そして、今でも懐かしい感じが残っている
両親が出てきた
教育局の調整幹さん(大塚さんと名乗られたような)と酒を飲み
遅くなったのでうちに泊まってもらった
朝起きてかばんに授業用のプリントがないのでどぎまぎして
大塚さんには先に下に降りてもらった
後から自分も下に降りると
テーブルに父母弟がそろってこれから朝飯を食べようと私を待っていた
父は
「結果が出たので(健康診断で引っかかった)電話したのに、
テレビを見て笑っていて誰も電話に気がつかないんだから。
(まったくしょうがないやっちゃ)」
と嘆いて見せた。
が、顔は笑顔である。
「今、人が降りてきたでしょ。あの人は課長さんなんだよ、教育関係の。
正確には調整幹といって・・・。」
と説明すると、
それは失礼なことをしてしまった、
という風に居住まいを正した。
父は寝巻すがただったが、少し若返ったというか、引き締まったというか
そんな感じだった。
調整幹さんも来たら(健診の結果を)これから説明するから、
席に座りなさい、と促されたところで、目が覚めた。
2階にいてプリントを探していたのは教師の自分、
調整幹さんの説明をしているのは県議の自分、
父も母も50代か? 弟も今の弟ではない。
そして、テレビを見てげらげら笑って、というのは今の家族の状態だ。
お笑い番組ばかり見ていることを私はよくなじる。
この2カ月、ずっと自暴自棄の生活をしてきた。
体が壊れるまで飲み崩れよう、としてきた。
もうそれはやめよう。
そして、清新な朝のテーブルに家族がみんなで朝ごはんを食べるような、
そんな生活に戻ろう。