ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の六地蔵(1)

2017-02-28 21:30:29 | 水戸

 仏教には、人は色々な世界に繰り返し生まれかわって生きてゆくという輪廻思想があり、その世界が6つあるので、六道輪廻というのだそうです。六道は、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道だそうで、その一つ一つを地蔵の分身である6種の地蔵が守護しているのだそうです。こうした六地蔵の信仰は、日本独自のものだそうです。水戸にも色々な六地蔵があります。

 

仏性寺(栗崎町1984)
 山門を入って本堂に向かう参道の途中にあります。天明9年の建立のようで、水戸市指定文化財になっています。天明の飢饉の餓死者供養のために村の寄付で建てられたそうです。ただ、向かって左から2体目の地蔵は、後年に制作されたもののようです。

 

六地蔵寺(六反田町767)
 地蔵堂内に、寺名の由来である六地蔵が安置されています。地蔵堂は、法宝蔵とともに、徳川光圀が建てたそうです。

 

大井神社(飯富町3475)
 大井神社の墓地付近にある六角灯籠形の、六地蔵石幢(せきどう)です。同じようなものが、県立歴史館庭や、常照寺墓地にもあります。

 

天徳寺(河和田町914-1)
 天徳寺の六地蔵は、仁王門内の仁王像が安置された部屋の裏側に、左右各3体ずつ、本堂を向いて納められています。

 

光台寺(上水戸3-1-39)
 墓の入口付近にあり、東日本大震災で倒壊した六地蔵を、震災犠牲者供養もこめて再建したそうです。

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水戸の奉納額(1)

2017-02-27 21:45:01 | 水戸

 寺社の奉納額は、代表的な絵馬ばかりではなく、色々な種類があるようです。字の場合と絵の場合があり、また、大願成就(伊勢参宮、難しい和算の解答(算額)など)、神社の社名、大大神楽の記念等々があり、実にさまざまです。かけてある場所が、屋外の軒下ですので、風雨によって、見えなくなってしまっているものも多いようです。かつての信仰の貴重な資料なだけに、なにか対策を考えた方がよさそうです。

 

愛宕神社(愛宕町10-5)
 愛宕神社は火伏の神ですので、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、草薙剣(くさなぎのつるぎ)で、火を払ったという神話が描かれているのでしょう。



大井神社(飯富町3475)
 奉献、心願成就として、願主14名が名を連ねています。大井神社には別棟の絵馬堂があり、沢山の奉納額が飾られています。

 

桂岸寺(松本町13-19)
 大正4年に鉄砲町の講中によって奉納された二十三夜尊名の額です。桂岸寺の本堂には多くの奉納額がかけられています。

 

水戸八幡神社(八幡町8-54)
 写真は現在の絵馬です。水戸八幡には、歌舞伎の市川男女蔵(おめぞう)が演じた「矢の根五郎」を、二世・鳥居清元が描いた絵馬が奉納されているそうです。

 

三湯神社(三湯町57)
 昭和34年に奉納された、4名の連名による、伊勢等への参拝記念奉納額です。

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水戸の梅の話題(5)

2017-02-26 21:15:59 | 水戸

  

マンホール蓋
 みとちゃんのマンホール蓋にも梅はありますが、それ以前のものにも梅をデザイン化したものがいくつかあります。これも気をつけてみると楽しめます。

 

第5回全国梅酒まつりin水戸
 今年は3月3日から5日まで行われるそうです。行列ができて大変な盛況です。一回り試飲すると完全に酔っ払います。写真は、常盤神社境内の準備中の会場です。

 

徳川慶喜和歌
 さみだれのそぼふる池に梅の実のおりおり落ちる音の淋しさ  弘道館にありました。写真は南町の慶喜の像です。

 

梅皮紙
 徳川斉昭が、天保9年(1838)に手元金30両を出して、産業振興のため、藤柄町に製紙場をつくり、梅皮紙、松皮紙などをすかせたそうですが、うまくゆかなかったようです。写真は藤柄町あたりです。

 

好文亭梅の間
 斉昭夫人吉子(文明夫人)が明治2年から、東京小梅に移る6年まで住んだところだそうです。復元されたものですが、襖絵は須田珙中の描いたものだそうです。

 

水戸の梅の話題(4)

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水高出身の政治家

2017-02-25 22:42:27 | 水戸

 水戸の硬派というイメージとは違った政治家が多いようです。水高(旧制水戸高等学校)は、今の茨城大学の前身で、第一中学校と水高スクエアの地にあったそうです。写真は、水高本館です。

赤城宗徳(明治37-平成5)
 茨城県真壁郡(現・筑西市)の出身で、衆議院議員15回当選、農林水産大臣を6回。日ソ漁業交渉に尽力したそうです。岸内閣の防衛大臣在任時、安保反対運動に対する自衛隊出動要請を拒否したそうです。

宇都宮徳馬(明治39-平成12)
 東京生まれで、ミノファーゲン製薬創立、戦後、衆議院議員を10回・参議院議員を2回。宇都宮軍縮研究室を主宰して軍縮や日中友好に尽くしたそうです。

後藤田正晴(大正3- 平成17)
 徳島県生まれで、衆議院議員7回。カミソリ後藤田といわれ、警察庁長官などの官界から政界に転身し、法務大臣や副総理等に就いたそうです。論理的なリベラル派だったようです。

丹羽喬四郎(明治37- 昭和53)
 東京の出身で、茨城3区から衆議院議員9回。情報局情報官などの官界から戦後政界に入り、運輸大臣等になったそうです。

水田三喜男(明治38-昭和51)
 千葉県出身で衆議院議員13回、通商産業大臣や、大蔵大臣3回。大同石油取締役などをつとめて、実業界から官界へ移ったそうで、積極財政論者だったそうです。城西大学を創立したそうです。

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水戸の梅の話題(4)

2017-02-24 20:39:01 | 水戸

偕楽園の梅(常磐町1-3-3 偕楽園)
 徳川斉昭による偕楽園記では、一陰一陽、一張一弛といった、対立した言葉をキーワードとして、偕楽園の特長を説明しています。その一陰一陽を体感するものとして、竹と梅があるようです。本来の入口である表門(黒門)を入ると、まず竹林があり、これが陰の世界、それを通り越して好文亭に近づくと、梅林があらわれて、これが陽の世界ということだそうです。ただし、偕楽園記には竹、梅のことは書いてありません。

 

観梅碑(常磐町1-3-3 偕楽園)
 偕楽園の南門を入って左折し、吐玉泉に向かう道の途中にあります。東京で医院を開いていた永阪周漢という人の漢詩で、その一節には「梅花の春 地に満ち 春水の 緑城に通ず」などとあります。

 

山村暮鳥詩碑(松本町13-19 桂岸寺保和苑)
 おい、そっと
 そっと
 しづかに
 梅の匂ひだ

 

天神社の梅鉢紋(元吉田 常照寺裏手)
 天満宮の神紋は梅鉢だそうです。祭神・菅原道真の家紋は分かっていないようですが、道真が好んだ梅の話からつくられたようです。シンプルな梅花紋から、よりデザイン化された梅鉢紋まで、多くの種類があるようです。写真は、元吉田にある天神社の鬼板(上)と懸魚(けぎょ 下)にある梅鉢紋です。

 

梅の里昭二
 昭和39年水戸市生まれの力士だった人で、しこ名は水戸の梅まつりに由来したそうです。今は兄の水戸泉が創設した錦戸部屋のマネージャーをやっているそうです。写真は、常陸山がてがけた旧国技館(墨田区両国2-8,9)の土俵跡です。

水戸の梅の話題(3)

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