おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

武士の一分

2023-02-19 09:49:48 | 映画
「武士の一分」 2006年 日本


監督 山田洋次
出演 木村拓哉 檀れい 坂東三津五郎 笹野高史 岡本信人 左時枝
   綾田俊樹 桃井かおり 緒形拳 赤塚真人 大地康雄 小林稔侍

ストーリー
東北の小藩、海坂藩に仕える三十石の下級武士・三村新之丞は、城下の木部道場で剣術を極め藩校では秀才と言われながらも、その務めは藩主の毒見役。
不本意な仕事ではあったが、美しく気立てのいい妻の加世と慎ましくも幸せに暮らしていた。
ある日、新之丞は藩主の昼食に供されたつぶ貝の毒にあたって倒れる。
激しい痛みに意識を失い高熱にうなされ続け、からくも一命はとりとめたものの新之丞は失明してしまう。
一時は絶望し、死すら考える新之丞だが、加世の献身的な支えもあり、死ぬのを思いとどまる。
しかし、武士としての勤めを果たせなくなったため、今後の暮らし向きについては不安が募る一方だった。
そんな時、加世とは嫁入り前から顔見知りだった上級武士の島田藤弥が、力になると加世に声をかける。
やがて城から、三村家の家名は存続し三十石の家禄もそのまま、という寛大な沙汰が下される。
暗闇の世界にも慣れてきたある日、新之丞は加世と島田の不貞を知る。
島田は家禄を口実にして加世の身体をもてあそび、その後も脅迫めいた言辞を使って肉体関係を強要していたのだ。
自らの不甲斐なさのために妻を辱められ、怒りに震える新之丞は、加世に離縁を言いわたす。
かつての同僚から、島田が家禄の口添えなどまったくしていなかったことを告げられ、怒りが頂点に達した新之丞は島田に果し合いを申し込む。
死闘の末に新之丞は島田を倒し、戻ってきた加世と抱き合うのだった。


寸評
山田洋次監督はいい人なんだと思う。
極悪人の姿などは描きたくはないのだろう。
彼の映画でそのような人物を見たことがない。
三部作の前二作でも憎たらしいほどの悪人は登場しなかった。
さらに本作は前2作に比べて深みに欠けるのは確かだ。
特に主人公と妻との愛は、切なくて、苦しくて、たまらないはずなのに、そういう感じがまったく伝わってこない。

阪東三津五郎の島田籐弥がもっと悪人として描かれていれば、仇を討った時には爽快感を持つことが出来、「ザマー見ろ!」という気分になれたと思う。
前2作には藩のお家騒動が絡んでいたが、今回はそれがないために焦点は夫婦愛に集中しているのだが、壇れいの加世が苦悩する様がそれほど描かれていないので、離縁する時の非業さがイマイチ力強くなかった。

そもそも本当の悪人が登場しないというか、悪人振りを描いていないのだ。
加世が島田に手ごめにされるようなシーンはないし、その後の肉体関係の継続におけるドロドロ感もない。
それは宝塚スターであった檀れいのイメージ維持のためだったのか、あるいはそれが山田ワールドなのかは分からないが、一連の描き方からは島田のいやらしさがまったく感じられない。
敵役である島田も最後は武士の一分で切腹するし、その前に果し合いで腕を切られて瀕死の島田に徳平が羽織を掛けてやったりしているからなおさらだ。
加世の苦悩も感じられなかったなあ。

徳平の笹野高史さんは頑固者の中元でもなく、滅私奉公の中元でもなく、それでいて昔から仕える好々爺としていい味を出していて功績大だ。
新之丞の子供の頃から仕え、加世の生い立ちも知る三村家の要で、この物語のキーマンだった。
口うるさい伯母が軽妙さを出し、若い夫婦と対極の夫婦を感じさせて、桃井かおりの面目躍如といった感がある。
木村拓哉よりも適役はいたのではないかと思ったが結構頑張っていた。
目を開けながら盲目の演技をするのは大変だったと思う。
テレビの「あすなろ物語」で彼を始めてみた時は、ナイーブな感じをもったいい子だなと思い映画出演を期待していたが、少し遅すぎてテレビスターの匂いを持ちすぎてしまっているように思う。
これからも良い作品に出て、役者としての感性を磨いて欲しいと思う。

部屋を掃除する加世の素足の片方をくるぶしくらいから写す導入部とか、立ち話をする塀の向こうの通行人をぼかしながら写し込んだりしていたり、作品は山田作品だけあって何気ないシーンも丁寧に作られているなと感じたので、理屈を言わずに自然体で観ればけっこう楽しめる映画ではある。
これは夫婦愛の物語だと思うので、加世が飯炊き女として帰ってくるのは予想されたが、それでも泣けた。
三部作の中では劇場で一番笑い声が漏れた。