大空を見上げて

日頃感じていること

秋桜(コスモス)

2021-10-20 | Weblog
秋桜 (コスモス) ナターシャ・グジー / "Cosmos" by Nataliya GUDZIY

明治時代ワシントンのポトマック湖畔に桜の植樹を実現させた米女性旅行家シッドモアは、日本の秋はもっとも素晴らしく「陽光はまろやか、野山は壮麗に色ずき山腹はどこも草木は見事な色合い、世界でもまれな紅葉」と時の外国人に日本の秋景色魅了を伝えたとある。  
昨日10月19日は、冬の寒さで13度、秋は短期間の様ですが、
    季節の花コスモスも満開でとっても綺麗です。
 

 

 
                       (昨年10月旅行、兵庫県有馬温泉へ泊まった宿)

数年前、皇居の銀杏の並木を歩きながら、残り少なくなった「たそがれの人生」を感じながら徳川家康公遺訓を考えていた。
「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し、いそぐべからず不自由を常に思えば不足なし心望おこらば困窮したる思い出すべし・・・」
 

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母の面影(幼き想い出)

2021-10-19 | Weblog

 数年前のある日、その日は素晴らしく良い天気だった。
以前より、台風15号の影響で我家の屋根が気になっていた。
ジョイフル本田で瓦専用の接着剤を買ってきて屋根に上ったら、3枚ほど割れてずれていて、ほかにもひびが入っていた瓦があり全部直しました。
自宅の屋根の補修の為ベランダから梯子をかけて青空のもと、二時間位のんびり修理をしながら、遠い昔の田舎の幼い頃の事を思い出した。

「勝ちゃんが又屋根に上っている!」近所のオバサン達によく言われた。
物覚えがつく幼い四才の頃もうすでに母はいなかった。
父はよく私に言った「勝義、天国に行った母ちゃんがいつも見ているよ」私が何か悪さをして父が叱る時の言葉だった。
又「天国の母ちゃんが悲しむ。誰も見ていなくても母ちゃんは見てる」といつも聞かされた。
幼い頃住んでいた所は、二階建て長屋の会社の社宅で角に鉄ばしごが付いていた。
私は6歳頃から小学校高学年頃まで暇さえあれば昼夜を問わず頻繁に屋根の上にいた様な気がする。
父にあぶないから屋根に上がってはいけないと何度か怒られたが、私は隠れて登っていた。
ある日屋根の上に居たところを見つかり私を叱りながら「何故屋根に登るのか?」
私は「天国の母ちゃんに逢いたいから!」と。
その時父は涙目で「あぁ そうか!」と言って黙って私の頭を撫でたのを覚えている。

私は天国に少しでも近い屋根で青空、雲、夜空の星を見て母の面影を求めていた記憶がある。
その後、父は私が屋根にいても何も言わなくなったが、明治生まれの父はその時、私に武士の子だ。「強く、正しく、朗らかに」生きよ!と言われた。
         
 (写真:幼い頃いた故郷の社宅に似てる建物)
 
 遠き亡き母の面影を追っ手!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
父は先祖の一員「長州藩士、松田清左衛門」(元冶元年1864)幕末の志士の墓がある為、京都にお参りに連れて行かれた。
京都の秋の紅葉は素晴しく日本紅葉三景の一つと言われている。
その歴史の京都に私の先祖の一員「長州藩士、松田清左衛門」(元冶元年1864)幕末の志士の墓がある。
 京都長者町新町入ル(国司勢)34歳にて戦死(毛利家重臣、槍術師範)
 京都東山霊山護国神社に長州藩士の吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎、久坂玄端、大村益次郎達と並んで眠っている。


   
                 松田家家紋、源氏義経同)   
  家訓「正しく、強く、朗らかに生きよ!」亡父より
                       
   霊山にて
  京都東山霊山護国神社(先祖松田家一族、清左ヱ門)
幼い時、京都靖国へ父と数回行きました。
 
故郷山口県防府市毛利庭園
  

 


         長州魂しいで頑張った! 全日本銃剣道教士七段
月の砂漠  





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熟年夫婦の素敵なコマーシャル

2021-10-06 | Weblog
「再掲載」
 友人から私の姿を千葉市内の経営会館ロビーでチラッと見たと携帯メールが来た。
その友人は私のブログで今妻が旅行中だと知っていて、とても寂しそうだと書いてあった。
私はそんな事はないよと気持ちの中で反論しながら独り事でつぶやいた。
妻がトルコへ海外旅行に行って今日で四日過ぎた。
いつも家に居て当たり前で「ああしろ、こうしろ」とうるさいなぁーと思った事もあるが全然注意されないのも何だか物足りない。
私は洗濯も料理も何一つ出来ない。
出発の前日洗濯のやり方を教わったがまだやっていない。
近日中にやろうと思っているが忘れたみたいで不安だ。
やはりいろいろ不便で帰宅しても一言も話す相手がいない、TVを観ても感想も言えないし、何か落ち着かないし生活のリズムが掴めない。
こういう時、独り者の男はどうするのかなぁー。
私は酒も賭け事しないので馴染みのお店もない、パチンコも行った事がないのでやりかたも知らない。
今日も帰りながら弁当を買って、誰も居ない我が家にいつものとおり大きな声で「ただいま」と帰るが返事はない。
俺は男だ!妻が帰国しても孤独で寂しかった!なんて絶対に言わない(苦笑)


      
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