ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の江戸時代創業老舗(3)

2016-07-31 21:06:12 | 水戸

                         (写真は㈲オケキ佛具)

㈲オケキ佛具
 大工町2-1-28 029-224-3025
 宝暦6年(1756)に桶屋の桶喜として創業した、葬祭・仏壇の会社だそうです。

亀印製菓㈱
 見川町2139-5 029-305-0310
 嘉永5年(1852)に漬物製造から出発して、菓子製造に業態を変えた会社だそうです。お菓子博物館を併設しています。

明利酒類㈱
 元吉田町338 029-247-6111
 安政年間(1854-1860)の創業で、清酒(副将軍)、焼酎、梅酒、アルコールを製造しています。

(資)瀧田酒造店
 大工町2-1-20 029-221-2434
 文久4年(1864)の創業で、三ツ扇(みつおうぎ)という酒銘です。

五藤薬局
 本町3-20-5 029-221-5046
 文化14年(1817)、弘道館医学館の製薬所元締に始まり、薬舗を開いたのは明治1年という、相談専門の漢方薬局だそうです。

ついでに、㈱IHIは、嘉永6年(1853年)に徳川斉昭が幕命によって江戸・石川島につくった造船所が起源となる会社だそうです。そこで作られた旭日丸という船は進水時、横倒しになってしまい、厄介丸と呼ばれたそうですが、その後、軍艦などとしての用は果たしたそうです。

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水戸の伝説(2)

2016-07-30 20:54:03 | 水戸

                               (写真は六地蔵寺の大杉)

六地蔵寺の大杉
 六反田町767 029-269-2211
 寺の建て直しのために、大杉を伐ろうとしたところ、きこりに火事だという声が何度も聞こえてきたそうです。気になって家に帰ってみると自宅は焼け落ちていて、きっとあの杉には仏が宿っていて伐るなといっていたのだと思い、きこりはその後木を伐ることをやめてしまったそうです。

常陸の湯
 加倉井
 源義家が奥州に向かう途中に、加倉井に立ち寄り、篠竹2本を矢にして射たところ、そこから水が出たそうです。臣下に浴びさせると疲れが取れたそうで、隠井(かくらい)と呼ばれたそうです。また、日蓮が養生をするために加倉井に行こうと、東京池上まで来たそうですがが、そこで死去したということです。常陸の湯は廃業してしまったそうです。

神応寺の蹴上げ観音
 元山町1-2-64 029-221-7772
 九州に観音を信仰する母と、無信心の息子がいたそうですが、ある夏、雷が母のいた家に落ちて、帰った息子が見たところ、母は無事で、観音が左足で雷を蹴り上げた姿をしていたそうです。改心した息子は母の死後、その観音を背負って諸国を行脚し、神応寺の前身、藤沢道場へ寄進して立ち去ったそうです。

雷神さんのささら
 元山町1-1-57 029-221-2323
 一盛(いちもり)長者が源義家に滅ぼされたとき、家来によって運び出された獅子頭(ししがしら)がその後転々として、向井町の人達に保存されて、別雷皇太神(べつらいこうたいじん)に奉納されたそうです。竹の棒に付けられた三匹の獅子が舞う、棒ささらだそうです。

美女丸
 元吉田町682(薬王院) 029-247-6266
 源義家が奥州に赴くとき、家来の中の若い武士の恋人が、そのあとを追って、常陸まで来ましたが、一夜の宿を願った家で既に軍が出発したことを聞き、この先は女の独り旅は無理とのことで、薬王院に琵琶と守り本尊の観音を奉納して京へ帰ったそうです。宿を願ったのは吉沼町の福田氏という旧家で、美女丸という小さな地蔵があるそうです。

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ネットでぶらっと水戸(3)

2016-07-28 19:36:05 | 水戸
水戸を知るホームページいろいろです。マニアック度の高いものばかりです。

庭の花たちと野の花散策記
 「好文亭内のすべての梅の木の名前」などすごいの一言です。

常陸野散策... いしぶみは何処
 よくあれだけの碑文を読み写したものだと感心します。

余湖くんのお城のページ
 水戸の城跡に関して大変参考になります。

ぶらーり ひとーり まちあるき まちあるきの考古学
 地図上の水戸を見ながらの概説は大変興味深いものです。

華麗なる旧制高校巡礼
 旧制水戸高等学校史跡のほとんどが取りあげられていそうな感じです。
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水戸の小路名

2016-07-27 19:25:06 | 水戸
新荘(しんそう)には多くの小路名を持った旧町名があります。これは、天保7年(1836)に徳川斉昭が、天保の改革の一環として、江戸住みの家臣を水戸へ帰らせたことによって開かれた屋敷地だそうです。小路の名称は、目印として植えられた樹木によったものだそうです。外に、水戸商業校内にあった、旧知名にはならなかったらしい柏小路があったそうです。図では小路名の書かれているあたりに表示の碑があります。

南北方向
 柳小路(やなぎのこうじ) 新荘3-6の水戸商業側歩道
 花小路(はなのこうじ) 新荘3-6先(常陽新荘アパートB棟前歩道)
 桜小路(さくらのこうじ) 新荘3-2先(常磐大学高校裏歩道)
 常磐小路(ときわのこうじ) 新荘3-2先(山本製餡所横歩道)

東西方向
 梅小路(うめのこうじ) 末広町1-1先 (ロフォス新荘前あたり)
 松小路(まつのこうじ) 新荘3-4-7隣
 桐小路(きりのこうじ) 新荘2-15-9先(水戸商業脇道の隣の道沿い)
 楓小路(かえでのこうじ) 新荘1-2-28
 桃小路(もものこうじ) 末広町1-5-10
  (住所は表示碑のあるところです)

ついでながら、新荘には祇園小路という居酒屋があります。
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水戸の納豆(1)

2016-07-26 21:51:43 | 水戸

 水戸の納豆が全国的に知られるようになったのは、明治30年代に駅前で天狗納豆が販売をはじめ、大正末期には駅ホーム販売の弁当に納豆がいっしょに売られるようになったことによるということです。(写真は納豆記念碑)

水戸の納豆記念碑
 水戸駅南口ペデストリアンデッキ上
 平成20年7月10日(納豆の日)に、茨城県納豆商工業協同組合によって建てられた、藁苞(わらづと)納豆型の記念碑です。

みとちゃん、ねばーるくん
 前者は公認、後者は非公認ではあるようですが、ともに水戸の納豆形キャラクターです。みとちゃんは、ができたりマンホールの蓋にデザインされたりしています。

納豆発祥伝説
 渡里町
 一盛(いちもり)長者の館で、源義家が作り方を教えたとか、家来が作った馬のための煮豆が納豆になったとかいう伝説の外に、藁の上に食べ残された煮豆を見て、義家がもったいないと試食してみるとうまかったという伝説もあるようです。

そぼろ納豆
 納豆に干し大根をあえて、醤油やみりんなどで味つけをした常陸の郷土料理だそうです。最近テレビで有名になったようです。製品化もされて、販売されています。

納豆なんでも展示館
 三の丸3-4-30(笹沼五郎商店) 029-225-2121
 天狗納豆に併設された納豆の資料館です。

干し納豆
 天日干しした納豆は昔からあったようです。干し納豆を使って、チョコ納豆や、納豆煎餅など、色々な新商品が開発されているようです。

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