犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

銀河鉄道の切符

2017-12-24 15:35:50 | 日記

のページに指を挟んで、そのまま新幹線の座席で眠り込んでいると、切符点検のために車掌が車両に入ってくるのに気付きました。高校生のときに初めて一人旅をした時から、今日に至るまで、ずっと切符点検にはどぎまぎさせられます。
アナタニ、ホントウニ、ココニイル、シカクガ、アルノカ。
そう問われているように感じるからでしょうか。

『銀河鉄道の夜』にジョバンニが切符を車掌から見せるように言われ、どぎまぎする一節があります。ジョバンニが上着のポケットを探ってみると、四つ折りした葉書くらいの大きさの証明書のような緑色の紙切れが出てきました。

それはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもので、だまって見ていると何だかその中へ吸い込まれてしまうような気がするのでした。

そばで様子を見ていた「鳥捕り」が、それは天上にでもどこにでも行ける大変な切符なのだとあまりにも大げさに驚いてみせるので、ジョバンニには「鳥捕り」が哀れな存在に思えてきて、どうしてこの人に親切にしてあげなかったのだろうと悔やむのです。

ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊こうとして、それではあんまり出し抜けだから、どうしようかと考えて振り返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。

この切符にはいわくがあって、賢治が24歳のとき法華経の宗教団体 国柱会に入会した際に授与されたマンダラの御本尊の姿が、切符の描写そっくりそのままなのです。賢治はこの御本尊を生涯、身辺から離すことがなかったといいます。

マンダラの上部には左右に振り分けて「若人有病得聞是経 病即消滅不老不死(もし人、病あり、この経を聞くを得れば 病は即ち消滅し不老不死なり)」と書き込まれており、妹トシが病で亡くなったときにも、賢治はこのマンダラに祈り続けたことでしょう。
ジョバンニが「鳥捕り」に申し訳なく思う気持ちには、トシの病を治してやることもできず、教え子たちを幸せにすることもできずに、自分ひとりがこの切符を持って、天上にでもどこにでも行ける身分になっていることへの後ろめたさがあったのではないか、とも思います。

しかし、賢治はこの大切なマンダラを銀河鉄道の切符になぞらえることで、なにを語ろうとしたのでしょう。
ジョバンニは、病気の母親のために牛乳をもらいに牧場に出かけると、いつの間にか銀河鉄道の列車の中にいました。
自分の意思で、この列車のこの座席に座ろうと考えたのではなく、気がついたら「この列車」に乗っていて「この座席」に座っていたのです。それはちょうど私たちが人生に対して、あるいは世の中というものに対して感じる、偽らざる思いではないでしょうか。
ジョバンニはこの列車に乗っていてよいという実感を得られないまま、突然、切符の提示を求められます。そうすると、じぶんでも思いもかけず「天上にでもどこにでも行ける」切符を持っていました。

さて、この切符は賢治のマンダラであり、それは法華経に全身全霊で飛び込んだ賢治の信仰の証でもあります。賢治は、「気がついたらこのようにあった世界」に対して、みずから選びとって「この席」に着いたのだと、そう考えようと決意したのだと思います。
しかし『銀河鉄道の夜』には賢治の信仰の高ぶりは描かれておらず、その切符を羨ましそうにながめる乗客への、申し訳ない思いだけが描かれています。

賢治はじぶんの信仰を、いつでもどこでも誰にでも通用するような、便利な法則のようには考えていなかったはずです。そうであれば信仰の証をいつも身近に持っていたり、それを持っていることに何か申し訳ないような気持ちになることもなかったはずです。普遍的な真理ならば、いずれ自然に具体的な形をとるだろうと、たかをくくっていればよいのですから。
いま「この席」についていることには、なにか大きなものにつながる理由があって、それをじぶんが選びとったのだということ、そしてそのことを絶えず思い出すのだという決意を、賢治は「切符」に託したのだと思います。


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