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裁判員の思い出

2022-07-16 | Weblog
数年前、裁判員を経験しました。 
その年の12月の暮れのある朝、東京の千代田区最高裁判所より私に大きな分厚い封筒がきた。
妻より「あなた何かやった?」「えっ、なに?何もやっていないよ。」
確かに私宛ての書類である。
私は悪い事や人との争いは好まない人生を送ってきたつもりである。
来年の裁判員候補になったとの連絡であった。
東京千代田区の最高裁判所からで、身が引き締まる思いがした。
妻に、まだ候補の段階で裁判員に選ばれたわけではなく、まだまだ倍率があり宝くじみたいなもんよ!と言われた。
翌年私に最高裁判所経由で千葉県の裁判所より28年度の裁判員候補の通知が来ましたが、一昨日書留でいよいよ本格的に日付け指定で裁判員の連絡が来ました。ここで理由をつけて辞退する人もいますが、私の父は戦前20年間刑務官で、私が生まれた時は刑務所の所長でした。
終戦直前退官、戦後帰国後は会社員でした。
叔父は戦前朝鮮で検事や判事をしていて、戦後山口、島根、大阪の地方裁判所で裁判官をやっていました。従兄弟たちがいましたので、幼い頃よく官舎に遊びに行った思い出があり、興味があったので裁判員候補として指定日に出向きました。
米国の裁判では陪審員として一般市民が判決に参加する事は知っていました。
日本も国の司法の方針で試験的に平成21年5月から裁判員制度が始まって6年との事です。
当日、候補として受付を済ませ待機室の教室に250名いました。
殆んどの候補の方々はこれで日当をもらい解散との事です。
番号を頂き個々面接の様な事があり、二時間後5人番号発表があり私は正式に候補ではなく裁判員になりました。
私は裁判員に選ばれ二週間裁判所に通いました。
最初の日、裁判長から裁判員は法廷で行われる審理に立ち会い裁判官と共に被告人が有罪か無罪か、有罪の場合どのくらいの量刑にするのか判断すると説明を受けました。
裁判員がかかわるのは重大な刑事事件で、無期か死刑に関係したものと決まっているそうです。
朝9時から夕方5時まで法廷と裁判評議室を何回も移動します。
法廷内の様子を裁判官のすぐ側の裁判席から見るととてもリアルで、刑務官に付き添われて手錠姿の被告、検事、証人、弁護士、又傍聴席などを見、実際のやりとりを見て、TVのドラマでしか見たことがない私はすごく緊張して責任を感じました。
この時正直言って、何の知識もない私がこんな所にいていいのか戸惑いました。
毎日とても疲れて帰って来ましたが、得難い貴重な経験をさせていただきました。
事件や裁判の内容については詳しく書けないのが残念です。
私の人生において素晴らしい経験でした。
今後の日々の生活に元裁判員として恥ずかしくないよう気を引き締めて行きたいと思いました。
(先日、7/6日 ワクチン四回目、実地)
 




コメント (5)
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