BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

嘘つき慰安婦の男版、グ・ヨンチョルとそれを擁護する長崎新聞

2019-04-24 | 日韓問題

端島、いわゆる軍艦島に少年時代にいて朝鮮人鉱夫がいかに虐待されていたかを目撃した、と大嘘をべらべら並べ立てる、慰安婦婆さんたちの男版、

 具然喆グ・ヨンチョル

 

https://www.youtube.com/watch?v=O8ZBH0EZQVo

具然喆グ・ヨンチョル

韓国・釜山の日本総領事館前にいわゆる徴用工像を設置しようとしている全国民主労働組合総連盟(民主労総)の2017年8月大会で、戦時中、軍艦島で暮らしていたというひとりの老人が演説をしました。グ・ヨンチョルと名乗る彼は、端島について「わが民族の最も痛々しい記憶の場所」だと叫びます。しかし、彼の証言は、いずれも元島民が首をかしげざるをえないものでした。

 

https://news.nifty.com/article/world/korea/12280-253764/

軍艦島をめぐる報道の中で、端島の元島民・具然喆老人(以下グ氏)の活躍ぶりは異彩を放っていた。2017年10月に釜山にある国立日帝強制動員歴史館で開催された「軍艦島証言及び懇談会」、2018年5月には、釜山総領事館前での強制徴用労働者像建立記者会見などに次々と出席、2017年9月20日に放送された「Hello tv NEWS」では、民主労総などが推進する「徴用工像」の横で拳をあげる氏の姿が紹介されている。

「軍艦島で6年生活した。強制徴用で連行されたひとたちは、日本の無慈悲によって、その苦痛を口では言い表せない。凄絶な人生、足枷がなかっただけで奴隷だよ、完全に」

「中ノ島という小さな島があって、そこで死体を焼く煙が日に1、2回必ず立ち上り、火葬されるひとたちはみんな朝鮮人だった」

「ユネスコに登録するならば、軍艦島の歴史的な事実を全部登録しなければならないのに、それを隠して、これは『国際的詐欺』じゃないか」

 グ氏は、キョレハナ旅行事業団が開催した「徐勝(ソ・スン)教授と共に行く第2回東アジア平和紀行」のツアーで、「里帰り」も果たしている。受け皿となったのは長崎市の岡まさはる記念長崎平和資料館であった。毎日新聞(2016年10月9日)や長崎新聞(同年10月1日)の紙面では、長崎を訪れたグ氏が、端島の展示に朝鮮半島出身者の過酷な労働の記載がなかったとして不満を述べている。

 2015年7月のボンの世界遺産委員会での登録に際し、韓国から構成資産において、対象の年代(幕末から明治の後期)とは異なる第二次大戦中の徴用の問題が提起された。これを受け、(一財)産業遺産国民会議は、戦時中の事業現場や暮らしについて一次情報の収集に取り組んできた。端島については元島民たちによる「真実の歴史を追求する端島島民の会」と共に、全国の元島民70人余の証言を集めてきた。

 元島民の思い出の中の端島は、グ老人の語る6年間の記憶に刻まれた「民族の最も痛々しい記憶の場所」や、「人間として生きられない地獄」とは全く違う顔をもっていた。彼らは口々に、朝鮮半島出身の友達と一緒に学び遊んだ思い出や、汗を流して働いたことを懐かしそうに語っている。戦時中を覚えている元島民はいずれもご高齢であったが、徴用工と共に働いた方もご健在で、写真や史料も少しずつ寄せられてきた。そこでグ氏が公開した六年間の端島での記憶を元島民たちと検証し、いかにギャップがあるかを紹介したい。

■千人を虐殺?

 グ氏は、韓国で伝記『神仏山(シンプルサン)―パルチザン グ・ヨンチョル一代記―』(アン・ジェソン著 出版:サンジニ)が出版されている。彼の激烈な半生を描いた本で、前半に端島でのエピソードが綴られていた。

 これには、島に住んだことがあれば誰もが知るはずの地理情報が誤っていた。「熊本は、海をはさみ端島からはっきり見渡せる場所であった」とある。

「絶対見えない」(中村陽一氏)

「間違ったって見えないよ」(坪内光興氏)

 と元島民たちは口を揃えて反論した。もちろんどこから見ても、端島から熊本が見えることはない。

 また、中には記憶違いでは済まされない驚愕のエピソードも登場している。

「(朝鮮人たちは)動物の檻と変わりがない合宿所に集団で起居しながら、毎日迫りくる死の脅威にさらされていた」

「(終戦後)朝鮮人は、彼らが連絡船で夜逃げしたことを知った。(略)島に残ったのは朝鮮人と沖縄人だけだった。実に奇怪な状況であった。大人は皆、日本人が去ったその夜にとんでもないことがあったのだと疑ったが、よもや千人をも虐殺するなど、純朴な朝鮮人の想像をはるかに超えることだった。日本人が中国人だけを坑内に閉じ込めて入り口を爆破して皆殺しにしたのではないかと疑うようになった」

 まず、1945年8月の終戦前後に、端島において、千人の人間が虐殺されたなどという事実はない。外務省が終戦の翌年に作成した華人労務者調査報告書(三菱高島礦業所端島坑)には、島内で就労していた華人労務者全員(183名)を社船にて、佐世保で米軍に引渡した記録が遺っている。終戦を端島で迎えた元島民たちに読んでもらうと、全員が千人虐殺説に「絶対にあり得ない」と口を揃えて反論した。また、終戦前後、端島での騒動や混乱の記録はない。同じ島出身者なのに、なぜこのような荒唐無稽なエピソードがでてくるのだろうか。

 それ以外にもグ氏の演説や証言は、元島民にとって、首をかしげざるを得ないものばかりであった。

「朝、登校中に見た光景といえば、食料を得るために皿をひとつ持って列をなしていました。(略)その横には日本の軍人が棒を持って立っています。その前を頭も首もあげることもできず、皿だけを持ってわずかな食料を得ようと列をなしている様子を見て、あまりに凄惨だと思いました」(民主労総での演説)

 この証言に元島民の松本栄氏は、

「皿を持って、道路端で、お涙ちょうだい、おかずちょうだいって、こういうバカげたこと、さすがに三菱たるとこは、そういうことは許可せんですよ。見たことない。日本軍の兵士が、労務者の食事の監視をした事実もありません」

 と反論する。端島では、独身労務者の食事は寮の食堂で提供されており、道端で配膳することはなかった。

 グ氏はこうも語っている。

「登校途中の道端に労務者事務室があります。そこから来る日も来る日も悲鳴と叫び声が聞こえます。つま先立ちで窓から覗くと、(朝鮮の)青年たちを2~3名コンクリート塀の前にひざまずかせ棒で叩いているのです。『助けてくれ!』と叫んでいます」(民主労総での演説)

 これに対しても、「端島のどこで、そういうふうな状況、状態が発生しておったのかその場所を証明せよ、というふうに聞きます。逆にわしは端島で見たことないから」と松本氏は反論している。

「Hello tv NEWS」での「中ノ島で朝鮮人の死体を焼く煙が日に1、2回必ず立ち上った」という発言には、終戦の年の4月まで端島炭鉱の測量部署に勤めていた松本氏が、

「発生した事故の現場監督あたりが会議室に呼ばれて、事故の状況を報告せにゃいかん。それに基づいて、測量は、現場検証に行くわけです。こういうふうな状況でこの作業員が亡くなったということを、図面に描いて、しかもそれを文章化して、当時の鉱山監督局に変災(報告)書を書かにゃいかんのです。1日に一人も二人も死んだとなったら、私ども、それにかかっておらんばいかん。そういうことはまずありえん」

 と否定する。インタビューの終盤、

「真実は一つしかないんですよ。なぜこんないい加減な証言につきあわなければならないのか」

 と、松本氏の怒りがとうとう爆発した。

名簿になかったグ氏

 2019年2月4日、元島民の方々にご参集いただき、皆さんに写真や映像も再確認していただいた。グ氏は映像でも書籍でも「1939年に9歳で端島に来て、6年間住み、成績優秀で学校で級長だった」と話している。集会には来られない方にも事前に資料をお送りし、同級生や先輩後輩にも確認をしていただいた。会に参加された方も、参加できなかった方も、誰もグ氏の名前も顔も覚えておらず、その存在すら知らないという。

 島内に小学校は一つしかなく、戦時中は1学年が1クラスで構成され、5、60名の生徒数がいた。先輩後輩も一緒に遊び、「たばこを1本吸う間に島内を1周できる」とも言われるほどの小さなコミュニティーである。六年間も端島で暮らし、級長までしているのに、元島民の誰も知らないというのは実に奇妙なことである。加地英夫氏(「長崎端島会」会長)からご提供いただいた、明治27年から昭和22年までの端島小学校の卒業生リスト「端島校同窓会名簿」(昭和25年出版)も確認した。

 

 そこには、加地氏のお話に幾度も登場した郭山龍守さんの他、坪内氏が話す金、李、張さん等、朝鮮半島出身者と思われる名前がいくつもあった。しかし、どの学年の名簿にもグ氏の名前は見つからない。その場にいた元島民たちがとうとう口にした。

「このグ・ヨンチョルさんは本当に端島に住んでいたんだろうか」

「なりすましではないのか」

 集会には筆者の友人で新聞社のM氏も参席していた。グ氏について感想を求めると、

「どちらも嘘じゃない、やっぱりそこに真実があると思うんですよね。皆さんが言っていることも真実だと思いますし、徴用工の方たちが証言していることの中にも真実があると思います。ただそれをどう判断していくか、一方の主張だけが出回っていくのではなくて、今までに黙殺されてきた皆さんのお話っていうものも重要だと思いますので、そのあたりはですね、きちんと報道していけたらなと思っております」

 

 

 と、当たり障りのない返答であった。

BB注「当たり障りのない」返答であるというより、捏造加担ではないですか。この発言主はおそらく、端島の実情を勉強していません。だから、言質を取られぬために意図的にどっちつかずのぬるい回答で逃げた。

一般でも「常識的知識人」を気取りたい半端インテリが使う手です。

 

 

 

 

 

3時間以上議論しても信じてもらえないもどかしさに元島民たちが一瞬言葉を失ったその時である。端島で生まれ、戦時中の端島で少年時代を過ごした在日韓国人の鈴木文雄氏がマイクをとった。

「(居住歴がある)実在している人の自分の体験談とかであれば、それは親身になって聞かないといけないでしょう。グ・ヨンチョル氏の場合は(居住歴に関して)実在に疑問がある訳ですから、抽象的なことを色々と述べている訳ですけれども、それに対して彼の意見を尊重するというのは、まずあり得ないと思うのです」

 

 

 鈴木氏の両親は慶尚南道の出身で、父親は坑内で伍長として働いていた。氏は当時を次のように振り返る。

「戦時中に端島ではひどい目におうたねっていうような話なんか、全然聞いてないです。もう周囲の方たちも、皆、いい人でね。そんな悪い、負のイメージありませんしね。地獄で、殴られるリンチが多い、そういうような本当に地獄の島だったらそういう姿を見せるために(家族は)まず呼ばんでしょうね」

 会に集まった人は皆、グ氏について同じ事を考えていたようだった。加地氏は、「これはもう端島を知らない人が想像で書いたと思うんです」と言い、松本氏は「何か組織がかったものがあると。グ・ヨンチョルさんそのものは、(組織に)利用されとる。そういう感じを受けました」とまで話していた。

■筋金入りの活動家

 名簿にもなく、元島民の誰もが彼を知らないと言い、証言も元島民と全く食い違うグ・ヨンチョル氏。彼は一体何者なのだろうか。

 グ氏の経歴に関して、公開情報では、1931年、慶尚南道梁山郡下北面草山里に生まれ、1939年に端島へ移住。端島高等国民学校二年に編入、端島で終戦を迎える。

 朝鮮戦争勃発により、グ氏の人生は一転した。1950年、朝鮮労働党入党。パルチザンとして山岳地帯を中心に米軍を襲撃する武装活動により逮捕され無期懲役。1974年に20年の服役後出所。筋金入りの活動家である。

 近年は「汎民連釜慶(釜山・慶北)」の連合顧問という重役にもある。この「汎民連」は、北朝鮮と韓国の両方に組織があり、「南側本部」は連邦制統一支持、米軍撤収、国家保安法撤廃を主張し、1997年大法院から利敵団体と認定されている。委員長を務めた文益煥(ムン・イクファン)牧師は、1989年韓国当局の許可なく訪朝して金日成主席と会談し、後に国家保安法違反等の容疑で逮捕、収監。死後北朝鮮から祖国統一賞が贈られ、切手にもなった人物である。民主労総の大会で、雨の中、老骨に鞭打ち、民族の怒りと自主独立を訴えるグ氏は、汎民連の顧問を務めるただならぬ活動家だったわけである。また公平を期すために、毎日新聞の知人を介してグ氏にも直接インタビューを試みたが、叶わなかった。

 軍艦島という小さな島は、今大きな問題になっている韓国のいわゆる徴用工判決のうねりの中では、取るに足りない小さな存在なのかもしれない。しかしグ氏の発言をそのままにしておくわけにはいかない。その言動は単に誤りということではなく、政治的意図が隠れている可能性さえあるのだ。

 日本は官民一体となり、日韓請求権協定により、2国間で「完全かつ最終的に解決され」「いかなる主張もすることができない」という前提で、歪曲された歴史にさえ、事実を主張することを遠慮し、慎み深く沈黙を通してきたその一方で、日本への憎悪を煽る荒唐無稽な言動は、繰り返し世界中に流布され、今となっては定説になろうとしている。誤った事実関係を訂正せず、国際条約を守るべきという手続き論だけで、国際世論を説得できるだろうか。本稿を書いている最中にも、証言をいただいた坪内氏のご逝去の報に接した。元島民の名誉を踏みにじる「74年前の曖昧な記憶」が、人間の顔を取り戻すよう、戦中派がお元気なうちに対話を重ね、真実を紐解く努力が必要ではないだろうか。時間の猶予はない。

加藤康子(かとう・こうこ) 産業遺産国民会議専務理事。東京生まれ。慶大卒。ハーバード大ケネディスクール大学院都市経済学修士課程修了。国内外の企業城下町研究に取り組み「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録では中心的役割を果した。内閣官房参与。

「週刊新潮」2019年4月25日号 掲載

・・・・・

 

「見解」は複数あろうと、その見解をもたらす「事実」は一つきり、証言者の中には嘘か真実かそのいずれかしかありません。

長崎新聞がどういう新聞であるか知りませんが、報道局編集部次長という肩書の松尾潤氏の「徴用工の方たちが証言していることの中にも真実があると思います」という言葉で、お里が知れる。

 ・・・・・・・・・・・・・ここまで

【軍艦島】語り合う端島の元島民たち

 

軍艦島のユネスコ登録に「forced to work」の文言を入れられるぐらいなら、登録などしないほうがよかったのです。まんまと韓国の交渉術にひっかかって、結局軍艦島は「朝鮮人強制労働の島」扱い。

岸田当時外相は「forced labor」と「forced to work」の違いを述べて、自己弁護しましたが世界は、とりわけ韓国はそんな言葉のニュアンスの差など知ったこっちゃありません。当時の朝鮮人徴用工は日本人と同様の徴用であったなどと説明しても、そんなこと韓国も世界も解りません。

現に韓国は日本側が承認した「forced to work」に食いついて「日本が強制労働を認めた」と報道、そして捏造映画「軍艦島」が韓国で作られました。

強制労働の烙印>>>ユネスコ登録のメリット。

政府の失策です。相手は悪辣な韓国なのに、相変わらずころっと騙され利用され本来は吉事であるはずのユネスコ登録が、日本と日本人に永久に烙印を押す結果となっています。

 

軍艦島 予告編

韓国の主張する「史実」は映画やアニメ、銅像、蝋人形。

韓国の慰安婦映画「鬼郷」

 

映画『沈黙-立ち上がる慰安婦』予告編

捏造慰安婦映画「鬼郷」は在日(民団)の協力者がいて主演はその娘、「沈黙ー立ち上がる慰安婦」は、在日韓国人の監督です。

 

鬼郷は

*韓国では累積観客数358万人を突破 2017年、韓国の歴史家シム・ヨンファンが自身のフェイスブックに、数年間慰安婦関連の資料を見て来たが、映画の半分以上が慰安婦問題の歪曲と指摘したところ、元慰安婦が共同生活を営むナヌムの家から「反歴史的、反人権的詭弁」と批判され、慰安婦への名誉棄損として公開謝罪を要求された。これを受け、シムはフェイスブック上で謝罪した。

 

嘗て、日本では、朝鮮戦争の真実と言う本が出された。これは日本人従軍記者が朝鮮戦争で見た事を綴ったものだ。鬼郷の内容のほとんどの物が実はこの中に網羅されている。そして、WW2でそのような事が行われたとの傍証は存在しない。つまり、実際には鬼郷は、WW2とは、無関係なのである。(Wiki)

 

慰安婦反日映画は、朝鮮戦争で韓国が女性たちに振るった暴力のスライドです。


史実の仮面をかぶった捏造映画の1シーンが、そのまま銅板にレリーフされ、事実として転化してしまうのが韓国です。

 

              

 

 

しかも捏造にネタを提供したのが在日韓国人です。日本に住んで恩恵を受けながら。日本が在日を虐げているわけでもなく生活保護まで与えています。彼らの日本へのヘイトスピーチが許され、日本人の批判がヘイトとされてしまうような韓国人には”温かい”国なのに。

二本の映画は、在日韓国・朝鮮人による日本国民への最大のヘイトスピーチではないのですか?

 

すべての韓国人が反日というわけではないし、帰化した韓国・朝鮮人は日本国籍者であるという論がありますが、しかし慰安婦や徴用工の韓国の大嘘を鵜呑みに捏造映画をでっち上げる輩は、その心根に於いてやはり反日韓国・朝鮮人と言わざるを得ません。「鬼郷」への協力者や「沈黙」の監督が帰化しているかどうか調べてはいませんが、日本の豊かさと平和を享受しながら、この反日ぶり、本国では日本よりあからさまで酷い差別を受ける対象なのに!

 

 

 

h ttps://courrier.jp/news/archives/151263/

史明 元中国共産党のスパイだが、党の欺瞞に愛想をつかし日本へ亡命、日本統治に抵抗、台湾独立のために今度は日本で諜報活動。

その精神の変遷は調べていませんが100歳を超えた今、抗日運動家であった彼をして「日本人よ、世界のため旗を振れ」と言わしめるに至ったことが興味深く思われます。日本人本来の直き本質を知ったのかもしれません。
しかし、皇室が現在のていたらくだし、日本人はかつての日本人の魂をどこかに置き去りにしつつあるようで・・・・。
それでもまだ「世界に旗を振る」心があるでしょうか。何しろ日本の精神の象徴である皇室が・・・。敗戦後、GHQとその命を受けた左翼キリスト教徒たちによる皇室の荒廃が日本人の荒廃とリンクしているような気がします。

 

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祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え

 


改めて「万引き家族」と是枝裕和の反日性

2019-04-24 | 売国奴

「万引き家族」と是枝裕和監督の韓国との親和性、それはつまり反日性なのですが愛国保守の著名言論人が同じ感想を述べているので、ブログ主の過去記事を改めて検証する意味で動画をアップしました。

あれはどう見ても韓国人のメンタリティにより描かれた韓国人家族、ないしは在日家族の物語です。

それを、無知なカンヌ教養人が賞を与えたからといって、体制批判好きと日本人への優越感によるものであり、日本人がありがたがるのは愚かです。

アメリカではこの作品に賞は与えませんでした。現在の日米関係、というよりは安倍総理とトランプ大統領との良好な関係があるせいかもしれず、いずれにしてもこの日本人毀損映画がアメリカで日の目を浴びることはありませんでした。

 

田中英道 「万引き家族」評と「古墳時代と埴輪の研究1」、第57回日本国史学会連続講義、2018年7月14日 拓殖大学

「万引き家族」については、19:37 辺りから。
(他の部分の講義も勉強になります)

 

関連過去記事

 

▼「万引き家族」は「在日家族」だ! 反日左翼監督・是枝裕和 《拡散希望》 https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/c2ef773925ba0e5b84d3de1c9b7083eb

 

▼「万引き家族」は韓国映画だ!! アカデミー賞ノミネート https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/33cb635678373bdd4c389418fa1a2560

 

▼「万引き家族」は「朝鮮家族」? 左翼映画「万引き家族」の害 https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/eb0631baa9a927b12db2238ae54dc1c7

 

是枝監督の「海街diary」にも、反日の片鱗があります。

映画が壊していく日本の美風 是枝裕和という日本文化破壊者

 

映画で検証しなくても、是枝裕和という人の普段の言動、所属する組織を見れば韓国メンタリティの反日者であることは、明らかでしょう。権威を罵りながら、その権威から出される助成金はちゃっかり貰って、反日映画制作。クズです。

 

 

是枝裕和の文章を入試に採用したのが東大です。さすが上野千鶴子を名誉教授として遇している学校。
一橋もそうですが、国立大の教授陣に反日左翼がいます。私学では学習院も、もはや、そう。

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