何のために「老い」るのか? ?? 禅問答のような疑問。 今朝の新聞に山上直子さんが新聞に書かれていました。即答できないと。いわれていました。 難しい問題ですね。 それでは、「老い」とは何なんでしょう。それには、心の老いと肉体の老いとがありますね。一般には、肉体の老いを指していますので、ここでは肉体のことを取り上げたいと思います。 人を含めた動物はやがて肉体の衰えとともに「死」を迎えます。こんなことは、誰でも知っていることですね。では、肉体とは何なんでしょうね? 男がおり、女がおり、背の高い人や低い人もいる。でも、動物すべてこの世に生まれてくるときは、母のお腹から、肉体を持って生まれてきますね。 生まれた瞬間から、喜怒哀楽の始まりです。でも、この肉体だけでは、喜怒哀楽は生まれて来ないのではありませんか。すなわち、この肉体に、魂が宿って初めて、喜怒哀楽を感じる心も始まる。肉体は、魂を受け入れる器と考えるべきでしょう。 「生老病死」とよく表現されますが、母の胎内から生まれ、育ち、やがては、朽ち果てて「死」を迎える。 わたしは、「生生老死」と思っています。即ち、母から「生」まれ、そして、「生」きなければなりません。当然のこととして、成人しやがては子孫のために子供を育てなければならないでしょう。役目がを割れば、やがて「老い」を迎えるのです。 それでは、「病」は? 「病」は、人間本来ありません。古代の人は、あまりにも、清らかすぎて「欲」というこころを持ち合わせていなかった。 それがため、進歩がないと、神様は人間に「欲」をあたえられた。この「欲」が後に「穢れ」となり「肉体」を汚していくのです。この汚れが、「病」となって肉体をむしばんでしまうのです。したがって、人間本来は、「病」というものがありません。 だから、「生生老死」と言えるのではないでしょうか。 何のために「老い」るのか? 現世で魂が修行を終え元帰りするために、「老い」から「死」へ。輪廻転生、またあの世での修行を終われば、また、この世の人となって生まれてくるのです。
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