ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-22)

2023-03-31 18:58:57 | 水戸

桜とアートタワー(千波湖南岸遊歩道から)
 咲いた桜の枝と、アートタワーがうまく一体化するところがありました。もっとも、前衛的なアートタワーからは、こうした絵葉書的なすがたはきらわれるかもしれませんが。

 

みとちゃり(ホテル・ザ・ウエストヒルズ・水戸 大工町1-2-1)
 バスを降りたあとの、自転車を移動手段として考えられた交通手段のようです。会員登録や、使用時の予約や低額の料金支払いなどをスマホで行う必要があるようです。鉄道を利用する観光客には便利な手段なのでしょう。まだステーションの設置箇所が7か所と少ないようですが、ふえると利便性は増すのでしょう。

 

ステーションブース(水戸駅 宮町1-1-1)
 ハコカラを水戸オーパ(宮町1-7-33)で見たと思ったら、似たようなステーションブースというものを水戸駅で見ました。駅ナカシェアオフィスという、個室ブース型のシェアオフィスだそうです。今は、必要性が見えると、即全国展開という図式ができているようです。

 

自販機の?缶(ブラザーフッド水戸 笠原町1495-7)
 何だろうと思って、自販機の写真を撮っただけで行きすぎてしまいました。今度通った時は買ってみようと思いますが、何なのでしょう。写真右下です。 

 

逆川(舟付橋から)
 ほとんど油絵といっていい逆川の水鏡写真が撮れていました。逆川だからというわけではありませんが、逆さにしたのですが、どうでしょうか。「煉瓦倉庫のある風景」とでもいったところでしょうか。

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-21)

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水戸・偕楽園で見た春の野草

2023-03-30 20:35:51 | 水戸

 偕楽園で咲いていた春の野草です。桜を見上げてみるばかりではなく、足もとの野草を見るのも楽しいものです。

 

イワニガナ(キク科)
 たぶんイワニガナだろうという程度です。別名はジシバリというそうです。以下のどれも、南崖で見ました。南崖は、日当たりがよいということもあるのでしょうか。

 

キランソウ(シソ科)
 ジゴクノカマノフタともいうそうです。蓋の開くのはお盆のようですので、なにかそれと関係があるのでしょう。濃い青色の、たいへん目立つ花です。南崖の斜面には、あちこちで群生していました。

 

コスミレ(スミレ科)
 たぶんコスミレでしょう。写真・中央の花で、細く斜め右にのびているのは、距(きょ)というそうで、花弁の後ろ側にある付属体で、中に蜜をためるようです。パンシーなどにもあるそうです。

 

ナズナ(アブラナ科)
 ナノハナと同じ科のようです。花の下方にある実の形が三味線のばちに形が似ているので、ぺんぺん草ともいうようです。ハート型に見えますので、今ならハートソウでしょうか。たくさんの実を下に少しはがして、耳もとで振って、音を聞いて遊んだ記憶があります。奥に見えるのは、神崎石(かみさきいし)を切り出した洞窟です。(洞窟の中ヘは入れません)

 

ミツガシワ(ミツガシワ科)
 南崖下の池にたくさん咲いていました。一属一種の植物だそうです。カシワのような葉が3枚集まっていることからの名前だそうです。花は下から順に咲くそうです。花にたくさんのひげがありますが、ハナ(鼻)に髭はつきものでしょう。

水戸・偕楽園の桜

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水戸・偕楽園の桜

2023-03-29 20:47:30 | 水戸

 桜が見ごろなので、偕楽園の桜を見に行ってきました。今年の桜は、今度の土日では少し遅そうな気がします。

桜と好文亭
 好文亭付近では、満開のツツジも見られました。名物のキリシマツツジ(左中央の濃い緑のツツジ)の満開はまだ先のようです。

 

佳子さま植栽の桜
 幼木ですが、1本の枝に3輪大輪の花が咲いていました。佳子さまが植樹したのは、京都御所紫宸殿にある左近の桜から育てた木だそうです。写真左上の、白く見えるのが花です。

 

桜と梅
 「梅は散ったか桜はまだかいな」の端唄が思い出されますが、写真左側は、梅林です。これ程違うのだなと改めて思いました。

 

同じ桜の木です
 写真左側は散りかかって葉も出始めていますが、右側は満開です。同じ木のようですが、根本を見ると、何かあったのでしょう、左側には根が別にも生えているように見えました。

 

梅林東側の散策路
 この散策路は、いろいろな花が楽しめるようです。手前の赤い花はモモのようです。写真左側中央がミツマタやで、道の両側がヒュウガミズキです。

 

千波湖俯瞰
 俯瞰する千波湖散策路に植えられた桜も満開のようでした。まさに桜だらけです。

 

南崖の桜
 南崖を仰望した桜のながめです。子規の句、「崖急に梅ことごとく斜めなり」というほど桜はないようで、かろうじて崖といっしょに撮れた桜です。

 

室田義文奉納の桜
 水戸藩出身で、貴族院議員や百十銀行頭取などをつとめた、室田義文(よしあや)が、大正11年に奉納したソメイヨシノだそうです。樹齢は100年を超えているようです。この桜は常磐神社境内にあるのですが、常磐神社は、かつて偕楽園の敷地だったそうです。

水戸・偕楽園の梅の花(3)
水戸・偕楽園の満開になった梅のすがた
水戸・偕楽園の梅のつぼみ(3)
水戸・偕楽園の梅の若葉(2)
水戸・偕楽園の梅の葉
水戸・偕楽園で送梅
水戸・偕楽園にある門
水戸・偕楽園の石碑
水戸・偕楽園の話

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水戸の歩道敷石(8)

2023-03-28 09:29:29 | 水戸

県営水戸東山団地(東野町)
 毘沙門亀甲(びしゃもんきっこう)という伝統的な模様のようです。正六角形の亀甲が3つ並んだ形を三盛(みつもり)亀甲といい、それをつないだ形が、毘沙門が着る鎖鎧(くさりよろい)の鎖のデザインに似ているということから来た名称だそうです。現代風には、テトラポッド模様ともいうようです。古い伝統模様が、このようなところにも使われているのだなあと、面白く思いました。多くの方向に線ができるので、滑り止め効果があるのでしょうか。

 

水戸市役所(中央1-4-1)
 水戸市役所正面側にある、坂になっている歩道の部分にありました。こういう砂利を埋め込んだ敷石は、最近あまり目にしません。これも、滑り止めということなのでしょう。はだしで歩きたい敷石です。

 

元吉田町
 水源(太陽?)と波をデザイン化したように見える歩道敷石の模様です。ここでは、波の模様を、川の流れのようにしたのでしょう、長く連ねて敷いていました。

 

見和1丁目梅が丘第2児童遊園(見和1-470-46)
 花のような丸型(八角?)模様の隙間を、小さな四角形の花のような模様で埋めています。

 

涸沼橋(平戸町)
 涸沼(ひぬま)橋は、涸沼川に架かり、水戸市と大洗町を結んでいますが、たぶんその中央が境界なのでしょう。「ぶらっと水戸」なので、水戸側らしいところの歩道敷石を撮してきました。橋上に並ぶ、四角形の歩道敷石の中に、大小の四角形を描いた模様です。敷くと、4つの敷石でできる同じ模様が繰り返されていきます。歩道敷石は破損した時など、繰り返し模様であれば、修理に1種類のピースで破損部分を補填できるので楽でしょう。ただ、その場合も、現今、少量生産などで在庫がなくなれば困ったことになることでしょう。そうしたことを思うと、これからの歩道はどのようになっていくのかなあと思います。私などは、少なくとも、老齢者に優しいものになっていってほしいなと思っています。

水戸の歩道敷石(7)

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水戸の始まり(6)

2023-03-27 20:30:23 | 水戸

 

 寛永1年(1624)に紙金奉行になった浅香宗右衛門が、水戸で初めて金札を通用させたそうです。縦は約17cm、横は約4.5cmで、裏に鶴亀、松茸と蓑傘鎌が書かれていたそうです。水戸市史は「分からないというしかない」としているようですが、寛永通宝を、寛永2年(1625)に水戸の佐藤信助が鋳造したという説があるそうです。互いに何か関係があるのでしょうか。

 

 今の銷魂橋(たまげばし)脇にある江戸街道基点碑のあるあたりに、寛政12年(1800)に水戸で初めての火の見櫓ができたそうです。明治35年の地図を見るとそのあたりは、消防器械置場になっています。写真は明治35年の地図ですが、「シ」は、消防機器置場の記号です。

 

 明治5年(1872)に郵便受付所が、上市向井町と下市1町目にできたそうです。まももなく市内各町の有力者36名が選定されて、そこに郵便受取所が置かれたそうです。写真は、令和3年(2021)が郵便局開業150周年であることを記念して装飾を施した水戸中央郵便局です。

 

 水戸警察署は、明治5年に裁判所内に設けられた「聴訟課(ちょうしょうか)」がはじまりだそうです。その後、明治7年に、検事局の司法警察と、行政警察の警察係が合体し、金町に詰所がつくられたそうです。写真は現在の水戸警察署です。

 

 茨城県で一番古い剣道の道場は、明治7年に、幕藩時代は弘道館剣術方をつとめた小沢寅吉が、自邸に開いた東武館だそうです。維新以降の士風の衰退を見て、その復興を目指したそうで、道場では、北辰一刀流剣術、新田宮流抜刀術を指南したそうです。写真は平成24年に撮った、すぐ近くの現在地へ移築する前の東武館です。

水戸の始まり(5)

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