BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

いかにして左翼天皇は作られたか 《転載ご自由に》

2019-04-23 | 皇室問題

退位式と即位式を目前に、天皇陛下と皇后陛下、そして皇太子殿下と妃殿下へのそらぞらしい賛美記事が跋扈、女性週刊誌はカラーグラビアで夫婦愛の慈愛だのと持ち上げていますが、あの左翼誌週刊朝日は皇室否定の立場で実はありながら、今上陛下の賛美記事です。あの韓国ですら、そして共産党ですら今上陛下の「平和主義」と「反省」を評価していることを知っておきましょう。
それは決して日本人として褒められることではないことも。

長いですが戦後史の一端が学べるので全文掲載、その上で簡略ながら青文字でツッコミを入れておきます。

 

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GHQを驚嘆させた今上天皇の若き日々 マッカーサーの元儀仗兵が回顧〈週刊朝日〉

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190417-00000054-sasahi-soci&p=1

    4月30日に今上天皇が退位され、皇太子さまが翌5月1日に即位、平成が終わり、令和時代が始まる。今から70年前、少年だった今上天皇はマッカーサー氏と会うため、連合国軍最高司令部(GHQ)を訪れていた。元マッカーサー儀仗兵がその歴史的瞬間を振り返りながら、今上天皇への思いを綴った。ジャーナリストの徳本栄一郎氏が報告する。

  * 新元号の「令和」が発表された今月1日の午後、都内の皇居前広場は、いつものように大勢の観光客で賑わっていた。あいにくの曇り空で、ちょっと肌寒いが、歓声を上げて、宮殿正面の二重橋で記念写真を撮っている。

  その歴史的瞬間に向け準備が進んでいた2月上旬、私に米国のある組織から、一通のメッセージが送られてきた。天皇の退位を控えて儀仗兵隊の想いを綴ったので、ぜひ多くの日本人に伝えてもらいたいという。

 「われわれも、あの若い皇太子明仁を覚えている。マッカーサー元帥の元を訪ねた時は、まだティーンエイジャーだったが、彼が父の皇位を継いで30年経ち、今、退位しようとしているとは信じがたい。かつての日本の敵国との和解のため、天皇が払ってきた努力は称賛されるべきである

 

日本弱体化、皇室瓦解をその政策としたGHQアメリカとの和解とは、洗脳に依る降伏ではなかったでしょうか?

  この声明を書いたのは米西海岸のサンディエゴ在住のデイビッド・バレー、87歳。静かな引退生活を送る老人だが、その経歴には特筆すべき項目がある。

  今上天皇がまだ10代の少年だった頃、絶対権力者として君臨した連合国軍最高司令部(GHQ)、その儀仗兵として若いバレーも東京にいたのだ。

  1945年8月の無条件降伏に伴い、わが国は6年8カ月間、連合国による占領下に置かれた。その最高司令官が米陸軍元帥ダグラス・マッカーサーで、天皇や政府を超えた存在として今も人々の記憶に残っている。その彼に付き従って来日したのがマッカーサー儀仗兵隊である。

 

ダグラス・マッカーサー。敵地日本に乗り込む恐怖感と緊張感から厚木に降り立った彼のズボンは失禁で濡れていました。(週刊新潮コラム 高山正之氏)

  儀仗兵隊とはマッカーサーと家族の警護のため、太平洋戦争末期に設立されたエリート部隊で、元々フィリピンで発足したが後に東京に移動した。彼らは24時間体制で、米大使館の自宅とGHQがある日比谷の第一生命ビルを警備し、その大半が20代の若者だった。いわばマッカーサー直属の親衛隊で、当然、忠誠心はずば抜けて高く、元隊員は今でも「アワ・ジェネラル」(われわれの元帥)と呼ぶ。

恐怖でおしっこ漏らししていた事は、知らないのでしょう。マッカーサーの命令でその時の写真は全部廃棄されました。(高山氏)

 

かつて私は、米国で彼らの同窓会を取材したことがあるが、すでに全員が80代から90代の老境を迎えていた。だが、その何気ない会話に天皇やマッカーサーの知られざる逸話が次々と飛び出し、まさに歴史の目撃者、GHQ最後の生き残りという気がした。

  また昔の写真を見ると、二重橋前で制服姿の隊員がずらりと整列し、皆、精悍さを絵に描いたような若者ばかりだ。ただ天皇の住まいである皇居に背を向けたような姿に、戦勝国のプライドを感じたのも事実だった。その時に知り合ったのが同窓会「マッカーサー儀仗兵連盟」のバレー会長で、彼のメッセージに話を戻そう。

 「第2次大戦中、私は天皇や東條(英機元首相)たちを軽蔑するように教えられて育った。だが、戦後になり天皇裕仁が元帥と協力し、全国を回って人々に希望のメッセージを伝えていたのを知り、尊敬の気持ちを抱くようになっていった。元帥と天皇の素晴らしい関係こそ、日本の復興と繁栄への道を開いたと言えるだろう」

 

GHQ支配下における昭和天皇の言動は、GHQからの圧力によるものである確率が高いです。腑に落ちない言動は、おそらくそうでしょう。

■GHQから電話、殿下は試験パス

 儀仗兵隊が歴史の目撃者になり、語り継がれるエピソードとなった場所、その一つがGHQの置かれた第一生命ビルである。ここはマッカーサーの執務室や新憲法の草案を作った民政局などが入り、日本占領の司令塔の役割を果たし、そこの警護は彼らの重要な任務だった。

  建物の6階の南に面してマッカーサーの執務室があり、その外の廊下でライフルと45口径の拳銃を持ち、階段やエレベーターからの来訪者を警戒する。そしてある日、儀仗兵隊の前を、まだ幼さを残した日本人の少年が、緊張した面持ちで通り過ぎた。それから40年後に天皇に即位する皇太子明仁、その人であった。

昭和天皇がマッカーサーに呼びつけられたことは知られていますが、皇太子時代のまだ少年であった今上陛下まで呼ばれていたことは、余り知られていませんね。皇室の衰退を目論むGHQなら当然のことでしょうが。

 

  1949年6月27日の午後7時、皇太子は米国人の家庭教師エリザベス・バイニング夫人に伴われて、車で第一生命ビルに到着した。

 

ヴァイニング夫人を単なる家庭教師として軽んじる保守論壇の人がいますが、見くびりすぎです。夫人の著書その他で知るその人物像は、明らかにGHQ派遣の洗脳担当者です。

  マッカーサーと直に対面するためで、バイニングの回顧録によると、皇太子の教育参与だった小泉信三は、彼女にこう語りかけたという。 「日本の皇太子がただ一人で西洋の婦人と同乗して、西洋人に会いに行かれた最初の日として、こんどのことはわが国の歴史に記録されるでしょう。(中略)これは、皇室ばかりでなく、日本の全国民があなたを信頼していることを示すものです」(『皇太子の窓』)

 

この小泉信三こそが、皇室否定のキリスト教派「聖公会」の信者であり、幼い日々の今上に自虐的左翼平和史観と刷り込んだ男です。
ヴァイニングと小泉と二人がかりで、まだ感受性の豊かな少年皇太子に、左翼思想が教え込まれました。

かたわら、GHQは「戦犯」を、皇太子殿下(今上)の誕生日目掛けて次々と処刑台で吊るしていき、残酷な恫喝をしたのです。まだ少年であった今上がいかに震え上がったか、後のトラウマとなって残ったか容易に想像できます。
平和憲法護持論、それは取りも直さず占領軍憲法に従順であることの表明です。

 

  武装した儀仗兵の前を通り過ぎた皇太子は、執務室で約20分、マッカーサーと英語で会談したが、同席したバイニングはこう振り返っている。

 「私は、征服者である一人の将軍が、昨日までの敵の息子をくつろがせ、前途有為の少年に対する年長者の温かい興味といったものを示しながら、しかも同時に一国の皇太子への当然の恭敬の色を見せながら、殿下に話しかけている姿を見た。私はまた、敗戦国の皇帝の子息が、昨日までの敵の頭目に面と向いあって、おめも臆しもせず、少年らしい威厳を保って、率直に受け答えしている姿を見た」

 

ヴァイニング夫人の「征服者」という言葉に留意。夫人の脳裏では日本人は屈服したものであり、皇太子も同類です。要するに夫人も征服者の側の者として当時の皇太子に接した・・・・。

  その直後、GHQの幹部からバイニング夫人に電話が入った。

 「殿下は物の見事に元帥の試験にパスされたようです。元帥は部屋から出て来るとすぐ、殿下から実によい印象を受けた、殿下は落ち着いて、まことに魅力的なお方だった、と言っていましたよ」(同)

さてさて・・・・敵軍の元帥に好かれ、見込まれることが果たして日本のいずれ天皇として立つ身にとっては光栄なことであったのかどうか?

  他国の皇太子を試験というのも変な話だが、当時の皇室とGHQの関係を示すエピソードである。この15歳の少年がはたして将来の天皇となるに相応(ふさわ)しいかどうか、首実検したのだ。その結果が皇室はもちろん、日本の将来を左右し、それを皇太子は正面から堂々と受けて立った。

堂々と受けて立ったかどうか、皇室破壊を目論むGHQのメガネに叶ったということは、米国の脅威になる存在ではない、と判断されたのです。
これが日本人が誇りに思える天皇の皇太子時代でしょうか。
雀百まで踊りを忘れず。今上の脳内は当時ヴァイニングに懐柔されGHQに恫喝されGHQ施策従順姿勢が刷り込まれたまま、そこにGHQと癒着の家、正田家から美智子さまが嫁がれ、今上の思想に輪をかけて現在に至る・・・・。

 「あの若い皇太子を覚えている」という儀仗兵隊は、まさに歴史的場面に立ち会ったのだった。米バージニア州にあるマッカーサー記念館は、今でも執務室を訪れたゲストの記録を保管するが、当日のページを開くとAkihito(明仁)と直筆の署名が残っていた。

  やがてマッカーサーが最高司令官を解任されると、儀仗兵隊も解散して帰国した。その後、バレーはGIビル(復員兵の学費援助を行う制度)で大学を卒業して就職、結婚するが、1970年代と80年代は日系企業との合弁会社幹部も務め、家族と東京に移り住んだ。そして、この頃から日本を見る目が変わっていったらしい。かつて私とのインタビューで、こう語っている。 「東京に住んだ時、自分は多くの日本の元兵士と知り合いになった。ところが、いくら親しくなっても戦争体験を話したがらないんだ。かつての敵同士とは言え、なぜだろうと不思議に思っていた」

■「深い反省」の言葉、口にした今上天皇

 

反省、まさに。今上の思想は日本が悪いことをした悪い国である、が基盤です。海外への慰霊の旅が称賛されていますが、慰霊の基本にあるのは反省と謝罪であり、果たして日本人が褒め称える内容であるのかどうか。サイパンでは、朝鮮人慰霊碑をゲリラ的に参拝なさり、額づいています。

  その答えは、意外な場所で見つかった。70年代のある日、バレーは友人と都内の靖国神社に足を運ぶと、そこで軍服姿の男性と着物を着た女性のグループに出くわした。

  全員、何かの歌を歌いながらボロボロと涙を流し、友人に訊くと、「同期の桜」という歌であった。

 「戦死した仲間と、いつか靖国の桜になって再会しようという歌だった。彼らの悲しみは理解できるし、こちらも心から胸が痛んだ。同時に日本の元兵士が戦後、トラウマを抱えて生きてきたのも分かった。だが長い間、それを共有する場所がなかったんだ」

  バレーによると、第2次大戦や朝鮮戦争で米兵は英雄扱いされたが、ベトナム戦争では違ったという。帰還兵は「国家の恥」と呼ばれ、精神的な傷を負う者が続出し、それが仲間と体験や想いを共有することで癒やされた。本来、靖国神社もそうした役割を果たせたのに、政治論争に巻き込まれたのは不幸だったという。彼自身、朝鮮戦争の帰還兵だっただけに不思議な説得力があった。

  そして1989年1月、昭和天皇の崩御で「平成」が幕を開けた時、バレーは再び東京に住んでいた。日本中が喪に服して厳粛な空気が流れる中、彼は一人で皇居に足を運んだ。

  東京駅で降りて進むと、皇居前広場に人々の長い列ができていた。外国人はごくわずかで、そこに並んで坂下門の橋を渡ると、弔問の記帳場に天皇の写真が飾ってあった。

  その前に来た時、バレーは、自分が歴史の重要な瞬間に遭遇したと感じ、深く頭を垂れたという。

  敗戦直後、この皇居前広場は、しばしば米独立記念日などGHQの軍事パレードに使われた。当時の写真には玉砂利を踏みつけて進むジープや装甲車、整列した兵士の前で演説するマッカーサー、遠巻きに眺める日本人の群衆が写っている。占領の現実を突きつけるようだが、まさにその場所でバレーは天皇に敬意を払い、冥福を祈ったのだった。

  そのバレーは同時に、今の日本人が過去の戦争の歴史を知らず、アジアにもたらした苦しみを直視しないことに強い不満も抱いている。若い世代は、戦争中に中国や韓国に対して行った行為を知りもしない、東京で暮らして多くの友人もできたが、この気持ちは強くなったという。

 

はいはい、出ました。左翼記事のお約束。日本人が過去の歴史を知らない、アジアにもたらした苦しみ。いえ、歴史を知っているから中韓の言いがかりに怒っているのですが? しかし、今上の思想は、むしろ中韓寄りなのです。
少年の日に植え付けられた思考と感性からもう脱する機会もないまま、老齢を迎えられ退位なさいます。

  一方で今上天皇は即位以来、皇后と共に沖縄やフィリピン、サイパン島など多くの戦没者を生んだ地に「慰霊の旅」を続け、「深い反省」の言葉を口にしてきた。サイパン島では日本人だけでなく米軍兵士や韓国人の慰霊碑にも立ち寄り、海外でも大きく報道された。それには直接触れてないが、今回の退位についての声明を、バレーは「今上天皇と昭和天皇は醜い過去を忘れず、それを葬り去ろうとはしなかった」との言葉で結んだ。

  平成から令和に移ろうとしている中で、今、皇居前広場は中国や韓国、欧米からの観光客で賑わっている。占領期に来日して戦後史を目撃したマッカーサー儀仗兵隊、もし彼らがここにいたなら皇居に向かって整列し、直立不動で敬礼するはずだ。

※週刊朝日  2019年4月26日号

 

・・・・・・ここまで

今上陛下へのご進講担当学者が保阪正康 半藤一利であり、二人共絵に描いたような自虐史観左翼だということは過去記事に書きました。

保守論壇が声を上げ始めた皇室内の闇

 

このとんでもなく偏った人選を誰がしたのか、とその時は思ったのですが、ひょっとしたら皇后陛下の、あるいは両陛下のご希望に依る人選ではなかったかと、今日ふと思いました。

ちなみに「反論出来ない皇族に対して」というかばい方をする人たちがいますが、反論は宮内庁を通じてかなりやられてますよね。
それに生前退位に皇后の意向は関わってないという、まるでアリバイ作りみたいな広告を出した文藝春秋、見出しで中身は皆無という・・・・不可解な経緯を見れば何らかの形で報道に関与、という可能性すら考えられます。

友納尚子は明らかに雅子妃の代弁者であるし、また天皇のご学友なる人達が反論含めたスポークスマンを務めているのは事実。スポークスマンたちに、今上が個人的に電話をして憤懣をぶちまけていらっしゃることも。それを即ご学友が表に発信して、陛下のご不満を国民に訴えることも。

「天皇のお気持ちをメディアを通じてお話ししたら、後から、美智子さまから、直接お礼のお電話がありました」(学友 明石氏)

ご不満と言ってもしかし、そもそも「生前退位」が諸問題の発端でした。

秋篠宮さま、高齢で即位は「できない」 タブーの辞退論

朝日新聞デジタル

>麗沢大学の八木秀次教授(憲法学)は「退位の実現は皇室を危機にさらすパンドラの箱。将来的な即位辞退をも認めることにつながれば皇統を揺るがしかねない」と危惧する。かねて(1)短期間での退位や即位拒否を容認する余地を生み皇位継承を不安定化させる(2)退位が政治的に利用されかねない――と退位そのものに反対してきた。

 

・・・・ここまで

秋篠宮殿下の高齢を理由とした即位否定発言は、皇室研究者による「秋篠宮は天皇の座を狙っている」と卑しいことが書かれたことによる反論です。言葉がやや過度でしたが、そこは言われたほうの気持ちに立ちたいと思います。

憲法違反と皇室典範違背で「パンドラの箱」を開けてしまったのは、今上陛下です。政府の頭越しに公共放送を私物化して「お気持ち」表明で政府を特措法に対応させるという禁じ手。
秋篠宮殿下の高齢になったら即位出来ないというご発言ももし事実なら、これは違いますね。天皇は存在であり、役職ではありません。リタイアが想定されていず、お務めが無理な場合に備えて摂政制度があります。

茶番にも似た大騒動と混乱、全ては「生前退位」という時の天皇陛下による恣意に端を発していること、忘れないようにしましょう。自虐史観に基づく海外慰霊の旅や、被災地訪問が出来なくなったから辞めます、はあってはならないこと、これに尽きるのです。慰霊の旅も被災地訪問も本来は不要です。むしろ「私的活動」の範疇です。皇室とは何の関係もない要素。

 

小和田家の背景も、チッソ水俣に関わった江頭家にも触れず、皇太子殿下の「水問題への取り組み」を賛美しながら、世界最大の水汚染問題チッソ水俣にも触れず、ヤフオク疑惑も置き去りの新天皇と下皇后上げ番組。読みは「下皇后(しも皇后でも、げ皇后でもいいのですが、上皇后という歴史にもないけったいでいかがわしい称号への皮肉です)

 鈴木京香の語りで新天皇陛下と新皇后雅子さまの感動エピソードをひもとく

鈴木京香さんは、在日さん。反日言動があるわけでなし、そしる気持ちは皆無ですが、シモ皇后を称える語り部としては、うってつけの人選だな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

かつては、ある意味まともな皇室批判記事を載せていた新潮、文春が退位と即位が決まったとたん、いきなり両陛下と皇太子ご夫妻賛美、かたわら秋篠宮家貶め記事連打。

海上自衛隊の、秋篠宮殿下への堵列。
皇太子殿下の時は、気のなさそうなまばら。

 陛下、自衛隊がお嫌いなら、自衛隊機はお使いにならないでください

 

▼天皇陛下の大変すぎるお引っ越し 前回は2tトラック100台分 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190413-00010000-jisin-soci

 

要らざる仮住まいに5億円出費。引っ越し代4千万円超。 「女性自身」は当初約8億4千万円だった予算は、5億円台半ばまで縮小された、と 両陛下の「国民のための節約」を賛美するのですが、高輪皇族邸を使わなくても 短期なのだから御用邸か京都御所にお住まいになれば要らざる出費なし。 それ以前に天皇陛下の憲法違反、皇室典範違背である「生前退位」さえなければ 物事は、うんとシンプルに運び、両陛下のわがままがなければ 秋篠宮家が東宮御所に移れば費用も手間もなく済んだことです。 無駄な出費さえ、節約と言い換え賛美する左翼系女性誌。 何が最終目標でしょうか。・・・・秋篠宮殿下と悠仁親王殿下を排しての愛子さま天皇擁立です。  

 

▼『天皇の憂鬱』が解き明かす、象徴天皇をかたちづくった「軽井沢」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190422-00010007-newsweek-int&p=1

この記事じたいは、賛美の筆致なのですが予備知識を持って冷静に読めば いかにして今上が「リベラル」なお考えを持つに至ったかヴァイニング夫人や 新渡戸稲造、小泉信三、近年では 半藤一利、保阪正康などの左翼学者たちのご進講、基本で皇室否定の左翼思考に 影響を受けたか、皇后陛下がいかにリベラルという、これも キリスト教的左翼思想をお持ちかが読み解けます。

皇后陛下の頻繁な民間とのご交流が「九条の会」の連中であることも、再度書いておきます。

 

 

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祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え