シュメールのギルガメシュ叙事詩を読んでも、エンキの失われた聖書を読んでも、とまどう事がある。
イシュタル女神とギルガメシュがからむ場面では、イシュタルのあっけらかんとした奔放さというか好色さに、粘土板が間違えて翻訳されたのでは・・と疑いたくなる。
3600年周期の星ニビル星人だって、比較できないほどの科学技術をもった星でありながら、精神の高さは地球人の方が優れているように感じてしまって、粘土板の訳しかたにいちゃもんを付けたくなる。
本当に、エンキが粘土板に書いたとおりであったら、宇宙人にとって地球は宝石のような星かも知れない。
科学技術がどんなに進んでいたとしても、そこに愛や慈悲や自己犠牲の精神や、女性のつつましさや、信仰を持つ人の敬虔さなどでは、地球人のほうが勝っているように見える。
私はいま、自分の心を見つめ直して、仏法真理の八正道を1から学ぼうと思っているよ。
イシュタル女神とギルガメシュがからむ場面では、イシュタルのあっけらかんとした奔放さというか好色さに、粘土板が間違えて翻訳されたのでは・・と疑いたくなる。
3600年周期の星ニビル星人だって、比較できないほどの科学技術をもった星でありながら、精神の高さは地球人の方が優れているように感じてしまって、粘土板の訳しかたにいちゃもんを付けたくなる。
本当に、エンキが粘土板に書いたとおりであったら、宇宙人にとって地球は宝石のような星かも知れない。
科学技術がどんなに進んでいたとしても、そこに愛や慈悲や自己犠牲の精神や、女性のつつましさや、信仰を持つ人の敬虔さなどでは、地球人のほうが勝っているように見える。
私はいま、自分の心を見つめ直して、仏法真理の八正道を1から学ぼうと思っているよ。