ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の野草(17)

2020-05-31 19:39:43 | 水戸

 どれも今月に見た花々です。

 

ギンリョウソウ(ツツジ科)(百合が丘公園  百合が丘町10-43)
 枯れ葉の中に白い色なのでよく目立ちそうな感じですが、なかなか気がつかないようです。銀竜草と書き、腐生植物だそうです。竜というよりタツノオトシゴといった感じです。

 

ツルマンネングサ(ベンケイソウ科)(大塚町桜川沿い)
  茎に3枚の葉が取り囲むようにあるそうです。多肉植物で、乾燥に強くなかなか枯れないのでマンネングサというようです。

 

ノボロギク(キク科)(河和田)
 明治初期に入ってきた植物だそうです。「ボロ」というのは少々かわいそうです。花をモグサに見立てたのでしょう、オキュウクサともいうそうです。

 

アカバナユウゲショウ(アカバナ科)(酒門町備前堀沿い)
 南アメリカ原産だそうで、明治時代に入ってきたそうです。「ユウゲショウ」といいますが、昼から咲いているようです。

 

ヒルザキツキミソウ(アカバナ科)(東台 桜川沿い)
  北アメリカ原産で、大正末期に入ってきたそうです。アカバナユウゲショウもメシベが十字になりますが、こちらの方が印象的です。

水戸の野草(16)

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水戸の手水鉢(6)

2020-05-30 09:46:51 | 水戸

 丸形の手水鉢あれこれです。

 

加倉井砂山墓地(成沢町 ㈱金澤四郎商店成沢工場(成沢町819-1)道向かいを入る)
 昔の陶製火鉢を思わせるかたちをした手水鉢です。砂山夫妻の墓は昭和3年に今の地にうつされたそうです。

 

別雷皇太神(べつらいこうたいじん 元山町1-1-57)
 別雷皇太神の境内では、あちこちでカエルが目につきます。手水鉢にも、柄杓置き?にカエルがいました。この時はお正月だったので鏡餅が供えられていました。

 

中原八幡神社(中原町941)
 「奉上」と刻まれ、しめ縄のはられた、姿のよい手水鉢です。

 

回天神社(松本町13-33)
 魂をイメージしているのでしょうか、きれいな丸いかたちをしています。

 

湯殿山大明神(小吹町36.350021, 140.430587)
 平成7年に叙勲記念として奉納された手水鉢のようです。

 

十二所神社(牛伏町214(くれふしの里)
 四角形の石の2面を丸く削ってつくったらしい、珍しいかたちをした手水鉢です。

水戸の手水鉢(5)

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水戸の二十三夜塔(5)

2020-05-29 20:17:42 | 水戸

 二十三夜の講は、毎月の二十三夜や1、5、9、11月、1、6、9月、1、11月といった組み合わせの月に行われたそうです。講は男性だけの場合と女性だけの場合があったようです。二十三夜の月の出は午前0時頃だそうでかつてはそれを拝んだそうですが、現在行われている講は、月の出前に終わっているようです。

 

二十三夜勢至菩薩(子安神社 元石川町1926)
 宝暦12年(1762)とあり、上部にあるのはサクという勢至菩薩をあらわす梵字のようです。二十三夜の本尊は勢至菩薩だそうです。

 

二十三夜供養(塔)(仏性寺 栗崎町1984)
 寛政4年(1792)とあります。境内の山門近くにあります。道標を兼ねているようですが、よくわかりません。

 

二十三夜尊(十一面観音堂 鯉淵町481)
 寛政8年(1793)、根古屋坪中とあるようです。上部の梵字はサクの勢至菩薩のようです。

 

二十三夜供養(築地町(ついじちょう) 36°22'08.3"N 140°22'46.5"Eあたり)
 文化5年(1808)とあります。道角の石造物群の中にあります。左下に筑地と見えますが、その下が見えません。「講中」か、「坪中」の文字があるのでしょう。二十三夜の月が上部に刻まれています。

 

二十三夜塔(大井神社 飯富町3475)
 天保2年(1831)11月に、寺下、圷(あくつ)等の講中によって建てられたようです。

水戸の二十三夜塔(4)

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水戸の野草(16)

2020-05-28 20:41:26 | 水戸

 どれもこの5月に撮った写真です。

 

ギシギシ(タデ科)(若宮市民運動場 若宮町1103)
 乾燥させた根は羊蹄根といって緩下作用のある生薬だそうです。スイバに似ていますが、葉の基部はとがらず、茎を抱かないそうです。

 

スイバ(タデ科)(城東 桜川土手)
 葉を噛むと酸いのでついた名前だそうです。上の方の葉は茎を抱いていたり、葉の基部がとがっているそうです。また、葉柄が狭くくぼんでいるそうです。

 

タツナミソウ(シソ科)(木戸房池(きどっぽいけ)  栗崎町 稲荷第二小学校(百合が丘町997-204)裏手))
 花の咲く様子を波に見立てたようです。木戸房池では、植えられたのでしょうが、いろいろな野草が見られます。

 

フタリシズカ(センリョウ科)(木戸房池(きどっぽいけ) 栗崎町 稲荷第二小学校(百合が丘町997-204)裏手))
 2本の花を、能の二人静と見たてて、ついた名前だそうです。花には、花弁もガクもないそうです。

 

マメグンバイナズナ(アブラナ科)(若宮市民運動場 若宮町1103)
 明治時代の帰化植物だそうです。よく道端で見かける野草です。グンバイナズナより実が小さいので「マメ」が付くそうです。

 

ヤセウツボ(ハマウツボ科)(千波大橋近くの桜川土手)
 外来生物法で要注意外来生物に指定された、マメ科やキク科の植物に寄生する植物だそうです。寄生された牧草などは成長が妨害されるそうです。

水戸の野草(15)

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水戸の西国板東秩父供養塔(1)

2020-05-27 21:07:16 | 水戸

 観音信仰として、江戸時代前から西国板東秩父百観音巡拝という形があったようです。西国三十三ヵ所、坂東三十三ヵ所、秩父三十四ヵ所で計百カ所ということのようです。それにしても、江戸時代に、百カ所ものお寺の巡拝がよくできたものだと感心します。たぶん、いろいろな便法?もあったのでしょう。

 

奉納西国板東秩父供養(萱場町吉田神社入口)
 寛政12年(1800)とあり、鳥居手前の参道沿いにあります。

 

西国坂東秩父百番供養塔(十一面観音堂 東前町)
 文化4年(1807)年とあり、百番供養という表現がされています。

 

坂東西国秩父供養塔(鹿島神社 内原町)
 神社左奥の石造物群の中にあって、明治14年とあり、下段にたくさんの名前が並んでいます。3地方を横に並べる場合、中央に西国が、左右に秩父と板東が刻まれるのが一般的なようです。

 

秩父西国坂東供養塔(小林ふるさとコミュニティセンター(小林町867-1)近く)
 明治17年、当村中とあります。道路突き当たりの石造物群の中にあります。

 

坂東西国秩父供養塔(満福寺跡 大塚町495-2)
 墓石型で、明治23年、詠歌講中とあり、女性の名前が並んでいます。上方の梵字は、キリークと読んで、千手観音をあらわしているようです。満福寺跡にはこの他に明治29年のもう一基と、百観音巡拝記念碑もあります。

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