大空を見上げて

日頃感じていること

我人生ブログ、AIに聞く

2024-05-01 | Weblog
2024年5月1日
の半生を断片的に思い出しながら拙い文章でブログを2008年4月より初めて16年となりした。 現代社会で活躍した成功者でもない私ですが、与えられた人生道を一生懸命生きて来ました。 恥ずかしながらも正直に素直に日記として又日々の生活で感じた事、過去の出来事で強く記憶している事等を書きブログ公開して来ました。

「A  Iより感想」
ブログ「大空を見上げて」では、作者が過去16年間の人生を振り返り、その間に感じたことや経験したことについて綴っています。このブログでは、戦争や紛争の歴史、家族の思い出、そして日本民族としての誇りについての深い考察が述べられています1。また、作者は自動車学校の教官としての長いキャリアや、高齢者としての日常生活についても触れており、読者に対する感謝の気持ちを表しています2。
~^~~~~~~~~~~~~
 
シアトル空港~アラスカ航空にてアンカッレジへ
 

  

昨年の旅(ラスベカス~シアトル~アラスカ)へ
 

 
(昨年6月アメリカ、アラスカ鉄道13時間の旅へ)
アラスカ鉄道に乗ってみた。【北米#8】
     
 


 
   (アラスカ、フェスバンクスの在住の親族一同)
Train Experience: Anchorage to Seward. Alaska Railroad's Coastal Classic. Top 10 Train Rides.  

 
 
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青春を謳歌

2024-04-29 | Weblog
 

    4年前5月の連休に箱根へ  富士とツツジに感動の想い出。   

   最高の素敵な御夫婦(大谷翔平と真美子夫人)
連休は何処も出かける予定はないのでメジャーをTVにて野球観戦。

幼い子供時代を思い出しました。
私の子供時代、月一回集会所のような所で土曜の夕方幻灯会(フイルムの紙芝居)があり近所の子供達皆とても楽しみであった。
私の記憶では10歳(小3)の頃,初めて映画という物を観たと思う。
学校の課外授業で映画館へニュースと密林王ターザンを観にいった。
ターザン役のワイズミィラーは格好よく、私達ガキ仲間は山へ行き木にロープを垂らして「あ、あぁ~あ~」と叫びながらターザンごっこで夢中で遊び回ったことを思い出す。
30mの陸橋から水源地へ飛び込、急斜面を駆け降りたり、屋根から屋根へ飛び移ったり、現代の親が見たら肝をつぶす事を平気でやっていたような気がする。その後
若き青春を自衛隊空挺レンジャー隊員として過ごした!
               
46【空挺レンジャー】日本を守る!伝説の空挺隊員。Airborne Ranger Protect Japan! Legendary Airborne Brigade
 



 
船橋、空挺団選手優勝。左端私。真中作間レンジャー教官  
   

 
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明治生まれの父母に感謝

2024-04-16 | Weblog

ロシアがウクライナに侵略、悲惨な戦争が始まり三年となる。
又、イスラエルとガザ及び世界の紛争が絶え間なく難民問題。
人間の心の罪が問題だろうか!歴史は繰り返す。残念!
両軍と民間人に何万人と死者、粉々に破壊された街、民家等観て
太平洋戦争の78年前の敗戦国の日本軍300万人、民間人を50万死者、日本全国焼野原を思い出す。
世界や日本の過去の歴史は残念だが戦争や紛争の連続である。
私達は生まれてくる時代や環境を自分で選べない。
もの心ついた時は自然にその時代その環境の中にいるのである。
父は明治37年1月生まれで公務員、母は明治40年生まれだった。
私は太平洋戦争開戦時昭和16年、日本が真珠湾攻撃をした年に外地で生まれた。その4年後敗戦、母、三女姉、弟が亡くなった。父と長女、次女四人で何回も危険を脱しながら引揚者となりボロボロになりながら家財をすべて捨ててリュック一つで、屋根まで一杯の満員の汽車に何日も揺られ釜山へ。
そして何日も港で待たされ引き揚げ船で長崎の港に帰国した。

私は月刊誌を拝読して感じる事だが、現在の私達日本人の平和は我々の日本民族又先輩達のお蔭だと思う。
世界の歴史を見ると戦いの連続であり勝者が歴史を作ると言われている。
人間として戦争は絶対いけないと思うが、白人の植民地政策の歴史を見ると東南アジア(シンガポール、インドネシア、ビルマ、タイ、香港、マカオ,フイリッピン)等日本近海は次々とが英国やアメリカ、スペイン、オランダ、ポルトガル等の長期植民地なった歴史がある。
黄色人種で白人にまともに抵抗して戦ったのは日本民族だけである。
人それぞれいろいろ意見があるだろうが大東亜戦争で日本は白人達の植民地政策を打破した事は間違いないと思う。
それがきっかけで戦後植民地だったほとんどの国が独立国となった。
明治時代大国ロシアは、この四季豊かな美しき日本列島や朝鮮半島を植民地にと日露大戦争がおこり我々の祖父達は戦い大きな犠牲と命をかけて日本を守ってくれた。
その後34年間日本は朝鮮半島を日本の植民地の様にしてしまったが、その頃の朝鮮は自国を自衛する能力がなく仮に日本でなくてもロシア又中国の植民地になったただろう!いわれている。
日本民族という誇りをもって人生を送り、又我が民族の先輩達のお蔭で今のこの幸せな生活があると今日も深く感謝している。          
遠き昭和の...           歌,小林旭  
(後期高齢者になったが、一生懸命生きた昭和が懐かしい!)

A Iより感想
「明治生まれの父母に感謝」というブログ記事を読みました。この詩は、私たちが持つ心の中のアルバムを通じて、過去の瞬間を大切に思い出し、感謝することの美しさを讃えています1。
記事の中で、戦争や紛争の連続について触れられていますね。世界の歴史を見ると、戦いが続いてきたことは事実です。しかし、私たちは生まれてくる時代や環境を自分で選べないことを理解し、その時代の中で生きることが大切です。
あなたの父は明治37年1月生まれで公務員、母は明治40年生まれだったそうですね。そして、あなたは太平洋戦争開戦時の昭和16年に外地で生まれました。戦争の影響を受けながらも、引揚者として家族と共に日本に帰国されたこと、その経験は貴重であり、感謝すべきことです。
また、日本民族としての誇りを持ち、先輩たちのおかげで今の平和な生活があることを感じていること、素晴らしいですね。私たちは過去の歴史から学び、未来に向かって進んでいくことが大切です。2
この詩を通じて、感謝の気持ちを大切にし、心のアルバムに美しい瞬間を刻んでいきましょう。」
         
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安全運転(指差し確認)

2024-04-01 | Weblog

今日の新聞にも高齢者の交通事項のニュースが並んで載っている。

この前の夜、日曜日で午後8時なのにまだ仕事をしている自動車教習所の側を走行していると、妻に「懐かしいでしょう、又やりたい?」と言われ「うーん 正直言って二度とやりたくない」と答えた。
私は東京で自動車学校の教官を38年間勤めました。
運転を指導教習する仕事は男女年齢を問わずのさまざまな教習生が相手です。
責任ある安全運転を教え込まなくてはと大変な事もいっぱいありました。
   
ドライビングスクールを64歳で定年後、電鉄本社
の社長の運転士として私は高級車新クラウンハイブリットで東京都心、神奈川、千葉、埼玉副都心を日々安全運転に心がけ6年間勤務しました。
教官時代と違って私にとって最高に楽しく快適な仕事でした。
社長も素晴らしい人格者でいろいろ70歳迄人生経験をさせていただきました。
その後、10年間アルバイトでバス運転を無事故で現役引退。
 免許業務に携わるためには必要な資格がたくさんあり、東京都免許本部長賞や優良教習指導賞,又自動二輪指導インストラクタ―賞など頂きながら取れた時には満足感と責任ある仕事ができる幸もあるが、実際の教習には苦もあります。
私が教えた教習生との思い出は数えきれませんがいつも心より安全運転を願っています。
永年ドライバー教育に関係していたが、私も最早後期高齢者!常に初心に帰り危険予測、指さし確認、注意力の配分等ハンドルを握る責任と心構えに注意をしています。

 
 

  
AIの感想
「記事の中で、2024年4月1日に投稿された「安全運転(指確認)」というエントリーがあります。このエントリーでは、高齢者の交通事項について触れられています。fight-mさんは、自動車学校の教官として38年間勤め、さまざまな教習生に責任ある安全運転を教え込んできました。また、定年後には高級車の運転士としても活躍されたそうです。
指さし確認は、運転中に周囲を確認する際に大切なポイントです。特に高齢者の方々には、この習慣を忘れずに実践していただきたいと思います。安全運転は誰もが心がけるべきことであり、私も初心に帰り指さし確認を大切にし心にゆとりを持って注意しています。」

10年前までは毎年、楽しみ武道館に観に行って感動していました。
 
コロナで4年間中止だった世界一の自衛隊音楽まつり
     「日本武道館」
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桜満開が楽しみ!

2024-03-27 | Weblog
自家用車の冬用スタットレスタイヤを夏用普通タイヤに交換の為トヨタディラーへ。
帰宅して静かにコ-ヒーを飲みながら癒しのメロディーを聴いている。
何も変わらぬ普通の日常生活に至福の時を感じている。

癒し系絵画と名曲歌謡・ポップス・演歌 Steel Guitar URL https://f-noritaka.com/  
 











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千葉市幕張の美しき夜景

2024-03-13 | Weblog
 我が人生経験で一言
「人間社会で生きていくには、いろいろな人とのコミュニケーションの中で時にはバカになる事が必要だと思う。
例えば、相手が一生懸命話している時は、知ってる事も初めて聞くようにしたり、自分が悪くなくても謝ったり、      
社会、会社で又親しき付き合いの中でも少なからずあると思う。
しかし 馬鹿をしては絶対にいけない、犯罪者は馬鹿な事しましたと言う。馬鹿になる事と馬鹿をする事とは全然違う。
ある音楽漫談家が言っていた。「賢い人は馬鹿なふりをし、馬鹿は賢いふりをする」と。」 
   
我家から車で30分幕張新都心の美しい夜景です!
 千葉県千葉市 幕張新都心&アパスカイレストラン50階
  

 

 

  窓越し見事な夜景、 豪華な雰囲気素敵な50階レストラン
 

 

   

   

 
 千葉港~房総方面
 

 

幕張新都心、昼の景色 写真 海側より
  

世界で最も美しいメロディー!この音楽を永遠に聴くことができます!素晴らしい音楽Sergey Grischuk
  
 

1797 SC ♪ 恋あざみ ☆ 五木ひろし&八代亜紀 ◇ 160210


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心のアルバム

2024-02-16 | Weblog
「春の枝に花あり
 夏の枝に葉あり
 秋の枝に果あり
 冬の枝に慰めあり」 
               
どの季節にもその時々の恵みがあります。
 

今日は土曜日、私も静かにコーヒーを飲み、ムード音楽聞きながら、
コロナ社会の終息を感じ至福の時を過ごしています。
ここ二、三年 親族、OB、友人、知人との連絡も相手の迷惑を考え一切断っています。こう言う社会がくるなんて想像もしていませんでした。
自分自身の人生を振り返りながら少年時代は瀬戸の海に憧れ、青春時代紺碧の大空の花、としてその後仕事も定年迄勤め趣味のスポーツ等続けられ、
個人的には山あり谷ありの人生で、辛い試練もありましたが、
おもしろく生きて来たように思います。
高齢者となり今迄歩んだ我が人生を振り返ると、幼い時、学生、青春、公務員時代、会社員での人との出会い、別れも想い出としていろいろ経験しました。   
♪輝く日を仰ぐ時 月星眺める時
 雷(いかずち)鳴り渡る時 真のみ神を思う
 森にて鳥の音を聞き そびゆる山に登り
 谷間の流れの声に 真のみ神を思う♪
 
旅に出かけ雄大な美しい自然を楽しむ時、夜空に輝く月や星を見たり、山や野に咲く愛らしい草花を見るとき、旅先でいつも感動で神の恵みと思っています。


月の砂漠
令和5年度自衛隊音楽まつり「歌姫全撮影」(航空中央音楽隊は除く) 真衣の部屋 尺107分版 鶫真衣 JAPAN SELF-DEFENSE FORCES

      ネバタ州(ゲランドキャニオン)
ナイヤガラ
   
高校時代 遠泳20キロ(1級取得)瀬戸内 海 「空挺隊員時代」

      

        
    趣味で武道&ボデイビル時代  「合気道」

 


    自動車学校35年間勤務(教官時代)
    
AIの感想(心のアルバム)
時が過ぎても このアルバムは 私の宝物 心の奥にしまっている
この詩は、私たちが持つ心の中のアルバムを通じて、過去の瞬間を大切に思い出し、感謝することの美しさを讃えています。
「心のアルバム」は、読む人々に共感と感動を与えることでしょう。 あなたもこの詩を読んで、自分の心のアルバムを思い浮かべてみてくださいね。📸🌟
   
優秀社員受賞)電鉄花田社長(真中)系列社長と3名受賞者達
(定年後契約社員として本社K電鉄社長SP&運転士と5年間勤務!)

 
  
「その後70歳~80歳(昨年まで)バス運転士として社会最後のアルバイト」
 

 趣味、現在健康保持の為

生きているものは必ず死ぬ、死ぬときはどんな人も孤独、そこ
には貧富の差もなければ社会的地位もない、ひとりで生きてひ
とりで苦しみそしてひとりで死んでいく、それが人間の一生だ
と思っている。ありがとう!と感謝して逝きたいと願っている。
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夫婦善哉(昔の想い出)

2024-01-31 | Weblog

令和6年2月1日(今日は素晴らしい天気で快晴です)
石川大地震、国会議員裏金問題、戦争、北朝鮮のミサイル等大変な年ですが、
ただ国内、国外、世界の平和を祈るのみです。

ある日の夫婦の会話
TV朝のドラマNHKアンコール「花子とアン」を見ての夫婦の会話。

花子が恋の苦しみ場面で妻が言った「あなた、恋って苦しいものなのよ!」

私は妻に言った「恋で悩み、苦しんだ事あるのかよ!」お互いに顔を見合わせ大笑いした。

妻は今、自分のブログに毎日「百人一首」の恋物語を説明しながら載せている。
だから昔も今も男女の恋物語はよく分かると言うが自分自身はあまり体験も経験もないようだ。(笑)

そこを私がつくと舌をだしながら「あなたに30年恋をしているのよ!」との事。

全くよく言うよ! そのカケラなんかまったく見えないし感じないと応えた。

たまに口喧嘩するが、勝ったことは一度もない!残念!(笑)

確かに恋心は燃えるような恋もあれば、どうしようもままならない恋もある。

 マア!遠い昔の話で儚くも楽しい誰でも経験する秘めた人生の想い出でもある。
     
(以前スイス、マッタンホルンにて)           
   

 

      


黒い花びら / 水原 弘


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美しき 日本の冬景色 

2024-01-24 | Weblog

     
これはめちゃくちゃ美しいメロディーです!最も美しいメロディー    
こんな景色を見ていると旅行に行きたくなりますね!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一昨年の交通トラブル(妻のブログより)
警察から呼び出し?
 夫がアルバイト先から電話
: 「…あの、ちょっとケガしたけど心配しないで…
      今、警察との話しも終わったから…。」
: 「なに? ケガ? どういうこと? なんかやったの?」
: 「う~ん、ちょっと女性を助けたんだよ…。
    お医者さんが手当てをしてくれたから大丈夫。
    レントゲンも撮ってくれたけど骨折もなかったし。」

事情がさっぱりわからないまま帰宅を待ちました。
右手首に包帯が巻かれていました。
あと、腕に内出血のあざが出来ていて絆創膏を貼っています。
  経緯は
送迎バス運転中に、前の車から男性が飛び出して、その前の若い女性の車を脅したというのです。
どうもどこかから追いかけて来たようです。
傘でフロントやドアを叩いて、降りて来い とかひどく怒鳴りつけて…、女性の車の周りをウロウロ。
女性はおびえて 「ごめんなさい、ごめんなさい…」  
  あまりしつこくやっているので、後ろで渋滞待ちしていた夫が見かねて、飛び出して女性を助けた…。      (らしいです)

 : 「おい、もういい加減にしろよ。 女性が怖がっているじゃないか!」
そして女性の車を「行って、行って」と逃がしたら、
その男性が、興奮状態で凄い声で怒鳴りながら今度は傘で夫に殴り掛かってきた…。
暴力はやめなさい!と注意したが仕方なく応戦
ああ、やっちゃったのね。
夫は若い頃、空挺の自衛官で空手4段ほか、合気道、柔道、銃剣道七段、短剣道六段、…で教士デス。 

そうこうしているうちに誰かが連絡してくれてパトカーが来ました。
その男性は夫に合気道で3回投げられたあと、腰を痛めたらしくは身体を抑えながら慌てて車で逃げたとのこと。

一部始終を見ていたのは、夫が運転しているバスに乗っていた医者や看護師、介護士さんたち。   「運転手さん、強いね~! 」
右手で振りかざした傘を避けた為軽く負傷したので、そして病院でそのお医者さんに手当をしてもらいました。
そして翌日
: 「警察から呼び出しがあったからちょっと遅くなるよ。」
: 「うぇっ! 呼び出し。 訴えられるの? 」
医者の先生方が現場の証人になってくれましたので助かったそうです。

助けた女性のことも、脅した男性のことも何も知らなかったのですが、
その夜、助けた女性がご主人と共に警察に行って、本当に恐かったこと、だれも助けてくれなかったのに、警察官からあの人は武道の達人だよ!習志野の元空挺レンジャー特殊部隊の自衛官と聞いて驚き良いおじさんが来てくれて、本当に助かったとお礼を持って来たそうです。
その受け取りの出頭だったのです。
  
 どんなに正義感があり、腕に覚えがあるとはいえ、もう後期高齢者、以前海外旅行中(フランス、パリシャンゼリゼ通り)スリ集団数人を一人で撃退、私が掏られた財布を取り返した事がありました。
でもいい加減にやんちゃは止めてほしいです。
なお、逃げた男性40代は何度もそんな前科があるとのこと。
道路に連続三回投げたが、何か刃物ような持っていたようなので
仕方がなかった主人は言ってました。
暴徒の男性は尾骶骨(投げられて歩行困難)を痛めて入院中らしいです。
早く完治を願いながら正しく穏やかな人生をと!祈っています。
  
   

 

   

「精鋭!精鋭!精鋭!」陸自のエリート部隊「第1空挺団」40~50kgの荷物を抱え、地上わずか300mから降下【DIGドキュメント×TBS】  



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愛の丸いおにぎり

2024-01-11 | Weblog
95歳で天国に召された父の夢を久しぶりに見た。
昨夜亡き父との令和6年の初夢です
小2の時の事。
明日は遠足、父は母(4歳の時死亡)のいない私に寂しい思いをさせたくなくて、一生懸命いろいろ考え弁当を作ってくれた。
おやつも決められた金額の範囲でキャラメル、お菓子など揃えてリュックに詰めて、明日これをと私の枕元に置いて夜勤の為仕事に出かけた。
父は次の日の夜迄帰って来ない。
「亡父は、外地で司法の長として私達家族はお手伝いも二人いて幸せだったが、姉2人と私の4人は終戦と共に、引き上げて日本に帰って来た。
敗戦の昭和20年7月に私の弟を産まれてすぐ失くし、8月は私の母であるそして祖母と続けて3人の肉親を失くし、傷心の中での帰国であった。
私は4歳だった。当時のことはかすかに記憶にある。
父は財産や職もなくしカネボウ紡績会社の守衛長として働いていた。」
この頃,姉達も九州の大分の別府でバスガイドの職につき、父と二人だけの生活だった。
当日雨で遠足は次の日に延びた。
私は学校から帰って弁当だけでなく、おやつも全部食べてしまった。
夜帰宅した父にすごく怒られた「明日どうするんだ!おやつなんかないぞ、店も閉まっているし」私は泣きながら寝た。
次の朝起きると父は弁当を作り、おやつも夜のうちにお店の人を起こして揃えていた。
遠足は学校の近くにある桑の山という所で、標高500mの山に登った。
お昼、弁当をひろげた。皆のおにぎりは三角で海苔が巻いてあり格好良い。
私のは大きくてまんまるで格好悪く恥ずかしかった。
岩場の陰で一人で食べた記憶がある。父には子供達のお母さん達が作るような三角のおにぎりは難しく、ゴツゴツした手で丸いおにぎりが精一杯だったのと思う。
亡き父の愛に心よりありがとう!と 言いたい。 
 
 「落下傘に父の愛を背負って
  大空を舞う青春の想い出」 
    
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