♪ 日本の心を伝える会メールマガジン vol.346♪
2011/6/15(水曜日)
【転送歓迎】
◆ 犬種と人種 ◆
プードル犬は、みなさんご存知と思います。
非常に頭が良い犬種で、介助犬としても使われています。
大きさは体高45~60cm。体重15~19kgの中型犬です。
これを小さく改良したのが、ミニチュア・プードル。
体高28~35cm、体重12~14kgの小型犬です。
これをさらに小さく改良したのが、トイ・プードル。
体高は、わずか26~28cm、体重6.5~7.5kgです。
プードル(スタンダード)が、ミニチュア、さらにミニチュアに改良されるのに、わずか100年程度の年数で、これだけの遺伝的特徴を持った犬種ができあがっています。
犬種は、現在ではさまざまなものがありますが、たとえば、セッター系の犬種は、狩りのときに獲物の居場所を探して、そこに座って待機するように改良された犬種です。
水陸両用の狩猟補助犬として改良され、できあがったのがレトリバー種です。
犬の好きな方ならおわかりいただけると思うのだけれど、犬種による特性は、家で飼っていくら“しつけ”をしても、その違いや差異は、歴然としています。
ドーベルマンや、シェパードは、訓練すれば警察犬になるけれど、ハスキー犬は、いくら訓練しても、まるでやる気を見せずに、警察犬として使えない。
ブルドック種は、非常に頭のいい品種だけれども、やはり、いくら仕込んでも警察犬にはなれない。獰猛すぎて、警察犬や盲導犬になれない。
だいたいひとつの犬種が固定するのに、数十年という短い期間で、それぞれの犬の外見や性格が確立されます。
異なる犬種ごとの交配は可能ですが、純血種の場合、それぞれの犬種ごとに特徴がまるで異なるものになります。
種による差異は、実は人間にもあります。
人間と犬を一緒にするとは何事か!と、不愉快に思われる方がおいでになるかもしれませんが、人間も犬も、おなじ哺乳類です。
そして人種(犬種)ごとに、顔かたちも違うし、性格・特徴も大きく違う。
「人種」も「種」のひとつです。
よく「中国四千年の歴史」という言葉を聞きますが、実は支那は「歴史のない国」です。
どういうことかというと、支那人は、幾度となく多民族によって征服され、他民族の王朝に全土を支配されている、ということです。
そして王朝が変わるたびに、過去の王朝が築きあげた全ての歴史観、文化が否定され、書物は焼き尽くされ(焚書)、財物は押収され不要なものは破壊されつくされています。
これに異を唱える者は、、きわめて残酷な方法で虐殺された。
そんなことはない、中国には儒教が生き残っているではないか、といわれる方がおいでかもしれないが、儒教は、簡単にいえば、いまある王朝を常によいしょする官僚教であり、新たな施政者となった外国人王朝にとっても、便利な存在として生き残ったにすぎない。
諸子百家の時代に栄えた、法家や、墨家など、多様性を持った教えのことごとくは、破壊され、燃やされつくしている。
そしてなにを隠そう、現代中国人自身が、中国の過去の王朝にあった様々な哲学や思想、あるいは様々な王朝が多民族による支配王朝であったという事実すら、まったく教えられていない。
ここで、問題になるのは、外国人王朝ができあがったとき、前王朝に結びつくものは、人であれ、モノであれ、そのことごとくが破壊されつくしたということ。
そして、人に関しては、極めて残虐な方法で、殺戮されつくしたということです。
そうした状態が、支那では、過去4000年にわたって続いた。
この状況の中で、改良(改悪?)された、支那人という人種は、残虐性を好み、強いものには無条件で従い、弱い者の前では、極端に居丈高になるという特性を身につけています。
これは遺伝的に生まれた本能とも呼ぶべきものです。
日本人という人種は、性善説です。
人の良心を信じるから、戦前、請われて大陸に行ったときも、支那人にきちんと教育を与え、物事の道理を教えれば、彼らは教化され、法を守り、和を尊ぶ人種になると考えた。
しかし、彼らの残忍性、鬼畜性、弱肉強食という野蛮性という遺伝的特性は、わずかな期間での日本統治や、教育では、まるで変化させることができなかったのです。
結果、終戦で大陸から日本人が帰還するとき、多くの良心的に彼らを教導していた日本人が、支那人によって、裸にされ、股を割かれ、生きたまま肉を削がれるなど、残虐極まりない方法で、何万人も虐殺された。
そして運悪くシナに残った日本人の中国残留孤児たちは、幼いころから日本鬼子(シャオリーペイツ)と呼ばれ、シナ人たちによって、動物以下の非人間的扱いをされ続けています。
朝鮮半島の人種は、シナとは少し異なります。
半島では、李氏朝鮮という国家の将軍職にありながら敵である支那と通じて国王に居座った王朝が、約400年も続いたのです。
李氏朝鮮のはじまりと終わりの半島の人口をみると、李氏が王朝を打ち立てる前と比べて、滅ぶまでの400年間に、なんと人口が半分に減っています。
李氏朝鮮時代の人々の平均寿命はわずか24歳であり、王族に連なるわずかな人数のヤンバンの一党を除いては、人口の99%を占める一般庶民には、私有財産はいっさい認められず、名前を名乗ることすら許されませんでした。
名前がない、ということは、国家によって個人の尊厳が認められていない、ということです。
半島人の一般民衆が、名前を名乗ることが許されたのは、なんと日本統治時代です。
日本は、半島史上はじめて戸籍の制度を導入したのです。
「宮廷女官 チャングムの誓い」なんていう韓流ドラマを見ると、李氏朝鮮時代の半島では、女性たちは色とりどりのきらびやかなチマ・チョゴリを身にまとっているように描かれています。
けれど、これは真っ赤なウソです。
半島人はチマ・チョゴリを、李氏朝鮮王朝から強制されて着せられていたけれど、色は“白”のみと決められていたのです。
李氏朝鮮は、中国の属国だから、シナの皇帝に献上する女性だけが色とりどりのチマ・チョゴリを身にまとい、それ以外には、国王から庶民に至るまで、全員が白服以外、着用を禁じられていました。
そして国民には、私有財産はなく、一般庶民の女性も、貴族特権階級のヤンバンが街を歩き、いい女がいたら、胸を露出させて強姦するために、乳部を露出させやすいチマ(上着)が考案されています。
そして長男を出産した女性は、全員が、生涯にわたって両乳を露出してすごす栄誉(?)が与えられていました。
要するに、庶民は、恋愛も労働の対価による蓄財も、一切合財認められず、愛する女性がいても、ヤンバンが、よこせ、と言ったら、差し出すしかなかったのです。
こうした時代が400年もの長きにわたって続いた半島では、庶民がヤンバンに抵抗する手段はただひとつ。
火病を起こしてキチガイのように泣きわめき、言い張り、縄張りを作ってそこに籠ることだけです。
そしてそれが、半島人の人種として定着しています。
ひとのよい日本は、それも教育すれば正せると信じて、日本だって貧しかったのに、莫大な国費を使って半島に学校を作り、半島人に文字を与え、(ハングル文字というのは、日本統治時代に、もともと半島にあった音符を改良して、韓国版50音を作ったもの)、教育指導を行いました。
けれど、すでに遺伝的に沁みついた人種の特性までは、改良できなかったのです。
そのために、日本が終戦で本土に復員するときに、半島人によって、略奪・強姦の限りを尽くされています。
要するに、人種による特性というものは、厳然として“ある”ということです。
眼鼻口がついていれば、同じ人間であり、その本性は変わらないだろう、などという安易な考えは、通用しません。
ところが昨今の日本では、そうした支那人や半島人を、我が国に大量に迎え入れ、居住権を与えるのみならず、国政への参政権まで与えようという国賊が跋扈しはじめています。
あろうことか、半島と福岡の間にトンネルを掘り、大陸と地続き状態にしてしまおうなんていう案まで、本気で語るとんでもない政治家が現れ出している。
このことは「和をもって尊しとなす」という相互信頼を重んじる日本に、残虐で殺戮を好む極悪劣等人種と、強姦、はては屍姦までこなす凶悪火病人種を、大量に招き入れるということです。
わたしたちには、わたしたちの時代だけでなく、わたしたちの子や孫の代まで、日本を健全で和を大事にする、安心で安全な国家として維持発展させる義務があります。
そのことを考えたとき、人種の異なる外国人を大量に招き入れることを“是”とするような危険な思想を持つ政党に、いつまでも政権を委ねていてはいけないと思います。
<編集 配信> 『日本の心を伝える会』
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<代表者ブログ>ねずきちの ひとりごと
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私はこうした事実を知らない。
ほとんどの日本人がそうだと思う。
でも、私の育った時代よりもっと前の日本で経験なさった
諸先輩たちの 警告の声を
聞いてください。