犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

昭和20年 安吾の桜

2017-04-01 16:30:41 | 日記

昭和20年3月10日に始まる東京大空襲は、5月26日まで5回にわたって東京の街を焼き尽くしました。第1回目と第2回目(4月13日)3回目(4月15日)の空襲のあいだは、ちょうど桜の花が咲き誇る時期と重なっています。

10万人の死者を出し地獄絵と化した地上にも、やはり桜の花は咲いていました。
死者たちを上野の山に集めて焼いたとき、桜の花が満開だった様子を、坂口安吾は新聞連載のエッセイ『桜の花ざかり』に残しています。その一部を引用します。

桜の花の下に死にたいと歌をよんだ人もあるが、およそそこでは人間が死ぬなどということが一顧にも価いすることではなかったのだ。焼死者を見ても焼鳥を見てると全く同じだけの無関心しか起らない状態で、それは我々が焼死者を見なれたせいによるのではなくて、自分だって一時間後にこうなるかも知れない。自分の代りに誰かがこうなっているだけで、自分もいずれはこんなものだという不逞(ふてい)な悟りから来ていたようである。別に悟るために苦心して悟ったわけではなく、現実がおのずから押しつけた不逞な悟りであった。どうにも逃げられない悟りである。そういう悟りの頭上に桜の花が咲いていれば変テコなものである。
三月十日の初の大空襲に十万ちかい人が死んで、その死者を一時上野の山に集めて焼いたりした。
まもなくその上野の山にやっぱり桜の花がさいて、しかしそこには緋のモーセンも茶店もなければ、人通りもありゃしない。ただもう桜の花ざかりを野ッ原と同じように風がヒョウヒョウと吹いていただけである。そして花ビラが散っていた。
(中略)
花見の人の一人もいない満開の桜の森というものは、情緒などはどこにもなく、およそ人間の気と絶縁した冷たさがみなぎっていて、ふと気がつくと、にわかに逃げだしたくなるような静寂がはりつめているのであった。
(『桜の花ざかり』坂口安吾)

死者を見て焼鳥を見るのと変わらなくなってしまった挙句たどり着いた「どうにも逃げられない悟り」は、安吾にとって精神の均衡点であったはずです。ようやく保っていた心の均衡を打ち崩し「にわかに逃げだしたくなるような静寂」のなかで上野の森の桜は冷ややかに咲き誇ります。
その不逞な悟りを覚まされる様子を、安吾は「変テコ」と表現しています。
そう言わしめる満開の桜の花は、安吾の悟りに一撃を加えて、耽美的な感傷をもたらしただけなのでしょうか。不気味に咲き続ける桜は、異界にいるもののようでありながら、安吾に対して「生きよ」と呼びかけているように思えてしようがないのです。

死者を取り囲むように咲き誇る満開の桜が、のちに幻想的な小説『桜の森の満開の下』に結実したと、安吾自身は述べていますが、わたしは少し別のように考えたいと思います。
自分はもう死地にたどり着いてしまったと悟りきった安吾に、さあ、これからも生きるのだと桜は呼びかけます。
そして、その想いのたどり着いた先のひとつが、安吾の『堕落論』だと思うのです。

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。(『堕落論』坂口安吾)

花見の人のいない満開の桜は「変テコ」かもしれないけれども、人間が乱痴気騒ぎを起こしていたときと同じように、それは変わらず咲き続けています。堕ちぬくためには弱すぎる人間にとって、変わらず咲き続ける桜は「それでも生きよ」と呼びかける、確かなものであったと思うのです。

コメント (1)
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