ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸藩初代・徳川頼房の話あれこれ(4)

2020-12-30 19:44:39 | 水戸

 7歳のとき、父の家康から何がほしいかと聞かれた頼房は、天下がほしいと答えたそうです。家康は、天下は古今、長兄に与えられるものとして、唐頭(とうのかしら ヤクの尾毛を束ねた装飾だそうです)のついた兜と、馬標(うまじるし)を与えたそうです。

 

 若い頃頼房は、伊達政宗(だてまさむね)が豊臣秀吉から拝領した、名刀(燭台切り光忠)がほしくて、将軍・家光にそのことを話したところ、後日、伊達からその刀が進呈されたという話が伝わっているそうです。

 

 頼房の書はひいでていたそうで、楷書は謹厳、行書は悠々としていて、大家にそなわる書品があるといわれるそうです。「天満大自在天神」(写真)という書はその代表的なものだそうです。

 

 頼房が、将軍の紅葉山参詣のお先参りしていたとき、徳川一門とともに並んでいた蒲生氏郷(がもういじさと)が、頼房を見て笑ったそうです。以前から氏郷に対して不快感があったのか、頼房はそれを見て立腹し、何がおかしくて笑うのかと刀に手を掛けたので、土居大炊頭(おおいのかみ)が止めてその場はおさまったそうです。伊達政宗が水戸邸にすぐにかけつけて、蒲生は無礼をした憎い奴なので、先陣を承るといったそうです。このとき、伊達は大小の刀をつけたまま次の間まで通ったので、その後、伊達は玄関を刀をつけたままのぼるのが吉例になったそうです。

 

 幕府の定法があって、鉄砲の製造でさえむずかしかった当時、他の御三家である、尾張藩や紀州藩ではその製造に関しては厳重に取り締まったそうですが、水戸藩の頼房は大砲の製造まで許されていたそうです。鉄砲の練習場は、東山、備前屋敷下、お宮下、八幡下、虚空蔵下の5カ所に設けられたそうです。

水戸藩初代・徳川頼房の話あれこれ(3)

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水戸の飛び石(3)

2020-12-29 19:31:00 | 水戸

三木之次夫妻墓所(妙雲寺 見川2-103)
 四角い石が墓前横に並んでいます。之次(ゆきつぐ)の妻・武佐(むさ)は、徳川頼房の乳母の姉で、妹の死後、頼房の乳母役を受け継いだそうです。その後は、水戸の三木邸で生まれた光圀を、5才まで養育したそうです。之次は、大番頭で老中を兼ねた、1,000石までなった重臣だそうです。屋敷は、水戸黄門神社のあるあたりにあったそうです。写真の右奥が之次、手前が武佐の五輪塔です。

 

笠原水道水源池(笠原町 36°21'14.1"N 140°27'41.6"Eあたり)
 笠原湧水をくめる竜頭共用栓(写真、白い杭のるあたあり)に至る道につくられています。たぶん、水を持ち帰る人が多いので、行き帰りのすれ違いができるように、2筋に石がおかれているのでしょう。共用栓から出てくる水は滅菌してあるそうです。

 

弘道館(三の丸1-6-29)
 奥の廊下から、裏手の庭へ出る道に飛び石が置かれています。慶応4年、弘道館の至善堂に謹慎していた慶喜は、この飛び石伝いに庭を散策したこともあったのでしょうか。

 

茶室無庵(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
 茶室のにじり口(入口)近くにある、つくばい(手水鉢)付近の飛び石です。いかにも歩きにくそうな石がたくさん並んでいます。

 

鰻亭(泉町3-5-4)
 こういう雰囲気を楽しめる店はどんどん少なくなってきているようですが、ここなどは、ぜひ続いていってもらいたい風景の一つです。

水戸の飛び石(2)

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水戸の運動公園(5)

2020-12-28 20:06:36 | 水戸

大塚池公園野球場(大塚町1827-1)
 大塚池公園の一部のようで、ソフトボール場となっています。昭和58年につくられたようです。今回のほとんどは、使用1週間前の申請が必要なようです。

 

城東市民運動場(若宮町地内(河川敷)) 
 国道6号線・水戸大橋の左岸下流側の河川敷内にある、昭和47年に開設された野球場だそうです。国道6号線向こう側には若宮市民運動場があります。

 

上大野市民運動場(吉沼町640-1)
 多目的運動場で、ソフトボールや少年野球などができるそうで、開設は平成17年だそうです。このあたりは、整地が進んでいて、まだ何かできそうな感じです。

 

常澄運動場(大場町468-1)
 昭和50年に開設された、野球場、陸上競技場(300mトラック)のようです。ここは3.7haくらいの面積があり、相当な広さです。となりに常澄保健センターがあります。

 

別所運動公園(大場町 36°19'42.3"N 140°31'03.3"E)
 水戸市との合併前、常澄村時代に、ふるさと創生事業の一つとして、地元も負担して平成3年につくられた小規模な運動公園のようです。

 

大串貝塚ふれあい公園(塩崎町1064-1)
 入口付近に夜間照明施設のあるテニスコートが2面あります。プールもあるようですが、夏休み期間中のみ利用可能だそうです。

水戸の運動公園(4)

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水戸の民間信仰(1)

2020-12-27 19:14:32 | 水戸

歯固めの石(水戸八幡宮 八幡町8-54)
   赤ちゃんのお喰い初め(おくいぞめ)のときに、水戸八幡宮では、「御石」を授与し、硬い丈夫な歯が生えるおまじないとしているそうです。

 

虫切り(有賀神社 有賀町1032)
 有賀神社では、子供の疳の虫(夜泣きや、かんしゃく、ひきつけなどのことをいうようです)を切るということで、信仰されているそうです。「おさなごの 千代をいのりて いちしろく しるし有賀の 神のまもりに」と頒布される笹に下げられた紙札にあります。「いちしろく」は、はっきりといった意味のようです。

 

犬供養
 犬は安産なので、それにあやかって、犬の供養をしたそうです。枝をY字型にしつらえたザクマタに、安産の経文を和尚さんに書いてもらって、子安観音にお供えしたそうです。この信仰は岩根町の事例ですが、各地で同じような行事が行われていたようで、今も一部で講が行われているようです。写真は藤井町で一昨年見ることができたざくまたです。

 

安産地蔵(楊林寺 三湯町45)
 入口付近の石造物群の中にある、鼻がかけて修復された地蔵は、安産の仏として信仰されたそうです。お産の時に、夜中にそっとこの石仏を自宅に借りてゆき、ぶじにお産がすむと戻したそうです。

 

占いの大師像(宝蔵寺 谷田町633)
 本堂内に石像の大師像があり、毎月21日の弘法大師の縁日には静岡の行者が来て、信者を前にしてこの石仏を持ちあげて、軽々と持ちあげることができると運が回って来るといった占いをしていたそうです。

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水戸の詩歌句碑(6)

2020-12-26 20:29:44 | 水戸

 今回は寺社で見た歌碑のいくつかです。神仏をたたえたものと、自身の思いや作品などを奉納したものとの2種類があるようです。

 

川又観音(川又町)
 額に彫られた和歌です。「みほとけも 守りますらん 川またの 水より清き 人のこころは」とあります。浅井光政は、大洗磯前神社 の神主のようです。

 

加倉井町(36°23'44.1"N 140°23'05.8"Eあたり)
 「一、はらつぼ(原坪)の みつのちまたの くわんせおん(観世音) まへれる人にりやく(利益)あたへん
 二、ちゝ(父)となり はゝ(母)ともなりて おさな子を すくはせたまう はらのみほとけ
 三、かくらひ(加倉井)の きた(北)のはてなる くわんぜおん きゆうばのなん(急場の難)を すくひませます」とあります。作者は、大貫隆正のようです。

 

水戸八幡宮(八幡町8-54)
 「八幡なる 神の社(やしろ)の 御葉付の 公孫樹(いちょう)の如く 千代に栄えむ」とあります。国指定の天然記念物であるオハツキイチョウを詠っています。

 

吉田神社(宮内町(ちょう)3193-2)
 「木童子(きどうじ きわらわ)の 育(はぐく)む郷(さと)は 三角山(みすみやま) 萬世(よろずよ)までも 千木(ちぎ)は栄えて 植山人」とあります。植山人は蜀山人のもじりなのでしょうが、植木に関係する人なのでしょうか。

 

和光院(田島町415)
 「月落ちて 螢大きく なりにけり」とあります。昭和53年に93才の檀徒が奉納したようです。

水戸の詩歌句碑(5)

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