おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

80日間世界一周

2024-02-11 07:46:49 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2019/8/11は「白い指の戯れ」で、以下「白いリボン」「次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊」「新幹線大爆破」「仁義なき戦い」「シン・ゴジラ」「シン・シティ」「心中天網島」「人生劇場 飛車角と吉良常」「親切なクムジャさん」と続きました。

「80日間世界一周」 1956年 アメリカ


監督 マイケル・アンダーソン
出演 デヴィッド・ニーヴン  カンティンフラス
   シャーリー・マクレーン ロバート・ニュートン
   ジョー・E・ブラウン  マレーネ・ディートリッヒ
   シャルル・ボワイエ   トレヴァー・ハワード

ストーリー
1872年、ヴィクトリア女王治下の英京ロンドン。
典型的な英国紳士でリフォーム倶楽部の会員フォッダ氏は、仲間の会員と80日間で世界一周できるかという賭けをした。
掛けの発端は、倶楽部の一員、英蘭銀行の頭取氏が大金を強奪され、そんな大胆な泥棒なら今頃は海外に逃げているとフォッグがいったことにあった。
飛行機も汽車もない時代、会員諸公は無謀過ぎだといったが、フォッグ氏はパスパルトーを従者にロンドンを出発、パリからマルセイユへ行った。
途中、スペインへ行くという回り道もしたが、主従はやがてスエズに着いた。
ところがスエズで英蘭銀行の強盗犯人逮捕で張込み中のスコットランドヤードのフィックス刑事はフォッグ氏を犯人と思い、後をつけてボンベイに着いたところを捕まえようとしたところ逮捕状が未到着、地団駄ふんで口惜しがった。
フォッグ氏は大印度鉄道でカルカッタへ向かうが、その途中で原住民に殺されようとしていた土侯の妻アウダ姫を救い、彼女を加えた3人はシャムから香港へ。
魅力的な紳士フォッグ氏にアウダ姫は恋の虜となった。
行く先々でトラブルに見舞われながらも、香港--横浜--サンフランシスコ--ニューヨークと旅をしてロンドンへ向かうが・・・はたしてフォッグ氏とアウダ姫の恋の行方と賭けの結末は?


寸評
作品の中身自体はたわいのないもので子供だまし的なのだが、3時間近い上映時間を退屈しない楽しい映画として作られていて、1956年という制作年度を考えると要領よくまとめられていると思う。
まずは世界旅行の一面から世界各国の代表的な風景が切り取られていく。
日本人にとっては鎌倉が出てくるのが嬉しい。
フジヤマ、ゲイシャというのが当時の日本へのイメージだったのだろうが、時代設定が明治初頭なので無茶苦茶な偏見に満ちたものではないし、ロケでは大勢のエキストラが動員されていて、それなりの雰囲気を出している。
観光案内の一面からスペイン編では一つのシーンがやけに長い。
テーブルの上で行われるフラメンコの男性ダンサーのタップシーンや、パスパルトーが行う闘牛シーンなどだ。
物語の展開上、タップシーンはあまり意味を持っていないし、闘牛シーンもスリルのあるものではない。

滑稽なシーンも盛り込まれているが、包括絶倒というほどのものではなく、ほのぼのとしたものである。
旅行の日程を妨げるトラブルも発生するが、それも楽しい描き方で脱出していく。
鉄道が途中で途絶えていれば像に乗ってジャングルを進むとか、燃料の石炭が無くなった蒸気船に船の燃えるものをすべて燃料にして切り抜けるなどだ。
「カメオ出演」と呼ばれる、大物俳優がチョイ役で出ているのも当時としては斬新だったらしい。
そのネーミングは遠目からでもはっきりと分かる装飾品のカメオからそう呼ばれるようになったとのことである。
当時のこととて、僕は酒場のピアニスト役のフランク・シナトラと、サロンのホステス役のマレーネ・ディートリヒぐらいしか気がつかなかった。
フランク・シナトラはピアノを弾いていて、振り返れば彼だったという演出で、発見すればそれなりに楽しめる。
その他にも車掌がバスター・キートンだったり、牧師がフランク・ロイドだったりするので、当時の人たちはそういった出演者に出合うだけでも楽しかっただろうと想像できる。
今となってはアウダ姫に新進女優であった頃のシャーリー・マクレーンが充てられているのも懐かしく感じる。

ヴィクター・ヤングのテーマ曲、「Around the World」は僕が見ていたテレビ番組の、「兼高かおる世界の旅」のテーマ曲にもなっていた。
外国旅行などは夢のまた夢の時代で、「兼高かおる世界の旅」は世界を知る番組の一つとして存在していて、僕は兼高かおるさんによって世界の風景と風俗に親しんだといっても過言でない。
気球に乗って大空を行く時に流れるメロディーはロマンティックなものを感じ、この映画の持つ雰囲気を冒頭で生み出していたと思うし、「Around the World」は名曲だと思う。

エンド・クレジットは洒落ていて、「誰がどの役で何をやっていたでしょう?」と表示されて、チョイ役のスターがアニメと共にクレジットされていく。
ほとんど知らない人ばかりなので、僕には単なるデザイン処理として映るのだが、当時の観客はそれも楽しめたのではないか。
日付変更線のエピソードはジュール・ヴェルヌの原作中でも有名すぎるエピソードなので、原作を読んでいなくても、映画を見ていなくても、なぜか知っていたエピソードだった。