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ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

『都市の緑は誰のものか』 吉永明弘・太田和彦 編著

2025-04-15 13:20:33 | 本・映画など

実際に勉強会でお話も聞き、また、法政大学での公開発表にもうかがった吉永先生の本を読んだ。

この本の副題にはこう書いてある。

人文学から再開発を問う と。

神宮外苑の再開発をきっかけに、巻き起こった論争。

都市計画、環境学からの議論は百出しているが、いまだ人文学からアプローチはない。

ゆえに人文学からのアプローチを試みる。

そう提起されて編まれた本だ。


まず、 まえがき は ゴッホの絵を所有者が燃やしてよいか? から提起される。


それは個人の所有物を超えて みんなのもの である。ゆえに答えは [否]であろう。

翻って 都市にとって重要な場所や景観 は どうであろうか? 

人々がそこに愛着や郷愁を感じ、また、誇りを感じる。なくなった場合の喪失感 を抱く。

そういう場所や景観も みんなのもの であり、価値があるのではないか、と。

それは みんなのもの たり得るのだろうか?

再開発は 土地の所有者の自由 なのか? 

みんなのものだとしたら、みんなとはだれか?

それは 今それを利用している人々であり、それをつくり、育ててきた今までの人々であり、将来世代の人々であり、

また、人間以外のいきもの もみんなに含まれるのだ。


    役所近くの樹冠の広がったケヤキ並木

そこから 特に 都市における緑 について論考は絞られていく。

その緑は伐採するが、替わりに他の場所に植樹するからいいじゃないか!(mitigation)

開発側が、よく言う主張である。

確かに みどりの「機能的価値(二酸化炭素吸収、気温上昇緩和、延焼防止・・・)」だけを考えればそうかもしれない。

しかし、「関係的価値」まで含めたらどうか?!

人間には「欠けがえのない存在」という感覚がある。

欠けがえのないもの それは代わりに作るからよい、では済まされないはずだ!

開発側は、その考えを近視眼的だと批判する。 それは容易なことである。しかし、その批判は一方で道徳を損なうものでもある。

そう吉永先生は指摘するのだ。

そして、理由をこう続けるのだ。

人は職場において お前がいなくても替わりはいる と言われたら その人の尊厳は傷つけられるだろう。
(仕事は近年、職人性から脱却し、いかに代替可能にシフトするかがテーマではあったのだが・・・)

人も場所も景観も、「その」人・場所・景観が焦点となった瞬間に、代替化は慎重でなければならなくなるのだ、


そういわれて自分もはたと立ち止まった。

というのも、
代替可能性オマエノ替ワリハ イクラデモイルは 現代社会がもつ人を幸せにしない病理の一つ、と最近ずっと自分は感じてきたからであった。 
(それは自分が様々なバイトをしてきて現代の仕事につくづく感じてきた実感であった。)

歴史とか言い伝えとか物語とか(過去からの関係)郷愁とか愛着とか誇りとか(今の人々との関係)

緑の場合は、さらに未来の人々との関係や他の生き物たちとの関係(生態系)を考慮してよいのだ。

いや考慮すべきものなのだ。

この本はそう自分に語り、励ましてくれたのであった。

  写真は 昨日の中央公園のみどりとケヤキ並木

以下備忘録

・都市計画は  ここに〇〇を建てる だけでなく、ここには何も作らない ことを定めるものである。
・ドイツでは昨年7月より 気候変動への分析と適応計画、モニタリングが義務化された。
・ハンブルクでは降雨の6割を都市内に保水する。フランクフルトでは新築は屋上又は壁(地上3mの半分まで)は緑化が義務に。
・世の中は、スクラップアンドビルドからリユース型再開発に流れは来ている。
 ある市のラガープラッツという工場跡地の例。
 活用案が決まらず20年間テンポラリーユース(一時賃貸)に任せたら、安い家賃ゆえ若い人々が集まり、魅力ある場所になってしまった。
 運動がおこり、そのまま存続となった。 

スポンジシティという考え方が隆盛してきた。(水循環を最適化する考え=緑の気化・緑陰、街路樹増やす、土に戻す、浸透、貯水して再利用)
マルチスピーシーズ都市(多種が生き、生きられる都市)という発想。

・環境美学は、ある環境の連続性の感覚を大事にし、場所の物語を聞き取ろうとする学問。
・都市とはstrageness(驚き)と attachment(愛着)がある場所である。
・都市はしかし異常なほど日常の時間が速く進む。余暇もまた商業的に作られた労働(消費)になってしまった。
 そんな中、自然はそこから隔離させ、ほっとさせてくれる存在だ。人はそこに本当の自由を体感するのではないか。
・時代は、今 バイオリージョナリズム(生態系)>(不等号) コロニアリズム(人間中心の考え方)である。
・順応的ガバナンスによる環境保全 ・でも自然は無くなったら取り戻せない!
・世界の人口の55%が都市に住んでいる。日本でも今生まれる3人に1人が首都圏生まれである。 だからこそ、都市の在り方が問われるべきなのだ。

結論)ではどうすればよいのか?!

1、市民参加との協働を促す 2,制度や計画に「自然の関係的価値」を明記する 3,緑地に対する多様な価値を共有する
4,人々の記憶や物語に緑をきちんと結び付けていく 5,評価する方法を確立する(人々の記憶を物語の形にする、GISを用いて「愛着」を可視化する)
6,多様な主体が協働できる接点を意識的に用意していく

そう書いてあった。(宇沢弘文の社会的共通資本には、そこに 専門家の職業的知見と倫理観 が加わってくる

※)所沢市で言えば、1,3,6はもちろん意識してやってきた。

が、5はできなかったし、2は口酸っぱく言い、プロジェクトチームも作って職員一同で共有に努めたが、でも残念ながら明記まではいかなかった。

そして、次期政権によりその価値は軽んぜられ消去され、風前の灯にされてしまったように見受けられるのである。

堀口天満天神社周辺の緑の保全の際、田んぼを公有地化したの6であるし、カルチャーパークを考える会の活動等は1であろう。
また、私は勝手に物語を作って、それを宣伝していた。
それは、期せずして川を介在して同時多発的に起こった保全活動についての物語であった。
それは、「柳瀬川の最上流をきれいにする会」や「ふるさと創生の会」、「ミヤコタナゴ保存会(これは古い)」の活動であり、
上新井地区の「東川のホタルを呼びもどす会(名称不正確)」の活動であり、安松地区の「柳瀬川をきれいにする会」および、「アユ放流する活動」
や牛沼地区の「東川で生き物観察の活動」であったりするのだが、
発起したのはいずれも団塊の世代の人々であり、
思いは一つ「昔子供のころは〇〇がいた」→「これからの世代にそれを復活してやりたい」という願いであったのだ。
だから、その願いを消すことなく、この10年間が勝負、市もその心意気に呼応して「未来を見つめ 今を動い」ていきたい、というものであった。
ホタル おおむらさき タマムシ ミヤコタナゴ 鯉から鮎へ(恋から愛へ) - ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

この本『都市の緑はだれのものか』の終わりの方には次のような指摘もあった。

都市計画や科学や環境学は「一般化・法則」を見出す行為、つまり、誰にでも当てはまる(替わりの効く)システムを求めるものであるが、

人文学は逆に 「替わりのない唯一の個」に焦点を当てていく行為であり、

つまり、人文学は 都市計画の面で言えば「この町」「この場所」「この木」の個別性を追究するのに適している、のかもしれない、と。






 


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『酒を主食とする人々』 高野秀行 著

2025-03-26 12:07:18 | 本・映画など

図書館から連絡が来た。予約していた本が二冊入った、という。

一冊は 順番待ちがすごい本『酒を主食とする人々』、
もう一冊は 他市の図書館から借りられて来た本『都市の緑は誰のものか』である。


どちらも返却は4月3日まで、との条件。

だが、『円いひっぴい』がまだ読み途中である。どうするか?!

そこで 本のトリアージをして、『円いひっぴい』をあきらめ、

人気本の『酒を主食とする人々』(高野秀行著)に取り掛かった。。

冒険家、高野秀行。彼にテレビ局から電話が入る。
クルーが同行し、費用は出しますから、番組としてどこかに行きませんか?
テレビ番組「クレージージャーニー」からの誘いである。

ならばと高野が選んだのは、南エチオピア州にあるという「酒を主食にする民族」への旅であった。

コンソ民族とデラシャ民族、ともに山岳部に住み、平地から追いやられてそこに住み着いた人々。

なぜ、酒なのか。

とれる作物は豊富でないし、発酵物こそ腐らない。火の必要もない。

つまり濁り酒の方が栄養豊富で安全な流動食なのだ。


コンソにある酒はチャガ、デラシャではパルショータと呼ばれる。製法成分も少し違う。

パルショータの方が少し濃く、発酵した酒母ソカテタを育て、それを切らさぬように各家庭で保存している。
日本の味噌と同じだ。

時に水で薄めながら、老いも若きも幼きも妊娠中でも酒を飲むのだった。

それも、アルコール度4~5%のパショータを1日に数リットル
ヒョウタンを半分に切った器を両手でささげて暇さえあれば飲んでいるのだった。


酒のつくり方は、

①アブラナ科のブランゴの葉と茎を石でつぶす。(これが野菜代わり)

②刻んだブランゴをソルガムという植物の粉で覆い、3日間発酵させる。

③別のソルガム粉を混ぜて1週間発酵させる。

④それを石うすで練りこんでから1か月発酵させる。
こうしてできる緑色の練り物が発酵物「シュッカ」

そのあとは、

⑥シュッカをもとにしてさらにソルガム粉と水を混ぜて練り、ソフトボール大の球にして煮込む(糊化)
⑦煮込んだ後はつぶして、室内で広げ、またソルガムの粉をかける。(この粉にも酵母菌がついている)                               
⑧それに麦芽をふりかけ「糖化」を促す。
⑨一晩建つと酵母菌が糖分を分解してアルコールを含んだ液体=酒の素=酒母ソカテタができる。

⑩酒母ソカテタに水とソルガム粉のペーストを加え、さらに一晩おく。 
⑪それに水を加えるとアルコール パルショータが出来上がる。

特にデラシャの人々は、固形物はほとんど取らず、甘酒のような酒を主食にして一生を送っているのだ。
それでいて、体は大きく筋肉も強い。

日本の味噌も発酵食品、納豆もそうだ。昔の家は 糠床を持っていて、それを切らさぬように保存していた。

2つの民族が酒を飲むのも、日本人が味噌汁を飲むのと同じ意味合いがあるのだろう。

妊婦(左下)も 5歳児(右下)も酒を飲む

本の終わりに添えられた エピローグ がまた考えさせられた。
以下、そのまま記述してみた。

「彼ら(デラシャやコンソの人々)は決して「遅れている」わけではない。「自然と共生している」わけでもない。
コンソ人もデラシャ人も強烈なデベロッパーであり、自然を作り替え、コントロールしようとしていた。
酒を主食とする食生活もやむを得ずそうなってしまったのではなく、意識的につかみ取ったものだろう。
その意味では現代の日本人や西洋人と同じだ。ただし、「進んだ方向が違う」のである。だから、西洋文明が世界基準となってしまった今、「遅れている」ように見えるだけだ。
私は前から西洋文明に席巻される前は他にも進んだ文明があちこちにあったはずだと思っていたが、今回コンソ・デラシャを観たことで確信に変わった。・・・(中略)・・今現在、その反省からか西洋人は「多様性」なる概念を世界に広め、新しい価値観にしようとしているけれど、本当に「多様性」を理解しているのかと、ときどき疑問に駆られる。
その最たるものが昨今の飲酒に対するネガティブな態度だ。2023年にWHOは「アルコールは少量でも健康に有害」と明言した。、(中略)、、、それはおかしいんじゃないか。デラシャの人たちの生活を見たらそうとしか思えない。まず、一言で「飲酒」と言っても、飲酒している人の食生活全体は何も言及されない。もし、飲酒に害があるとしても、それはつまみに塩気の強いものや脂っこいものを摂るせいかもしれない。・・・(中略)・・・だいたい、イスラム圏を長く歩いている私には単純に酒を飲まない生活が健康にいいなどとは到底思えない。イスラム教徒の中には、酒の代わりに頭が痛くなるほど甘いお菓子を食べ、お茶を飲んでいるのか砂糖水を飲んでいるのかわからないようなチャイを一日に十杯以上も飲み、これでもかと油を入れた料理を食べている人が少なくない。私のイラクの友人は「イラク人はだいたい、高血圧か糖尿病で死ぬ」と言っている。・・・(中略)・・・デラシャの人たちは油を摂取しない。砂糖もほとんどとらない。塩分摂取も少ない。もっと言えば、固形物の摂取量が少ない。もし本当に飲酒がよくないとすれば、甘いものや脂っこいものや塩辛いものをたっぷり食べ、肉も魚もたくさん食べ、そのうえで酒を飲むからではないか。そういう「全体」を見る視点が現代科学では決定的に欠けているように思える。・・・(中略)・・・彼らは科学がまだ達していない「未知」の領域にいるのだ。西洋文明の方がこの点ではまだ「遅れている」。  


このコメントは確かにそう思った。いろんな価値の中で西洋の価値が世界を席巻しているが、全てがそれで良いわけではないし、それは押し付けかもしれない。今は「多様性」という一途な価値観が強制されているのかも。価値はいつも軍事力と共にやってきて、その土地と人々の心を占領した。
だから、その動きに無批判であったり盲目であってはならないのだと思う。
我が母校、川越高校などの男女別学高校を「多様性(男も女もという思想)」を理由に廃止しようとする動きも思い出される。

追伸:一昨日、所沢市議会が終わったようだが、また、議会として恥ずべき、陰質な仕儀があったようだ。
   赤信号 みんなで渡ればこわくない・・・議会を伝えるマスコミがなくなって久しい。 憤りを覚える。

 

 

 


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「サン浜名」 東池袋 町中華

2025-03-18 12:03:35 | おいしいものなど

「つなかん」 の映画の記事で、記事はいったん終わらねばならなかったが、

そのあとのことも書きます。

映画を観てのち・・・


さて、東京にどうせ出たのだ、簡単には帰るまい

田端駅にて山手線に乗って本を読み始める。

小田実著『円いひっぴい』である。

この本 2段組で500ページ以上の大作で、字が小さくて骨が折れる。

間違って上野方面に乗ってしまい、ままよっ、池袋までそのまま遠回りだっ!

雨の日曜 車内はすいていたが、やはり外人サンハ多いネ。

渋谷でまた車内は混んできて、新宿、馬場、目白、池袋で降りる。

山手線を約一周したのに10ページ読めなかったんじゃないか!?


池袋で気になるお店に向かう。雨の中、駅をまっすぐ歩く。


東池袋駅を過ぎてすこし。 大通りの右手、首都高のガード下に 目指す「サン浜名」はあった。 

そして、日曜の夜だが、やっていた!


この店はテレビで紹介された。 たぶん 町中華で飲ろうぜ ではないか?

一階も「和食 鰻 サン浜名」 二階も「中華 サン浜名」

迷ったが、財布と相談すれば 言わずと2階に足は向く。

上る階段では雑誌のグラビアが壁面を埋め、扉を開くと一陣の風が吹く。

仄(ほの)暗い照明が部屋全体を怪しく照らす、そこは六甲おろしの阪神タイガースの聖地であった。


そうそう、ここだ。この混沌とした雰囲気、テレビで見て印象に残っている。

カウンターでも良かったが、奥に客がいるので、自分もまた奥の方に分け入った。

部屋は洋風の喫茶店の感じ。ソファに座る。 窓際にはOL女子3人組がまさにぺちゃくちゃ話に興じている。

酒は飲んでいない。ご飯を食べている。食べ終わったのち、ずっと話に興じている。

メニューを開くと、

中華から洋食までそろっているが、おつまみ含めてすべて良心的な価格である。

自分は日本酒を徳利で2本いただき、半チキンカツ、ねぎメンマ、スープ そして、ハンバーグ定食を注文した。


かべには、いろんなブロマイド、ポスター、が貼ってあり、サインもある。

テレビ取材も多いらしく、

「サン浜名」は、町中華で飲ろうぜ では 玉ちゃん も、高田秋も来た らしい。 また、「もやもやさまーず」も。

マツコ・デラックスの「マツコの 朝まで夜ふかし」にも、マスター、出演したという。

1時間半 滞在して、 しめて2500円。 おいしかったし、面白かったし、ごちそうさまでした。



 良心的なおつまみのメニュー これをめくると半〇〇サイズコーナーがある


  写真は 日本酒一合 半チキンカツ  ネギメンマ  スープは50円

   
     さすが中華 いや 食堂 ハンバーグ定食850円?
このように正統なる 定食、ラーメンセットが盛りだくさん、
                 やはり、こっちがメインなんだね!


怪しげな入口 
2階は中華 1階は和食 どちらも「サン浜名」
ご兄弟でやっているらしい


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ただいま、つなかん  

2025-03-17 17:04:30 | 本・映画など

起きてみれば きのうからの雨が降り続いていた。

ということは、今日は任務が無くなったということで、

家にいるのはもったいない。 映画に行こうと傘をさして外に出た。

ただいま、つなかん

つなかん とは、気仙沼市唐桑町鮪立(しびたち)にある鮪御殿のこと。

この漁港は、昔 遠洋漁業で栄えた港。漁師たちは豪華な家を競い建てたという。

しかし、東日本大震災で津波を受け、解体を余儀なくされる。

それを惜しんだ主の奥さん 菅野一代さんが、学生ボランティアたちの宿所に提供し、
そこを舞台に多くの学生たちが寝食を共にし、活動を重ね、親交を重ねた。
「つなかん」とは、その宿所のことである。

いつしか、学生たちはそこを「ツナ(鮪立)かん(菅野)」と呼び、一代さんも建物を民宿として出発させる。
若者たちは、「つなかん」を絆と青春の原点、心のふるさととして 活動後も何度も再訪し、何人かは唐桑に移住し、所帯を持つ者も出てくる。
そこには、つねに 気丈で前向きで 元気で きらきら輝いている菅野一代さんの存在があった。

菅野一代さんと家族、学生たち、地域の人たち、

震災直後に取材に入ったテレビ局が 彼らの姿を その後も定期的に取材したことで、10数年にわたる記録となった。

だから、映画というよりドキュメンタリーなのであるが、

菅野一代さんのひたむきさ、明るさ、強さ、そして、輝き と それでも襲ってくる運命の酷さ、

神はなぜそこまでするのか?! とずっと考えた。

神はそれに耐えられるものにしかそれを課さない というが、そんな言葉 現実の前に吹き飛ぶしかない。

劇よりも劇的な運命に翻弄されながらも、


いのちたちが どうあらがい どう支えあって カガヤいていくのか!? 

いのち のあり方 を映した(描いた ではない)映画であると 僕は思った。

ただいま、つなかん3月16日(日)~22日(土)田端 シネマ・チュプキ・タバタ上映中
       『ただいま、つなかん』 映画情報  YOUTUBE 映画『ただいま、つなかん』予告編

民宿 つなかん ホームページ 唐桑御殿つなかん


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『不揃いの木を組む』小川三夫著

2025-03-10 12:28:14 | 本・映画など

小田実の『円いひっぴい』を図書館に借りに行って

ふと横を見たら、返却されたての本のなかにあったので読んだ。

宮大工の棟梁が語る、仕事と弟子育てのお話だが、内容が深い。

職人を弟子として働かせるのと学校教育とが度々比較されて語られる。


器用・不器用)
・器用は深くない。 深く考えねばならないとき、器用な奴は 器用に他のことを考えてしまう。
 長い時間で考えれば器用もクソもない。
 ゴールが長いと器用さだけではだめだと分かる。
 十年、二十年ということは少しばかりの器用さなんて影をひそめる。

・不器用の一心 というものがある。斧を研いでいたら針になった、それが大事。

・芸事の世界は鈍が勝ち(西岡常一棟梁のことば)

不揃いの方がいい)
・十年共に仕事をし暮らしていれば自分のレベルがわかる。
 集団で生活していると全てがバレルる。嘘もつけない。
 鵤工舎では いろんなレベルの職人が働く。  ※ 鵤工舎(いかるがこうしゃ)・・・小川棟梁の会社、みんな共同生活。
 大きな仕事をするときは、不揃いの方がいい。

・小川さんの「鵤工舎」は複式学級のようなもの。 
 でも、不揃いが「総持ち」で支えあう。
 大勢を育てるときは不揃いなのがいい。
 同じレベルばかりだと我も出るし、分裂したり、力を発揮しなくなる。

追究)
・どこで仕上げとするか?! 自分がいいと思うまで、そこで何か分かったと思うまではやっておかねばならない。

・うまくなる時は一気になる。

・基準というのは最低の規則なのに、それが目標になってしまう。

時間軸)
・花はゆっくり咲くがいい(小川三夫棟梁のことば)

・立木は寝かせる(乾燥させる)うちに建物になる木に命が移っていく。人材育成も寝かせる時間があっていい。
 ゆっくりでいいから少しずつすこしずつでいいから前へ、と。

・カリキュラムにそって時間の中で効率的に教えるのが学校だが、宮大工の修業は長くも強いものを作るのだから、
 長い期間を通して 自らまねて、身に着ける。
 順序なんてない。その時の仕事が 学ぶこと そのもの。
 
・学校では3年の間にカリキュラムにそって教え、期間が来れば卒業させる。一人一人の特色なんて関係ない。
 そこで、器用な子が重宝される。器用さが助長されて人間として良いことはない。浅くなりがちになってしまうから。

その他)
・徒党を組むな。修業は自分のものだ。

・丁寧にやれ。だが、バカ丁寧ではだめ。手垢がついて汚くなる。

・腹を立てて怒るのはいいことだ。
 あきらめて、まあいいわ、と怒らなくなる方が悪い。
 こっちにも向こうにもためにならない、すすまない。いい仕事もできなくなる。



前回 三部作を読んだ時もそうだったが、目から鱗が落ちるというか、
その子のスピードに応じてじっくり習得させ、よいものを作り上げることに重きがおかれれば 対し方も変わるというものだ。
世の芸術作品も どれだけ速く描いたか、書いたか、なんて評価軸はない。
林業の世界も 100年後を想像して、 今、木を植える。

我が子が通った新所沢幼稚園でのこと。
園児の絵がみんな芸術的ですごいので先生に聞いたところ
「じっくり描き終わるまで描かせてあげるから」とのお答えだったのを、今思い出した。

生業(なりわい) とか お金 の評価軸 が入ってくると、塩梅 やら 器用さ が重宝され始める。

学校も 教えるしごと に成り下がっている。
本当は、じっくり、その子のよさを生かして、伸ばして上げられればいいのに、と思った。

前回の

三部作についての読後感 『木のいのち 木のこころ』天・地・人 、『娯楽する郊外』 、『「あの世」と「この世」のあいだ たましいのふるさとを探して』 - ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

 



















 


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小田実 『冷え物』 『羽なければ』 『ある手紙』 『XYZ』

2025-03-05 21:06:27 | 本・映画など

『ガ島』を読んで、もう少し小田実を読みたいと思った。

『冷え物』は大阪の戦後の庶民の、まだ貧しい生活を描きながら、差別 特に朝鮮人差別を中心に同和差別も含めて

生活の中で、市井の人々は、許されざる「差別」に対し、どう理解し、どう受け止め、どう過ごしてきたのか、

その姿を描き出し、

その中から表面と内面、虚と実を暴いて、えぐるように問うた 
にんげん小説であった、と思う。
(のちに書いた『ある手紙』の中で小田実は 
 『冷え物』のなかで、私が描き出そうとしたことは、・・・さきに述べた「善良な」人たちのあいだにひそむ差別でした。 
と述べている。) 

『冷え物』は1969年に雑誌で発表されたのだが、

小田実だからこその姿勢、あえて明らかにして書く作法は、一方で、差別を助長してしまうかもしれぬ危険性も持つ。

問題とされ糾弾され、べ平連事務所が襲われたりする中で、

小田実自身もその批判を深く受け、差別される側の批判(土方鐵による「『冷え物』への私の批判」)と共に、

考えを表したのが、『ある手紙』であった。

『ある手紙』(1971)において小田実は、

差別の現実に触れないよう距離を置く、の
ではなく、積極的に反差別のための文学を表すべき

と考えを述べ、

それでも、差別される側が何に傷つくのか、もっと真摯であらねばならなかった、と記す。

そして、差別される当事者側としょせん外部の者でしかないものとの差、その懸隔にぶち当たり、逡巡する。

いや、懸隔の存在はとっくに意識ずみだったが、指摘されるとそこでとどまらざるを得ない、ということか。

書けば批判があるやも知らぬ、分かっている中 敢えて書くか、留まるか、

小田実は気質としてやはり前者でしかありえなかった。

そこが小田実の小田実たるゆえんだと 私は思った。

『羽なければ』も、小田実によれば同じテーマの3部作(もう一つは『円いひっぴい』)とのことだったが、

むしろいろいろありの人間だもの という小説に私には思えた。


そして、『XYZ』

1997年の作品だけあって、国連平和維持軍まで登場する。   

主人公の老人は、高級住宅街、芦屋に出たイノシシを撃ちに行って、火縄銃の暴発で大けがをして意識を失う。

意識を失う中で老人は様々な時空をさまようことになる。

東西の対立時代 ナチス時代から冷戦対立まで ベルリンの壁 アウシュビッツ収容所の壁

ギリシャの市民都市国家時代 ポリス国家「アテナイ」の理念とその内実 「メロス」国家の制服

それを「壁」を象徴として出現させ その対立と怪しさを描いている
(前者では「ベルリンの壁」など、後者は「定住外国人」としての市民との「壁」) 

また、
自由とか民主主義とか はたまた平等とか、そういう崇高な理念を掲げ 押し付ける「体制」の傲慢、人間のいい加減を暴く。
(描写の中で東ドイツや西ドイツ、東西対立、そしてアメリカが想起させる。また、日本も登場し、うまく立ち回る。)

でも、なんやかんや言ったって内実は、
結局、[
殺す、さもなければ殺される] のループにはまって、人類はずっと戦争をしてきた、のだ。

そこで小田実は、
その無限ループから抜け出して、「コ・ロ・ス・ナ」(と自身に課す)ことに
しか 道はないのではないか

と コロスナ童子を登場させて、提起するのだった。(日本国憲法)

しかし、こちらは良くて、あちらは悪い、と言って胡坐をかいていれば、その「壁」も安泰ではない。

ギリシャの世の夢から老人が目覚めてみると、そこは戦場であり、日本の国際平和維持派遣軍が戦っていた。

老人は野戦病院にいて、病院に引き取りに来た家族とともに「平和の壁」の向こう側 平和・安泰の地に飛行機で向かったのだが・・・、

頼りにした平和の壁はすでになく、そこも戦場と化していた。
(平和の壁には残念ながら コロスナ ではなく、「この「壁」を外からなかへ入ろうとする者は殺せ」とかいてあった。)

殺すのはダメだ、人間が全うすべきは生老病死を全うすることだ、

と悟った老人であったが、時すでに遅し、黒焦げの躯(むくろ)となった猪たちにかみ殺されてしまったとさ、というお話。
(きっとそのイノシシは老人が撃ち殺したイノシシだろう)

なんか警世の本であった。  警世といえばエンデの『モモ』にも似ていた。


『XYZ』まで小田実の本を読んで、総合して今、感じること。 それはこんなことだ。

混沌(こんとん)、有象無象・・・いろんな言葉があらわせるだろうが、

創成期の、原初の、または、戦後期の 人の社会は、ナンデモアリの、ある意味人間臭い時代だった。

その中から先人は、悩み、考え、葛藤を経て、より「よい」社会を作ろうと苦心惨憺してきた。

そういう繰り返しを経て、 正しくないこと、よくないこと よごれ は整理され、社会から排除され、

社会はより「よく」変化していくものなのだと思う。 キレイになっていくものなのだと思う。

ただ、それは自分で深く考えて自ら悩み、汗かいて葛藤を経て 産み出していくものなのだ。

借り物ではならない。

翻って、現代の社会、

社会がより「よく」なる過程で、そのわけを自分の頭で深く考えなくなり、

キレイだけど浅い社会になってしまってはいないだろうか。 

葛藤を忘れ、油断をすれば 元の木阿弥 そんなことを、『XYZ』まで読んだ後に、私は思った。

(全然違う話ですが、UR(公団)は僕はとっても敬意をもって都市づくりを見ているのですが、今やっているCMだけは
ちょっと引っかかるのです。
更新料が ナシナシ のCM ではなくて、・・・が はきはき(掃き掃き)というCM。
本来は、敷地を掃除するのは住民であるのに、当然のこととして
他人を雇って掃除してもらっていること。
考えてみれば、すべてのマンションもそうなのだが、自分の手を汚さず、人に委託すること。
それでキレイを確保しようとしていること。 金を出して他人(ひと)ごとにする。
いまは社会みんなそうなっているが、こんなことにも社会の危うさを感じるのです。)



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下町を行く 錦糸町から北千住 編

2025-03-03 13:28:41 | かんじたこと、つぶやき

久々の休みとなった。(といっても日々の労働時間は多くはないのであるが・・・)

今日は温かな小春日和、 そこで、昔、学生時代に歩いたところをたどってみようと思い立つ。

だが、今日は日曜。 立石の「うちだ」は休みである。

ゆえに最終は赤羽のおでんや「丸健水産」、いや、
北千住の「おおはし」か。

2万歩くらい歩くこと、そして、読書すること。 これも今日の目的である。

起点を錦糸町とさだめ、いったん平井に近づきながら 荒川に沿って北上することとした。

というのも、学生時代、平井に知人がいて、

下宿を尋ねて知人がいないときは、時間つぶしに荒川沿いを埼玉県川口近くまで歩いたものだったからだ。

スマホもない。電話も危うい。時間は ある。

昔はそんな時代だった。

44年ぶりの再訪? である。

錦糸町(墨田区)につく。
さすが繁華街。 駅ちかに公園があり、モールあり、家族連れでにぎわっている。
夜も昼も 錦糸町は輝いていた。空も高い。
錦糸町出身の職員を思い出しながら歩き始める。

前方、左に新モール「オリナス錦糸町」 右は大きな錦糸公園
ということは、この辺は絹織物で栄えた場所なのかしら?

北に少し、東に少しとあてずっぽうに行く。
決して大通りは通らない。

新十間川 墨田子育て支援センターの脇を抜け、川を渡る

橋を渡ると、昔からの家が残る。一階は工場、二階は家屋。

下町はこういう家内工場の集積ともいえた。

そのまま、亀戸天神の裏、香取神社の脇、亀戸3丁目(江東区)を進む。 この辺は落ち着いたたたずまいが増える。

立花1丁目(墨田区)を抜け、東武亀戸線の東あずま駅から立花4丁目へ。旧中川にでる。

流れがほとんどない旧中川の土手には、河津桜が咲き、多くの人々が憩っていた。

さらに、立花6丁目、5丁目と旧中川沿いを歩き、


中平井橋を渡る。いったん江戸川区の平井に入って、すぐに「ゆりのき橋」をわたって、

また、墨田区に入る形となる。

ゆりのき橋 前方は東墨田。どちらも都営住宅かなあ?


荒川沿いを北上する。土手の左は0m地帯。 右は運動場が続く。たくさんの少年野球の子供たちとすれ違う。

比較的、工業地帯が続く。

東墨田3丁目、2丁目、八広を過ぎる。

途中、八広で関東大震災時の朝鮮人虐殺を悼む碑があった。
この近くで起きたのだ。手を合わせる。
土手沿いの神社でも拝む。
八広では大学のサークルの後輩を思い出す。

京成押上線をくぐって、さらに墨田4丁目、左には鐘紡のビルがそびえていた。

そういえば、直前に「KAO(花王)」があった。そして、kanebo 鐘紡か。

左手に鐘ヶ淵駅(東武伊勢崎線)があるはずだ。
 

東武伊勢崎線を左に見る。この電車は久喜に向かう。特急電車もいろんな形のが通った。


墨田5丁目に入る。この辺りは隅田川が蛇行し荒川に迫り、その幅は400m。
とても狭い地域だ。

そして足立区に入った。
土手の左から 堀切駅と東京未来大学を望む。
市の幹部の方を思い出す。
それにしても、昔は堀切菖蒲園という駅名ではなかったか?
(と思って調べたら荒川の東岸に京成電鉄の堀切菖蒲園駅はあるのでした。)

足立区柳原でそろそろ土手歩きを止めて左の土手下に降りた。
そして、柳原1丁目、2丁目と分け入った。
自分が好きな路地がある。いや、ありすぎてうまく進めぬ時もあった。



柳原千草園

この辺は金八先生のロケ地だったらしい。 

歩き疲れて、ふと見ると銭湯が。
それを見越して、もちろん 手ぬぐいは持参している。
時刻も5時半。風呂に入ろう。550円。              
お湯もしっかり熱くてよかった。

それにしても下町の銭湯は元気がいい。お年寄りだけでなく中年も若者も子どもも、でにぎわっていた。
所沢の「沢の湯」も「
弘法の湯」もこんなだったらよかったのに・・・。

風呂から出ると6時半。すでに日は暮れていた。

さあどうするか?!
スマホの地図を見ると居酒屋近くにある。覗いてみてよさそうならそこで。



で、良さそうなので入ってみた。

そしてら、焼き鳥、焼きとんが 大きくて、安い。
わたしは、ガツ刺し、やきとん6本で腹がいっぱいになってしまった。
こんなこと ありえない。

ちなみに酒はホッピー、中3杯。 総額約2400円で大満足だ。

店では、自分はずっと読書していたが、その間ひっきりなしに若者が飲みに来ていて、店内は大繁盛。
駅から遠いのに 近くに住む若い人がこんなにやってくるんですねぇ。 というか、どこにこんなたくさんの若者が住んでいるのだ?!

写真はかしら2本、ホッピーにガツ刺し。
もつ焼きやまぴー、よろしくね。


時刻は夜9時。さあ、家に帰ろう。

帰宅時刻は10時半過ぎ。
小田実の『XYZ』は約150ページほども読め、歩く歩数も2万4000歩を稼ぐことができた。
メデタシメデタシ









 

 


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小田実 の 『ガ島』 を読む

2025-02-16 17:04:05 | 本・映画など

べ平連の人としてしかあまり存じ上げなかった小田実の『ガ島』を読んだ。
(中高の国語のじかんにはよく「みのる」ではない「まこと だぞ」と先生が言ったものだった)


329ページが細かい字でびっしり埋め尽くされて、

縦横無尽、空前絶後、満身創痍、荒唐無稽・・・でも史実が基にあり、

寄らば斬るぞ、実は大真面目な にんげん小説であった。

小田実自身は まえせつ において これを「政治小説」と呼んでいる。

書いた動機が政治的なものであり、そこに人間のあらゆる情念が表れているから であろう。


ガ島 とは 餓島 であり、蘭英米仏に占領されていた南方に日本軍が進出し、米軍に全滅せられた南洋の島、ガダルカナル島のことである。

武器と食糧の補給を絶たれ 米軍の機銃と爆撃に倒れ、

ある者は餓死し、ある者はマラリアに倒れ、2万人の日本兵が白骨と化したガダルカナル島である。


ひょんなことからその「ガ島」にレジャーランドをつくる計画に巻き込まれ(自らもその気になって)、

人の汗と豚の脂、鬱蒼たるジャングルの雨と湿気と泥にまみれながら、

遺骨収集、慰霊塔建設、なんといってもレジャーランド建設のため、倒(こけ)つ転(まろ)びつ進んでいく

「にんげん」 を描いた小説であった。



主人公は空襲を知る大阪商人の中年男、

「うまいで、安いで、ワッハッハッ」テレビ宣伝でも有名なとんかつチェーン西川の社長であり、

この小説の大半は西川氏の大阪弁で展開される。

また、西川氏と妻の妹キヨ子はともに南洋で父を亡くした、空襲の経験を知る戦争遺児。

そこに日本軍の軍属だった台湾人で今は通訳の陳氏、戦争を知らないかっこつけの野心家の中島、ドイツ人の若者ヘルマン、

さらに、ガ島側からは、戦争に巻き込まれた原住民(土人)の大酋長、戦後生まれの息子で英語も話すシメオン、

呪術師(カヤ)のメダイ婆ちゃん。そして、計画成就のために西川隊一行
に派遣された4人の原住民
(西川氏命名によるプレイボーイ、一言居士、モクモク人間、くたびれ中年男)が、

それぞれの個性を存分に発揮しながら計画の成功目指して奮闘する。



表現も今のコンプラなんて微塵も知らぬ、ナンデモアリの表現で(不倫あり、売春あり、土人あり・・・)

白人に有色人種、日本人にも大阪人あり、台湾人に華僑あり、アメリカ人にドイツ人、土人あり(確かに昔はドジンと言っていた)

現実の描写かと思って読んでいたら想念描写、はたまたいつの間にか夢の中の出来事へと、境なく表現され

情欲と日本遺児としての矜持、ど根性が、あれよあれよと 交錯する。

大阪弁の語りと話の展開が小気味よくテンポを生んで、

ハラハラドキドキ、捧腹絶倒、でも、にんげんっていいなと 感じてしまう小説だった。
(そして、西川隊のジャングルでの行動は戦時の日本の兵隊さんたちの行動に重なっている)


この小説は
昭和49年の執筆で、小田実の執筆ぶりからその当時の感情・感覚というものがうかがわれる。

たとえば、しきりに戦後生まれの若者を「この頃でき の若者」と西川をしてこきおろさせていることや

原住民に日本軍人の勇敢さを語らせたり、兵隊全体へのシンパシーが内容にあふれているところをみると、

小田実ですら戦(前)中と戦後の隔たりがあり、

小田実ですら、戦争に突入していった悲哀とそこにあった日本の理 は認めていたのだ、と感じるのである。

そう考えると日本全体としては さらに言うに言われぬ感情が戦後のそのころには存在したに違いない。

時を隔てて、現代の論理だけでその当時を断罪するのは、やはり間違えなのにちがいない。


実は、恥ずかしながら小田実の本は『何でも見てやろう』を 1年前くらいに読んだのが初めてだった。

まだ、外国に日本人がなかなか行けなかった、戦後まじかに書かれたもので、

その活躍ぶりに 既成の枠に縛られぬ人間はすごいもんだなぁ とワクワクして読んだもので

自治連のゴリラ、安田敏男氏を想起したものだった。

この『ガ島』も その文体、その発想は同様で、

とんかつ西川の西川はんの商人魂は、知人の見澤食品社長を想起しながらニヤニヤして読んだ。

小田実さんの文章(行動)は、何物にも拘束されない、清濁混然とした、自由とエネルギーに満ちあふれている。

それはもしかしたら戦後のその時代特有のものだったのかもしれない。









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みゆき食堂 ふたたび

2025-02-02 15:51:25 | おいしいものなど

前回は、覚えていない。 僕の手が(脳を経ずに)勝手に書いた。

今回は、絶対酔わない。慎重に注文しよう。


意気込んで暖簾(のれん)をくぐる。 

やはり 満卓だ。 

相席上等!    ここで相席の人の料理を観察する。


おいしそうに食べていたのは アジフライ定食500円。それにワンタンメン。

注文したかったが、こらえて抑えて、(これを頼むと時間差が30分はかかりそう、その間に酔ってしまう!)

まずは、ホッピーセット400円。 

同時に

にら玉350円、麻婆豆腐350円、カブの酢の物200円。 (こっちの方がアジフライより早く出て来るはずだ。)

ホッピーは ジョッキの上から3cmくらいまで焼酎で満ちていた。

3品のうち最後に来たのが麻婆豆腐。

最初と最後の品まで20分の時間差があった。 

前回は、この段階でホッピーのお替りまで進んでしまい、すきっ腹に焼酎が染みわたり・・・敗れたのだ。


だから、食事が来るまでは、飲むペースを抑える、抑える。


相席の人と話し始めてはいけない。 そうするとテンションが上がる。

上がれば酒とメニューの話になって、おのずと杯(はい)が進んでしまう。

よって、おもむろに書物を取り出す。

阪倉篤義著『日本文法の話』

これを精読することで、自分は飲みのペース抑制に成功した。

行くまい という形で示されるように、詞の表す客体的なものを、辞の表す主体的なものが包む、という関係にあるのであって、ある事柄(行く)に、それについての話し手の推量(まい)が加わって表現されたものである、と言った。ところが、ある語に接頭語や接尾語が付いたもの、たとえば「素肌」や「学者ぶる」などは、それ全体がやはり客体的なものを表現しているのであって、・・・

出てきた順に ホッピー➨5分後カブの酢の物➨5分後、にら玉➨10分後、麻婆豆腐 

いつのまにか となりのテーブルも相席が成立し、知らない者同士の「注文談義」がはじまっている。

見ると卓上に大量の豚キムチがドンと据えられ、そこから花が咲いたらしい。

新入りと思しき客A 「これじゃ、食べきれませんよ!!!」

少し常連と思われる客B 「 んじゃ お持ち帰りがいいんじゃない。」

常連が 持ち帰りだってできるんだぜパワー を発揮して 新入りは それにいたく感動している。

おお!、いつか見た景色 いつか来た道  (来い! 来い! 俺の来た道!) 

しかし、この2人は穏やかな人々で、この後も飲酒ギアをトップにすることはなかった。(なんとまともな人たちなのだ!!)


聞き耳を立てているうちに、自分の方が本の内容が頭に入らなくなり、豚キムチと日本酒を注文してしまった。

日本酒250円、豚キムチ400円。

時間差で来る間に、さらにホッピー中(200円)を追加して、いい気分で時を過ごす。

  写真左上が「豚キムチ」 自分も少し残して 家に持って帰った

時刻はまだ8時40分。 でも今日はここで良しとしよう!

そろそろ閉店時間である。

酒は五臓に染みわたり、いい気分に酔っぱらい、サービス券までいただいて、僕は食堂を後にした。

ああ、僕も(サービス券をもらうようになって)仲間に認めてもらえたのかなぁ、ナンテネ。


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グリーンポケット10周年 に招かれて

2025-02-02 14:27:02 | 行事を見たり聴いたり活動

令和7年2月2日
新所沢団地自治会コミュニティサロン「グリーンポケット」の10周年のお祝いの会に ありがたくもご招待いただいた。


2015年2月2日 今からちょうど10年前のこの日に グリーンポケットはオープンした。

爾来(じらい)、10年間、雨の日も風の日も雪の日も、そして、コロナの日々も乗り越えて、

グリーンポケットのスタッフは笑顔と共に住民を迎えてきた。
(毎週 火、木、金曜日 11時~15時半)

10年間を振り返っての古屋代表(自治会長)のスライド入りのお話は興味深かった。

開所の時の写真は、やはりみなさん(今より)お若い! お若い!

当時畳敷きだった集会所を改造し、自治会が立ち上げたサロンが「グリーンポケット」。

名前は公募で、夏祭りの時決めたという。

独居になった人 親子連れ 誰でも気軽に立ち寄れるようスタッフが笑顔で迎え、


美味しいご飯も提供してきた。

コロナの時は閉鎖を余儀なくされ 辛かった。

イベントも企画し、春には「桜まつり」 防災面も考えて、空地と道を整備し・・・

お話を伺えばうかがうほど、グリーンポケットの活動が自治会活動の一環であることが しのばれるお話だった。

そして、その共通のテーマが「絆 独りぼっちにならない、させない」である。


そののち、自分もあいさつの機会をいただいた。


家では、10年前の国と市の出来事を調べて 用意してきたが、それはすっかり割愛した。
(国 18歳選挙権に ラグビー日本代表が南アフリカを破る 新国立競技場設計案白紙に 五輪エンブレムも撤回 
   マイナンバー制度スタート
 大村さん 梶田さん ノーベル賞 
 所沢市 住民投票行う 狭山丘陵に墓地問題勃発 育児休業時お母さんがお家にいるのだからいったんお家の戻り(同時に、待機していた他の家庭の子が入園でき)育休終了後(仕事復帰時)は兄弟そろって同じ園に復帰できる制度開始 
   オリンピックホストタウン誘致活動開始 KADOKAWAクールジャパンフォレスト構想発表 
   食品ロス削減協力店制度始まる・・・)

古屋さんのお話を聞きながら、自分は「団地って何だろう?」と思いをめぐらした。

そして、気づいた。 

「団地とは 建物 だけでなく、人のまちまり であり 団結であり、絆のことだ」と。

人が人と出会い、結び付く・・・程よい集住性を有し、それを十二分に生かし、

洗練し切磋琢磨しているのが ここ、新所沢団地なのだ、と。


そんなことをお伝えしたかったのだが、果たしてうまく伝わっただろうか・・・?


       いただいたパンフレットから


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憧れのみゆき食堂にて

2025-01-25 21:43:15 | おいしいものなど


  メニューの数がすごい 基本は「食堂」なんです

行きたかった清瀬のみゆき食堂に行った。

昨日、「おんな酒場放浪記」に出ていたので、そう簡単には入れないと覚悟した。

やはり、並んでいた。二人組のお客さんは、色々とこの店のしきたりを教えてくれた。

その人たちより先に、1人なので自分は通されて、先に通された人と相席で飲み始めた。この方も所沢市民。

いろいろとお話しして、楽しいひと時を過ごした。



壁にはたくさんのメニューが貼り出され、どれを頼んでも手ごろな値段で、そして、美味しかった。ボリュームもある。

最初に品数を頼みすぎた。

ただ、すぐ来るものや時間がかかるものもある。

自分も、最初の二品の段階で、すっかり酔ってしまったらしい。

これからは、しっかりわきまえて 
美味しいものを美味しい時間に しっかりと味わいたいと思う。

ホッピーセット450円か400円 中200円 煮込み450円くらい
(記憶が定かでなくって・・・)日本酒コップ250円
焼き鳥は隣の焼鳥屋から1本140円 このあとピリ辛モヤシ炒めと餃子が来る(これは後で書いた)


 となりのやきとりやさんへ 皿をもって買いに行く

以上

追伸 それにしてもこの記事 お店の中で書いたようなのだが、

そのことをあまり覚えていないのだから不思議だ。

ホッピーの「中」を何杯も頼みすぎたのがもしれない。

反省だ。(こう言う時 たいていは 反省はしていない )


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環境研究総合推進費S-22「気候変動緩和に向けた温室効果ガスと大気質関連物質の監視に関する総合的研究」の発表を聞く

2025-01-24 15:05:53 | 勉強会など

「気候変動緩和に向けた温室効果ガスと大気質関連物質の監視に関する総合的研究」の発表を聞いた。

温室効果ガス(GHG)を正確に把握し、それを政策に役立てること、が目的の研究だ。



温室効果ガス(GHG)は大きくは3種ある、CO2,メタン、一酸化窒素。

空気中に長くはとどまらないものの、強い影響を与えるガスもある。
どれも、パリ協定後も増えていて、CO2は過去最高を記録中。ロックダウン時はどれも激減したが・・・。
一酸化窒素は農業由来が大きい。
CO2は人間活動由来。

測定には2種類ある。
ボトムアップアプローチ=個々の排出源を測定していく積立式で推定する方法は対策を取るのに重要だが、状況をうまく表せないことも多い。
そこで、現実的な状況を表す大気自体を調べていくトップダウンアプローチも増やしている。
ただ、空白地域もあるので(例インド洋)タンカー定期便に観測装置をつけて調べ始めている。

より正確なデータを測定し、GHG監視データを政府や非政府組織、自治体や気候市民会議に提供していきたい。

そのための研究。


民間や企業もそういう試みを始めている。
クライメイトトレースもそうだしData Downloads - Climate TRACE、グーグルも。また、GCPグローバルカーボンプロジェクトも。
※「グローバルカーボンプロジェクトつくば国際オフィス」参照 Global Carbon Project Tsukuba International Office

また、WMO世界気象機関の「U.S.GREENHOUSE GAS CENTER」も。Welcome — U.S. Greenhouse Gas Center

CO2が全地球規模で減少に転ずるのは、SSP119に沿って進めば2040~60くらい以降ではないか、と予測しているらしい。
化石燃料由来のCO2はまだ増えているが、土地利用変化によるCO2は減ってきている。
全体で横ばいに近づいてきてはいる。

メタンはCO2と違って空気中に10年くらいしか存在しないので対策によって効果も顕著に出るはず。

定量的なデータに基づいて気候市民会議を行えれば、地域に応じた議論が展開されていくと思う。
まだその提供が不十分だから、どこの市民会議も同じような結論が導かれているのかもしれない、との見解。

以上、聴講してのまとめ。(本当はもっと専門的な話だが、自分に理解できるのはこれくらい)


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『有機野菜はウソをつく』 齋藤訓之 著

2025-01-19 16:23:54 | 本・映画など

このところ 有機 に没頭してきたので 頭を冷やすために読んでみた。

いい本だった。

筆者はこんな想像を提示する。


あなたが巨人につかまってしまう。

捕らえられたあなたを見て、巨人たちが会話する。

「丸のみしようぜ」

「いや、あいつ化学物質使ってるぜ」

「カバンの中にはビタミン剤と風邪薬が入っていた。それに化粧水とオーデコロンとリップクリーム。

虫よけスプレーと虫刺されの薬。それに水虫の薬も。どれも化学物質だ。」

「ゲェッ!」

「おそらく風呂ではシャンプーにコンディショナーやボディソープも使っているはずだよ。」

「おおっ!」

「それにあいつらの国では水に塩素が入っている。家では芳香剤と蚊取り器も使っているよ。外では車の排気ガスを浴びて・・・」

「なんてこった」

「俺たちの有機の規格には合わんよ。食えたもんじゃない」


こう言われると何とも釈然としない。 が、慣行農業を敵視し 有機を唱える人は、これに似ているところがあるのではないか?!


以下 読んだ内容と感想である。


1.化学肥料も農薬も厳格に規制されている。

そもそも化学肥料も農薬も、『沈黙の春』(1961)、『複合汚染』(1974)以降、


改正農薬取締法、食品衛生法、化学物質の審査及び製造等の帰省に関する法律などで 残留性なども厳格に規制されてきた。

(これにはEUに比べて基準が甘いとか、規制がされていないとか、異論もたくさんある。)

2.植物は栄養を無機質の形で取り入れる。

有機農業だろうと慣行農業だろうと、
植物が栄養を取り入れるのは、窒素、リン酸、カリウム(カルシウム、マグネシウム、硫黄・・・)

に代表されるように無機質で、
水に溶け(陽)イオンの形で根から吸収されるのである。

3.日本は養分を保つのに難しい 土と降雨 の環境だ。

土は、構成する4種類に分けられ、1.造岩鉱物 2.粘土鉱物 3.腐植 4.生物 からなる。


土はコロイド状になっているのが最も養分を蓄えられる。粘土の中で土壌溶液に蓄えられるのだ。

土のコロイドがカルシウム、マグネシウム、カリウムの順に蓄えているのがPhとしても良い。 phは大切で、ph6~7が最適だ。


しかし、日本は雨が多く、雨は二酸化炭素を多く溶かし込み、酸性を呈する。
酸性に傾いた雨はカルシウムやマグネシウムを流してしまい、土も酸性になってしまう。
酸性に傾くと造岩鉱物や粘土鉱物から溶け出したアルミニウムや鉄が溶けだし、それにリン酸が結合してリン酸アルミニウムやリン酸鉄になってしまい、
大切なリン酸なのに植物が吸収できない形になってしまう(リン酸の無効化)。

4.有機であろうと化学であろうと、養分を与えるには適期がある。
   これが肝心だが、これが手間がかかるのだ。

根を張るときには与えない。自分で頑張らせて四方にしっかり根を張らせる。
身体が成長するときには、窒素を与え、アミノ酸、たんぱく質を作らせ、光合成により細胞壁を作らせる。
花芽が付く直前には、カリウムとリン酸を与える。と同時に窒素は断つ。
実がなるときにはカルシウムを与える。その時は、リン酸もカリウムも断つ。

これを適切にするには 手間がかかる。 


元肥(もとごえ)は上手くしないと 植物が根を張るのをさぼり、窒素が多すぎ日照不足なら細胞壁を強くできすに徒長を起こす。
また、堆肥は単肥とちがっていろんなものが入っていて、遅効性なので、コントロールが難しい。
窒素は与えすぎると硝酸態窒素として雨に流され富栄養化し、環境を汚染する。また、食べてもおいしくない。
リン酸とカリウムも与えすぎになる傾向。
リン酸はアルミニウムと化合し、無効化するし、アルミニウムの持つ病原菌抑制の力もそいでしまう。

カリウムはどんどん吸収するが、与えすぎで野菜はどす黒くなってしまう。
化学肥料の単肥の方がコントロールしやすいのだ。登録農薬ではない特定農薬(重曹、食酢、天敵など)でも、成分が一様でなくコントロールするのが難しい。
その分 農家の技術が求められる。


5.そもそも「有機農業」は近代科学主義に対するアンチテーゼとして生まれた

そして、ナチスに迫害されたり(シュタイナー農法)、戦後はアメリカではヒッピー文化に浸透したりして、「バック トゥ ザ ネイチャー」反体制の流れとして広まった。

日本はそもそもは有機農業だった。 でも、戦後、化学肥料の即効性も知られてきた。
また、進駐軍のサラダ需要に対しては、堆肥でなく化学肥料を使う「清浄野菜」が効果を上げ、化学肥料も安くなって化学肥料はどんどん広まっていく。

しかし、一方で土が砂漠化することもわかり、畑に有機化合物をすきこみ腐植を進める農法も見直されていく。
「有機」は日本でも70年代、やはりアンチテーゼとして広まっていったが(大地を守る会・MOA農法・ヤマギシズムなど)、

80年代後半には、GATT貿易の自由化に備え、コスト削減として化学肥料と農薬を減らすことが模索された。
有機農法は農協を敵に回し、周囲からも異端視されがちだったが、
90年代、逆に、安い肉が出回って肉から野菜に差別化の流れがくる。
外食産業(すかいらーくグループ)によって「有機」の価値を見出され、「有機」「減農薬」をうたって有機野菜を価値化した。
こうやって野菜が商品化され、有機野菜が「ブランド化」されていった。

6.有機か化学かではなく、結局 姿形のいいものが良い。

虫食いは有機の勲章ではない。やたら虫に食われている野菜は、弱い作物なのだ。
有機でも駄目なものはダメ。まがい物が出回っていないか?
色が少し薄くきれいなのが良い。濃すぎるのは硝酸過多。
農薬も適切に使えば、生き物たちと共存し、環境多様性も保たれるようにできる。
旬の野菜が一番良い。

そして最後に、筆者は農業における指針というか、基準を示している。

もっとも重要なベンチマーク
1.単収を高める。
基本的な態度
1.コントロール可能なもののコントロールを放棄しない。
2.すべてをコントロールできるとは考えない。
3.人・モノ・金・時間の投入を抑えるように考える。
4.技術を高めること。新しい技術を取り入れることを放棄しない。
重要な判断基準
1.土の内容と働きを考えて、その効果を引き出すように働きかける。
2.作物全体が健康に生育し、作がそろうように働きかける。
3.作業や資材等は、環境への負荷を考慮して選択する。
要求される実践
1.作業を記録する。
2.適期作業を励行する。
3.肥料・農薬等は必要な量だけ。
4.管理には有無や数字で、意味のある指標を用いる。
5.科学的に無意味な資材を使わない。
6.法律を順守する。

藤本感想)
まさにその通りだと感じた。
特に、
栄養は無機質で摂取する。有機肥料も適宜適切に使用しないとダメ。むしろ、化学肥料の方が制御しやすい、という点や、
農業も業なのだから単収を上げなければ良いことも広まらない、ことや、
人・モノ・金・時間の投入を抑える手法が支持されるのであって、また、新たな技術を拒否するのではなく柔らかな頭で、技術を高めねばいけないことは痛感した。
そして、なんと言っても美味しそうな均整とれたものが、健康で強い植物なのだ。
自分は昔、美は対象である、という内容の本を読んだことを思い出す。クジャクの羽も線対称、美しい顔も線対称なのだそうだ。
人は均整とれた肉体、整った顔に美を感じる。 それは、生物として強いからであり、それを好むのは、よい遺伝子を残そうとする習性からだ。
そうやって、美しいと映る要素は遺伝子として広まっていく。
見た目 とはそういうものなのだ。

化学(肥料・農薬)の方が簡単で、技がいらぬし、手間がいらない。人間は省力化する宿命だ。
何と言ってもきれいに作付けされ、単収が上がることが基本だ。
それをしっかり弁えて、慣行農業を否定せず、良いところを利用しながら、それでも、土の力を大切にし、有機に寄り添って技を高めていく。
生態系も守っていく。大きな潮流は有機に傾いていると自分は確信するので。

そんな気持ちで、考えを進めていきたい。


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カルチャーパークのイベントで

2025-01-13 13:38:01 | かんじたこと、つぶやき

1月13日 月曜日

市内各地で成人式が行われている。

新成人の皆さんには、若い大人として充実した日々を送ってほしい。

行くては広く高く深く、未来は広がっていますので。

さて、今日はお誘いをいただいて、カルチャーパークに行ってきた。

木村智子さんが中心になって、

コモンズ※としてのカルチャーパークを
いかに守り、いかに育てていくか、

カルチャーパークを考える未来会議」として生まれた会議体が、いろんな活動とコラボして

総合イベントを企画したからだ。

 

開始早々にはオオタカも姿を現し、

会の成功を祈ってくれたとか。

各種イベントのうち自分は

•カルチャーパークの自然観察会

参加して、植物のことなどを教わった。

思いのほか子どもたちが積極的に質問してて、

子どもってこんなだったのか!

と僕はそちらにも感動を覚えた。

落ち葉はき、落ち葉のマットをつくって遊ぶ(そして、生き物の巣を作る)、など

ボランティアの方々の企画は、多くの親子、カップルで賑わっていた。

市のブースはもちろん、キッチンカー、ブレイパークの会の催しもあり、

向こうでは、滑り台を子どもたちが何度も何度も駆け回っている。

日差しも暖かくみんな笑顔で、

僕の心にもポッと火が灯ったようだった。

皆さんに感謝の気持ちでいっぱいだ。

上田さんもお誘いありがとう。

緑と文化は市の宝である。

みんなの大切なモノ、コト(コモンズ)はみんなで守り、育てる。

これからもそうありますように。

※コモンズ・・・みんなにとって大切なモノ、コト 共有の財産 入会地をはじめとして海、山の幸など
昔の人はおきてを作って、大切にしてきた。
現代では、環境、森、海、山、空気、水をはじめ公園や公共交通、道・・・
教育や医療、福祉制度などのコト、制度まで指すことが多い。
これらはお金に換えてはいけなく、交換経済の対象にしすぎると社会が不公正なものになる。



 

 


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『フード・インク ポストコロナ』を観て

2024-12-13 13:05:00 | 本・映画など


東京では3か所で上映だが、どうも早く終わってしまうかも。

そこであわてて 新宿の「新宿シネマカリテ」で、観た。

    新宿シネマカリテ は新宿駅すぐ 地下1階

コロナの時、アメリカでは多くの作物や肉用動物が余ってしまい、殺されたという。

生産者は悲鳴を上げたが、それを買い上げる大企業は無傷だった。

食品産業などすでに一握りの企業に独占され、生産者からの買値も、製品の売値もみな牛耳られている。

ファストフードや飲料水など、加工に加工を重ねた「超加工食品」は、人の(必要以上に食べたいと思う)欲望を刺激するよう作られ、

肥満、糖尿・・・貧しい人ほど子供のころから体を壊すようになった。

穀物の生産も大規模化するうちに、地下水は枯れ、土壌は飛散し、

大規模プランテーションでは移民が酷使され、漁業では持続不可能なまでに獲りつくし、熱帯雨林は商品作物栽培のため伐採されて、すべてが持続不可能になっている。

食をめぐるシステムがゆがんでいるのだ。

その不公正、不平等に立ち上がった農民、漁師、そして、庶民が声を上げ、

土や水、生物多様性を大切にし、もっと適切な規模で、近くの見える関係の農業、漁業を始め、


ブラジルの給食は地域の食材を使うようになり・・・という人々の奮起する姿を描いたドキュメンタリーだった。

自分が近年学び、読み、考えてきた、目指すべき食をめぐる社会の姿 が描かれていた。

この思い、この流れが、世界の奔流となることを 願う。





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