文句を言いながらでも自分はこうやってとりあえず定年までこぎつけた
ひょっとしたらこれはついていただけなのかもしれない
何の取り柄もなく、技術力もなく、大した努力もしないできたような気がする
最近の若者たちの環境を気にして見回してみると、息子や娘の世代はかなり厳しい現実が付きまとっている
少子高齢化および年金問題の存在する世界の秩序が大きく変わろうとしている時代である
私自身は今まで落ちこぼれながらでも世の中の常識からギリギリはみ出してしまわない程度に生き抜いて来れた
でも今の若い世代は今現在の安定した生活を送るためには ずいぶん以前に存在していた激しい戦いの世界に入り込んでいるようだ
私自身の周囲を見回す限りではそのように感じるのである
自分たちはモーレツ社員でなくてもある一定の生活水準を守られてきた
ところがこれからの時代はニートやフリーターになりたくなければ過去の副産物である永年雇用(定年まで)と言う枠を死守していなければならない上に その永年雇用時代も崩壊しつつある
安定した雇用と言うものが世の中から消えつつあるのである
その時その時の刹那をつなぎ合わせて綱渡りをしながら生き残らなければならない世代に突入している
それに対して色々と苦情や文句を我々が言える筋合いはない
おまけで生き延びて来れた自分たちが激動の戦いの中に突入している今の若者にいろんな注文をつけると言うのは酷であろう
できることならば自分たちに残された命の半分くらいでも譲ってやりたいほどに感じる
確かに自分たちより上の団塊の世代の人間たちはもっと裕福な世代だったのかもしれない
でもちょっと省みると彼らは安保闘争や全学連のような戦いの中にある程度は命を置いていたように思う
結局時代に翻弄されながらも戦っていたのである
今の若者たちは戦うための基盤を持つことを許されずそしてそれ以上になる教育もされずに育てられてきた
従って戦う術も武器も持たされていない
なのにいきなり戦場の中に放り込まれるような そういう環境にこれから入るのではないだろうか
世界が大きく変わろうとしている今において自分の息子や娘達にあーしろこーしろと注文をつけるような権利は自分たちにはないのだろう
ただ無言で応援をしてやる、とそんなところが関の山かもしれない
そう考えていくと自分の非力さを強く感じるのである