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平和に魅入られた“常識人”丹羽大使の「危険性」
2012.7.29 09:46 [中国]
今月15日、一時帰国し、外務省に入る丹羽宇一郎・駐中国大使
丹羽宇一郎・駐中国大使(73)のような危険人物が戦争を誘発するのだと予感する。(SANKEI EXPRESS)
氏は沖縄県・尖閣諸島購入計画に対し「日中関係に重大な危機をもたらす」と批判。中国・国家副主席の面前で、計画に賛同し浄財を寄せる愛国者を「日本の国民感情はおかしい。日本は変わった国」と侮辱した。中国外交筋は「丹羽氏は話が通じる大局観のある常識人。更迭されれば日中関係はさらに悪化する」と内政干渉した。
「常識人」は時に「戦犯」
だが、歴史を振り返ると“常識人”は、時に国家に壊滅的損害を与える「戦犯」となる。代表格は英国首相ネヴィル・チェンバレン(1869~1940年)。
第一次世界大戦(1914~18年)に負け、再軍備を著しく制限されていた、アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)率いるドイツは表向き「戦争回避」を唱えながら、裏では欧州大陸制覇(世界制覇説も在り)の野望を秘め、軍備を着々と整備していた。第一次大戦でドイツに勝利した英国やフランスは国力を出し切り、戦争に疲れ果てた反動も手伝い「夢想」との境が見えない“危ない平和主義”を謳歌していた。従って、ヒトラーの心底を見抜いていた政治家が「軍事力増強」を言い出そうものなら、衆愚による言論上の「リンチ」に遭い、政治生命まで絶たれた。
“平和”に魅入られた人士には、ヒトラーの恫喝外交は効果てきめんであった。オーストリア併合に勢いづくドイツはチェコスロバキアに対し、ズデーテン地方割譲を求めた。要求拒絶が欧州全体の危機、即ち第二次大戦の口火となることを病的なまで恐れた各国首脳、特にチェンバレンは、ドイツの要求をほぼ呑んだ。見透かしたヒトラーの要求は次第にエスカレート。最終的にチェコスロバキアは、欧州各国に見捨てられ、ドイツにより徐々に解体されていく。欧州各国の「厭戦気運」と「恫喝」の味を堪能したヒトラーはその後、領土拡大政策を強引に推し進めていく。
後の悲劇など“平和市民”には予測不可能だった。そればかりか、ズデーテン割譲を決めた独ミュンヘンでの欧州首脳会談後、英ヒースロー空港に降り立ったチェンバレンは合意書を掲げ「私は平和を持ち帰った」と自賛。出迎えた10万人もの“平和市民”も「平和の使者」と憑かれたように出迎えた。
増殖する小チェンバレン
英国民が幻想から覚醒したのは、首脳会談より1年も経たない1939年の独軍によるポーランド侵攻後。ここに至って、英仏両国はようやく対独宣戦布告を決心した。だが、わずか10カ月弱でフランスは降伏。独軍は英本土にまで迫った。
日本の政界を見渡すと「小チェンバレン」が目障りなほど増殖している。軍事的冒険を厭わぬ国に囲まれているのに「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」(日本国憲法前文)してしまう、異様な“国柄”が生み落とした「抗体」を持てぬヒトたち。敗戦に学んだ最大の教訓は「平和の連呼による戦争回避」だった。ただ、チェンバレンもそうであったように、このヒトたちは歴史の節目に時々現れる。もっとも、増殖数も毒性も格段に低かった。
時の首相・山縣有朋(公爵・元帥陸軍大将/1838~1922年)は第一回帝國議会において、8000万円強という巨額の歳出予算案を提示し、承認を迫った。「国家の独立を維持せんと欲せば、独り主権線を守禦するのみを以て足れりとせず、必ず亦た利益線を防護せねばならぬ」との信念からだった。「主権線」は「国疆」、「利益線」とは「主権線の安全と緊しく相関係するの区域」と説明。両者を確保せんとすれば「国家資力の許す限り」軍事費として「巨大なる金額」を割くべしと訴えたのだった。列強の植民地と化したアジア・アフリカ諸国の惨状が、山縣の念頭にあったことは間違いない。
正鵠を射た山縣の安保観
ところが、多数を占める民(野)党・立憲自由党は猛反対し、900万円近い削減を主張、これを一旦は成立させた。「政費節約」「民力休養」「租税軽減」「政治改良」が従前よりの旗印であったためだ。耳に心地よい、国際情勢をわきまえぬ、民主党の無責任「マニフェスト」の源流は、この時代にまで遡る。結局、山縣の立憲自由党切り崩しにより、削減額は650万円まで圧縮され、歳出削減項目も政府判断に委ねられた。
藩(軍)閥を政治に持ち込み、自由民権派を弾圧した山縣に対する、それは議会を利用した意趣返しでもあった。しかし、たとえ山縣に難有りとしても、その安全保障観は正鵠を射る。何となれば、議会閉会から3年5カ月後に日清戦争(1894~95年)が勃発する。勝因は複数だが、軍事費の着実な積み上げも大きい。92年には、日清戦争前のピークに達し、歳出決算額の31%を占めるに至った。
それでも、陸軍兵力はわずか24万、対する清国陸軍は優に63万を数えた。海軍に至っては、世界最大級の30.5糎(センチ)砲4門を備えた、装甲の厚い東洋一の堅艦と恐れられた定遠/鎮遠を有した。片や日本は、16糎砲搭載の木造巡洋艦が最大。「我」の砲弾が何発命中しても「彼」は沈まず、「彼」の砲弾一発で「我」は沈む運命だった。
縮めたとはいえ、この戦力差が、清国をして、対日戦争に駆り立てた誘因の一つとなったことは間違いあるまい。
ところで、尖閣諸島防衛をはじめ日本の安全に大きく資する米軍垂直離着陸輸送機オスプレイを配備できない異常事態が続いている。中国にとって、丹羽氏はチェンバレンに、そして立憲自由党に、二重写しに見えるのではないか。
チェンバレンの宥和政策を確信したヒトラー同様の高笑いが、日本海の向こう側から聞こえてくる事態は断固回避せねばならない。(九州総局長 野口裕之)