で・・・というフレーズはほんの少しだけしか登場しません。
つまりそれは、組織に依存した与えられた受け身の仕事ではなく、ご縁を大切に自から望んで掴んだ仕事を、命がけでして来られた証だと、私は感じています。
仕事には命をかけるだけの価値があると、彼は言い切ります。
それほどの情熱を注いで来たからこそ、周囲と衝突することも多くあったと懐かしんでおられました。
しかし、それこそ真の実力を身につけてゆく原動力になるのだと教えられました。
ミッチーのこれまでの軌跡は、まさに現場で叩き上げて来た生粋の技術者にふさわしい経歴でした。
また、彼は好奇心が大変強く、常に物事の本質・真理を追究する側面もあり、今でもその情熱は衰えてなどいません。
そういう姿勢がミッチーを若々しく輝かせているのだと、生意気にも感じました。
最後に、自分の夢は0~6歳児を対象とした学校と創ることだと明かして下さいました。
人間が誕生して、その人柄を形成してゆく上で最も大切だと言われる時期に、その親も含めて然るべき環境で子育てできる場を創りたいと、楽しそうに話されていました。
今回私が得たことは実に多く、特に彼の謙虚さには本当に頭が下がる思いでした。
これだけの経験を持った超一流の技術者が、随分年下の若造との話をニコニコしながらつき合って下さったことに心から感謝致します。
これからも、ミッチーの仕事人生はさらに奇想天外な方向に変化してゆくことだと思いまいますが、生涯勉強の精神は私も共有させて頂きます。
ミッチー、本当にありがとうございました。
2016.3 Youth worker・Support 「私だけの仕事の流儀」