犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

死者に預けているもの

2012-07-27 21:09:26 | 日記

霊場恐山の菩提寺代理住職である南直哉さんのところには、死者を供養するために多くの人が訪ねてきます。南さんは著書『恐山』(新潮新書)のなかで、それらの人たちと対峙しながら、死者とどう向き合っているのかについて、自身の僧侶としての苦悩を飾ることなく吐露しながら語ってくれます。

多くの重たいエピソードのなかで、心因性の突発性難聴に苦しむ初老の婦人の話が印象的です。
彼女は、さる名家の人格高潔・頭脳明晰な父と、良妻賢母の母のあいだに生れた子どもでした。三人きょうだいの長女で、小学校に上がるか上がらないかの頃に母が病で他界します。父親は再婚せず、彼女を徹底的に「主婦」として仕込み、中学に入るころにはお手伝いさんに指示を出すほど家庭内のことを仕切るようになったそうです。地元の短大を卒業した後に、父親の連れてきた婿と結婚し、自分の家庭と父親の両方の面倒をみる生活をしばらく続けたと言います。30年後その父がアルツハイマー病になり、介護を10年続けたのち父は他界しました。そののち突発性難聴に苦しむようになったというのです。
南さんが老婦人に語りかけると、彼女は堰を切ったように感情を表に出します。以下、原文を引用させていただきます。

「そうすると奥さん、今日はこの寺までお父さんを探しに来たんですか」
するとそのご婦人は、ウワーッと机に突っ伏して泣きはじめました。身をもむようにして泣く、というのを私は初めて見ました。十分ぐらい手がつけられませんでした。ようやく落ち着いて「どうもお見苦しいところをお見せしました。ご住職が私より年寄りだったら、もっとよかったのに」と、こう言った。
この女性は実感として、「あなたはあなたとしてそこにいてくれるだけでいい」と言われた記憶と体験がなかったのでしょう。だから泣いている最中ずっと一つのことしか言わない。
「何で私ばかり」
「何で私ばかり」
それに続く言葉が何かわかりますか。
「何で私ばかり、甘えることができなかったのか。何で私ばかり、子ども時代がないのか」ですよ。(前掲書 61頁)

この老婦人の場合、可哀そうなことに「そこにいてくれるだけでいい」と言われた感覚が欠落していたのでしょう。しかし、人格形成の黎明期、幸せな父親と母親に無条件に受け入れられた至福の記憶も残っていたはずです。だからこそ、その記憶をたどって「身をもむように」泣かざるを得なかったのではないでしょうか。わざわざ父親に会いに来たのではないでしょうか。

南さんは「死者の前に立つとき、自分の中の何かを死者に預けている、という感覚がある」と語り、死者を供養することについて次のように述べています。

一体、私たちは死者に何を預けているのか。
それは欠落したものを埋める何かだと私は考えています。
死者を想うと、どこか懐かしい感情が喚起されるでしょう。それは欠落したものが死者を前にして一瞬埋まる、と感じたために生じるものではないでしょうか。
(中略)それは好意であり、愛情であり、優しさであり、共感であり、尊敬であり、結局のところは、他者から自己の存在を認められることです。欠落を埋めるものはそれなのです。死者はもはやそれを与えることはできません。が、忘れられない死者とは、かつてそれを私たちに与えた人です。しかも決定的に。だから、そのことが、懐かしさとして想起されるのです。(前掲書128頁)

南さんは死者の正しい供養の仕方について質問を受けるたび、決まって一番の供養は「死者を思い出す」ことであると答えるのだそうです。死者は彼を想う人のその想いの中に厳然と存在します。「その死者を想う自らの気持ちを美しいものとすることが何よりの供養ではないでしょうか」そう語ることで、供養の仕方に不安を抱いていた人たちは安心することができるのだそうです。


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