義姉なのですが、月命日といって、亡くなった夫や亡くなった義父の命日には、必ずお墓参りをしています。
それはとても素晴らしい事のようにも思えます。でも、しょっちゅう転んで怪我をしたり、墓参りの最中よその車にぶつけられて車に傷がついたりします。
義姉の娘さんの運転で出かけます。その娘さんは、嫁ぎ先の介護などで忙しい時期に顔面神経痛になってしまいました。
良いことをしているように見えるけど、なぜそんな事故が起きるのでしょうか。
一体、正しい先祖供養とは、どのようなものなのでしょうか。
大川隆法総裁は、このように語っています。
先祖供養には「悟りの力」が必要
先祖を供養するには、その前提として、供養する側に修行が必要です。
まず、仏法真理を学習すること、真理の書籍を読み、幸福の科学の各種行事に参加して、学習を深めること、そして、仏の光を身につけることが大事です。その結果、その光の一部を廻向していく(手向けることが可能になるのです。
自分自身が、光を発する灯台とならずして、闇夜の海を照らすことは不可能なのです。
闇夜のなかで、航路が分からなくて迷い、漂っている船があるとき、「その船を救わなければいけない」と、いくら言っても、灯台から光が出ていなければ、どうしようもないでしょう。
光をともすために、この世の人間にとっては、仏法真理を勉強して、修行する必要があります。それをせずに、「ただただ救われたい」という一念で、毎日、先祖供養ばかりするのは考えものです。
それよりは、まず、修行をして、悟りを高めなければなりません。
悟りの力によって先祖は供養されるのです。これが原点です。
霊人の救済は、基本的には、あの世の高級霊に任せる
先祖供養には危険な面もあるため、家庭で煩瑣に先祖供養をすることは、お勧めできません。そのため、幸福の科学の総本山・正心館・全国の各支部でも、年に2回、供養大祭を行っています。
導師がいる方が安全ですし、他の参加者たちの光にも護られるので、そういう場所で供養したほうがよいのです。
中略
もちろん、家庭でも、年に何回か、命日などに家族全員で供養するのは悪いことではないと思います。しかし、やりすぎないことです。
毎日、朝昼晩と供養したり、毎晩、寝る前に供養したりするよりも、きちんと自分が修行することです。
先祖供養は、できるだけ、導師がいるところで行うほうが、危険が少なく、効果も大きいのです。これが原点です。
最近の主宰先生のご法話のなかに、インドでは釈迦の時代、修行の段階、阿羅漢の試験で、乞食のような人たちが亡くなって捨てられる場所で一晩過ごす・・という体験をしていたと言います。
乞食のような人たちは、成仏していないだろう、その墓場で何があったか、どう対処したかを報告する・・それが阿羅漢になれたかどうかの試験だっただろう・・というものでした。
お墓には成仏できていない霊もいることでしょう。自縛霊もいることでしょう。死んだことも分かっていない霊もいることでしょう。
見えないから平気だけど、見えたら怖いですよねぇ。
私の場合は、春のお彼岸、お盆、秋のお彼岸、年の暮れ、節分・・の年5回お寺に行きますよ。
我が家のおばあちゃんがやってた通りにしています。
おばあちゃん、節分には行っていなかったかも・・です。
ただね。午前中に行かなきゃならないのよ。
いつものんびりしているから、キリキリって怒られていました。
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