べ平連の人としてしかあまり存じ上げなかった小田実の『ガ島』を読んだ。
(中高の国語のじかんにはよく「みのる」ではない「まこと だぞ」と先生が言ったものだった)
329ページが細かい字でびっしり埋め尽くされて、
縦横無尽、空前絶後、満身創痍、荒唐無稽・・・でも史実が基にあり、
寄らば斬るぞ、実は大真面目な にんげん小説であった。
小田実自身は まえせつ において これを「政治小説」と呼んでいる。
書いた動機が政治的なものであり、そこに人間のあらゆる情念が表れているから であろう。
ガ島 とは 餓島 であり、蘭英米仏に占領されていた南方に日本軍が進出し、米軍に全滅せられた南洋の島、ガダルカナル島のことである。
武器と食糧の補給を絶たれ 米軍の機銃と爆撃に倒れ、
ある者は餓死し、ある者はマラリアに倒れ、2万人の日本兵が白骨と化したガダルカナル島である。
ひょんなことからその「ガ島」にレジャーランドをつくる計画に巻き込まれ(自らもその気になって)、
人の汗と豚の脂、鬱蒼たるジャングルの雨と湿気と泥にまみれながら、
遺骨収集、慰霊塔建設、なんといってもレジャーランド建設のため、倒(こけ)つ転(まろ)びつ進んでいく
「にんげん」 を描いた小説であった。
主人公は空襲を知る大阪商人の中年男、
「うまいで、安いで、ワッハッハッ」テレビ宣伝でも有名なとんかつチェーン西川の社長であり、
この小説の大半は西川氏の大阪弁で展開される。
また、西川氏と妻の妹キヨ子はともに南洋で父を亡くした、空襲の経験を知る戦争遺児。
そこに日本軍の軍属だった台湾人で今は通訳の陳氏、戦争を知らないかっこつけの野心家の中島、ドイツ人の若者ヘルマン、
さらに、ガ島側からは、戦争に巻き込まれた原住民(土人)の大酋長、戦後生まれの息子で英語も話すシメオン、
呪術師(カヤ)のメダイ婆ちゃん。そして、計画成就のために西川隊一行に派遣された4人の原住民
(西川氏命名によるプレイボーイ、一言居士、モクモク人間、くたびれ中年男)が、
それぞれの個性を存分に発揮しながら計画の成功目指して奮闘する。
表現も今のコンプラなんて微塵も知らぬ、ナンデモアリの表現で(不倫あり、売春あり、土人あり・・・)
白人に有色人種、日本人にも大阪人あり、台湾人に華僑あり、アメリカ人にドイツ人、土人あり(確かに昔はドジンと言っていた)
現実の描写かと思って読んでいたら想念描写、はたまたいつの間にか夢の中の出来事へと、境なく表現され
情欲と日本遺児としての矜持、ど根性が、あれよあれよと 交錯する。
大阪弁の語りと話の展開が小気味よくテンポを生んで、
ハラハラドキドキ、捧腹絶倒、でも、にんげんっていいなと 感じてしまう小説だった。
(そして、西川隊のジャングルでの行動は戦時の日本の兵隊さんたちの行動に重なっている)
この小説は昭和49年の執筆で、小田実の執筆ぶりからその当時の感情・感覚というものがうかがわれる。
たとえば、しきりに戦後生まれの若者を「この頃でき の若者」と西川をしてこきおろさせていることや
原住民に日本軍人の勇敢さを語らせたり、兵隊全体へのシンパシーが内容にあふれているところをみると、
小田実ですら戦(前)中と戦後の隔たりがあり、
小田実ですら、戦争に突入していった悲哀とそこにあった日本の理 は認めていたのだ、と感じるのである。
そう考えると日本全体としては さらに言うに言われぬ感情が戦後のそのころには存在したに違いない。
時を隔てて、現代の論理だけでその当時を断罪するのは、やはり間違えなのにちがいない。
実は、恥ずかしながら小田実の本は『何でも見てやろう』を 1年前くらいに読んだのが初めてだった。
まだ、外国に日本人がなかなか行けなかった、戦後まじかに書かれたもので、
その活躍ぶりに 既成の枠に縛られぬ人間はすごいもんだなぁ とワクワクして読んだもので
自治連のゴリラ、安田敏男氏を想起したものだった。
この『ガ島』も その文体、その発想は同様で、
とんかつ西川の西川はんの商人魂は、知人の見澤食品社長を想起しながらニヤニヤして読んだ。
小田実さんの文章(行動)は、何物にも拘束されない、清濁混然とした、自由とエネルギーに満ちあふれている。
それはもしかしたら戦後のその時代特有のものだったのかもしれない。
大阪商人としての欲と野心、日本男児・戦争遺児として矜持、