アンコール遺跡群が世界遺産(文化遺産)に登録されたのは1992年。9世紀から14世紀にかけてのクメール建築とクメール美術が高く評価されてのこと。
アンコール遺跡には、もともとクメール王朝の王都があった。この王朝において大きな足跡を残したのが2人の王、スールヤヴァルマン2世(在位1113~50年頃)とジャヤヴァルマン7世(在位1181~1220年頃)だ。スールヤヴァルマンがアンコールワットを、ジャヤヴァルマンがアンコールトムを建立させた人物だ。地元のガイドは次のように解説する。
かって王たちは、王位に就くと次々に巨大な建造物を建てていった。それは王が神の世界と人間の世界のふたつにまたがる存在であると、クメールの人たちは古くから考えていたからだ。アンコールの遺跡はどれも荘厳で、現世を忘れさせる優美さを備えている。
古代カンボジアではヒンズー教と仏教が共存していたという説が通っている。タ・プロムだったと思うが、遺跡後の空間に入ったら片方の壁にはヒンズーの祈りの姿、片方の壁では仏教徒の瞑想する姿が共存していた。
アンコールワットの中央祠堂にはヴィシュヌ神が祭られ、スールヤヴァルマン2世がこの地を治めた。彼の死後、王朝は弱体化し隣国チャンバの攻撃を受け王都は陥落、時の王も殺害される。
そしてジャヤヴァルマン7世が4年で国の体制を立て直し王位に就く。彼は王都の防御に力を注ぎ、高い壁に囲まれた城塞都市アンコールトムは、こうして誕生した。
アンコールトムの南の城門にそびえる巨大な四面仏は観世音菩薩だ。城門から中央へまっすぐ伸びる道の先、四面仏の林が林立し、四方を慈愛の微笑みと、人々の幸せを祈る念いが伝わってくる。
バイヨンは仏教寺院だ。ジャヤヴァルマン7世は、大乗仏教を積極的に取り入れ、仏法によって社会構造を変革し、祖国の安定と繁栄を願った。
彼は街道を整備し、病院の建設を推し進め、国内各地に積極的に寺院を建てていく。アンコールトムから少し東側にある、ガジュマルにより浸食された「タ・プロム」は、ジャヤヴァルマン7世の母上の冥福を祈って建立されたものだ。これは彼の統治が安定し繁栄していることを物語っている。(雑誌グラン3月号を参考)