大空を見上げて

日頃感じていること

櫻舞う (千葉市花見川 )

2021-03-29 | Weblog

 

 早朝5時起床、30分後に仕事のアルバイトに少し風を感じながら愛車で出勤。ハンドルを握りながらラジオFMをかけると、倍賞千恵子の♪「忘れな草をあなたに」のメロディ。

 東の空より夜明けの光の中に、満開だった桜が舞いフロントガラスやボンネットに~。

長年積み上げた人生、人との出会い別れを想い出しながら、今日も健康で元気で働ける事に感謝している。

では一句  「暁に プリウス走り 桜舞う」 自作 ( 妻評価、才能なし)

昨日、社交ダンスレッスン指導中ある熟年男性つぶやいた!

あと何年こうやって音楽に乗って身体を動かせるだろうか。

私は応えた。  この日、この時間を楽しみましょうと~


 

       ( 現在、 コロナ自粛の為、マスク、手袋で組まないで単独足腰の練習)

 

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月から来た男(入社時の思い出)

2021-03-24 | Weblog

遠い昔、社会に一歩踏み出した事を思い出しました。

 私は28歳から35年間、自動車の運転を教える教習業務に従事しました。
昭和45年特別国家公務員(自衛官)を退官。初めて一般社会に飛び出す不安でいっぱいでした。
その頃の日本はバブルの最盛期で運転免許習得人口も最高でした。

東京葛飾区にある自動車学校で、当時第一コース、地下道を渡って第二コースもあり、規模も在籍教習生も日本一、
全国から免許、教習所関係見学者絶え間なくありました。指導の先生方も250名、事務、送迎、管理、車両整備、企画など社員総勢400名を越えていました。
東京都免許本部が行う研修と指導員審査試験に私と他4名(22~24歳)と共に無事合格し、総務部長に連れられて社長、校長に報告。その時、校長は私に「君は自衛隊の最精鋭の空挺部隊にいたんだね。社員に何か経験談を話して下さい又特技があって空手道四段、銃剣道五段で武道が得意らしいが社員教育の為にも見せてほしいとも言われました。
次の日私達新入社員5名は役員を含む全社員の前で紹介されました。
私以外は背広ネクタイ姿、私は真白い空手着の胸に日の丸(アジア大会日本代表選手)、黒帯を締め、皆の前に立ち自己紹介をしました。
私は全社員の注目の的になりちょっとドキドキしましたが、心の中で「俺は厳しい規律の中物凄い訓練を受けた空挺レンジャー特殊部隊員だったのだ!」と新入社員の中で一番年上だし堂々としていなくてはと思いました。
初めて飛行機から飛び降りる心理状態を簡単に話し、その後、空手の形(平安五段)の演武をしてみせました。 
    (終わったとたん全社員の大喝采の拍手を受けました。)
おそらく入社式でこんな事をしたのは後にも先にもないと思います。
今、考えるととても恥ずかしく高校(陸上国体山口代表)出て自衛隊という限られた場所に10年起床ラッパと消灯ラッパ、での生活自衛隊独特の復唱言葉、敬礼、姿勢、歩き方が身に付き社会の空気が読めなかったように思います。
その後、私は社員の健康管理の為会社に要請し厚生部門として部屋と部費もらい、体育部(空手&ウエートトレーニング)開催し責任者として指導にあたりました。

仕事では30代は自動二輪指導に従事、鈴鹿やレインボウー、また警察庁の研修所(茨城)等教育を受け、上級インストラクターの資格を取得。免許本部の指導員二輪大会で優秀賞を頂きました。

 *現在会社のOB会で旅行や飲み会の集まりが、年春秋2回位ありますが、先輩社員だった人達から必ず私が入社した時の事が話題にでます。
ある先輩OBに、入社時、眼光が厳しくきびきびした印象があり、言葉使い、態度、動作等見てものすごい人が月の世界から来たかと思った!(笑)と言われました。
*本当に一種変わった人間だったのか!と私の人生で恥ずかしくも懐かしい想い出です。              


              

Ryo Kiyuna The Legend of Kata - Gold Medalist Olympics 喜友名諒が
高松宮記念杯争奪 第27回全日本銃剣道選手権大会 一本特集 Jukendo 27th All Japan Jukendo Championships Ippon
 

 

                            


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自動二輪インストラクター(人生回想)

2021-03-11 | Weblog

特別国家公務員を退職後。

私は、自動車学校で教官を28歳から35年間勤務しました。

30代は自動二輪のインストラクターとしてオートバイ教習に従事。

会社から三重県鈴鹿や埼玉のレインボーにも上級インストラクター資格の

教育訓練に行かされ猛練習に励みました。

指導員大会(尾久自動車学校)にて何度か選手として出場、何度か賞も頂き懐かしく思い出されます。

若き日を懐かしく(先頭が私)全国公安委員会指定教習所にて

デルタテクニカルセンター バイク 神業パレード(Big Bike Parade Kyoto)

  

東京都公安委員会二輪指導員時代  ドーム20個分日本最大の警察庁研修所(茨城勝田)

高度技術の普通車、二輪教官養成(パトカー白バイ、教習指導員、消防署)青免教育等

( 現役時代、警視庁免許本部長より公安委員会指定優秀指導員の表彰と記章を受ける)

 優秀指導員記章       自衛隊時代

全国教習所所上級インストラクターパレード(1980、9、21)

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過酷の吹雪、丹沢越え

2021-03-09 | Weblog

     

 若き青春時代空挺隊員だった私はこの年の秋季大演習が50キロ丹沢山脈越えは今でも時々想いだす。

千葉習志野を夜中に出発、50台のトラックを連ねて隊員2千名の大部隊で明け方5時丹沢の麓に着いた。

全隊員完全武装で、背中に背嚢(食料雨具小シャベル等)他にライフル、自動小銃、機関銃(M6交代で持つ)、腰に拳銃、銃剣、弾帯、水筒で30㎏以上になる。山に登り初めて9時頃、秋晴れの天候が怪しくなってきてチラチラ白い雪らしい物が降ってきた。暑くて汗をかいていた我々は喜び、意気盛んで山々の頂きを眺めながらドンドン進んだ。

三国山~高指山~大室山に向かっていた午後2時頃、30k地点雪が酷くなり吹雪となった。500メートルの先頭隊を見るともう腰上まで雪があり雪の上を泳いでいる感じでなかなか思う様に進めない。

その内天候はますます悪化し猛吹雪となった。 だんだん時間が過ぎ雪は大雪となり100m進むのに1時間かかった。

私は靴下を2枚履き手袋を2枚にして下着を重ね着、雨合羽を着けたが寒い。時計を見たら真夜中の12時だった。

仲間の顔は皆かじかみ寒さと疲労に耐え、無言で前に進もうと頑張っている。

同じ中隊の一人が突然気が変になり、違う方向に分けの分からない事を口走り行こうとした。

皆で手分けして荷物を持ち手を引いて励ました。寒さの為手足の感覚はまったくなく、触るとすべて完全に凍っていた。水筒の水も凍って飲めないので雪を舐めた。

私はすごい睡魔に襲われ、このまま雪の中に寝たらどんなに気持ち良いだろうと思った。

ふと後ろから先輩隊員が「松田眠るな!死ぬぞ!」と声を掛けられ、これを飲めとウイスキーをくれた。

私はゴクンゴクンと冷え切った身体に流し込んだ。

何人もの隊員が倒れたが、交代で負ぶって明け方9時やっと目的地に着いた。                

一言  「全隊員無事に任務終了ご苦労だった!」と団長(渡辺陸将補)の訓示があった。

これが私の丹沢の懐かしくも辛い又壮烈な訓練の中のひとつ思い出でもあります。(写真:丹沢山脈)  その後250K行軍や新潟栃尾の災害派遣等心に残る経験をしました。

空の神兵 ~第1空挺団に捧げる~

                            

隊歌 平和の誓い Heiwa no Chikai "Vow of peace" SDF Song
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